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救済の夜-来実冬哉-

「あれ、お兄ちゃんお出かけ?」

「ん、ああ。ちょっとな」

「せっかくのクリスマスなのにもうちょっとおしゃれできないのかなー、だから彼女ができないんだよ」

「うっせ。彼氏作ってから言え。ま、行ってきます」

「いってらっしゃい」

 妹にそう言い残してから一時間ほど、来実冬哉は凍てつく冬空の下を黙々と歩いていた。

 炬燵に入っていた妹――知夏にはわからなかったようだが、コートの下に着ているのは制服で、傍らには予算千円のクラス費で買った小さな花束を抱えている。

 冬哉は墓参りの途中だった。街が恋人で溢れ、花束の種類すら間違われかねないこんな時期に墓参りに来たのは、故人・宝城柚希の誕生日だからに他ならなかった。三ヶ月半前に亡くなったクラスメイトに焼香をしに行く役目が、一番近いからという理由で冬哉に押し付けられたのだ。

 冬哉はもともと今日は出かけるつもりはなかった。

 冬哉は、ほとんど話したこともない不良の墓参りになど行くつもりはなかったのだ。体面を気にした教師が、誕生日にかこつけて故人のクラスメイトが墓参りに行ったというアピールをしたいだけだとわかっていたから。

 だから慎や真澄、吉良がいればこんなことにはならなかったし、たまたま墓地と家が近かったという理由で選ばれたのも不運だと冬哉は思っていた。

 宝城が眠っている墓地は冬哉の家から十分ほど、よく利用する商店街とは反対方向にあって、小学生の頃はやれ黒髪の女の霊だ火の玉だと怪奇現象の噂には事欠かない場所だった。

「ふー……」

 気の抜けたようなそのため息が、用事を果たしに行く面倒さを表したのか幽霊なんていないと心を落ち着けたものか、冬哉にはわからなかった。

 もちろん冬哉にだって幽霊なんていないことはわかりきっている。

 それでも墓地に来て嫌な気分でなくはいられない。

 ただでさえ数か月前に、クラスメイトの死を知らされたばかりなのだ。

 冬哉が事故のことを知ったのはあの嵐の日の翌々日、火曜日のことだった。重苦しさを背負って入ってきた担任が「皆さんに大変残念なお知らせがあります」と言った時のあの震える声を、冬哉は今でも鮮明に思い出せる。

 教室は瞬く間に静まり返っていた。おそらく皆が前日から休んでいた慎たちのことを思い出していたのだろう。それがはっきり分かった。

 誰もが喉がからからに渇いて動けなかった。

「宝城が、……宝城柚希さんがなくなったそうです」

 その言葉を聞いた時、クラスには動揺とともに――誰もが不謹慎と思いながらも――安堵が広がっていった。ピリピリと張りつめたような空気が一瞬弛緩する。何人かがそれに顔を顰めたのが見えた。

 心底残念そうに訥々と語り続ける教師の声を聞いて、形ばかりの黙祷とともにその朝のホームルームは終わった。

 宝城柚希というクラスメイトの死を、誰もが自分には関係ないことだと思っていた。

 誰もがその後の自分たちに重くのしかかってくるとも知らなかった。

 宝城柚希の墓は小ぶりなもので、児童養護施設の合同墓標だからか宝城の名は裏面に小さく名前が刻まれているだけだった。

 冬哉は宝城の名前を確認すると、小さく手を合わせた。ほんの十数秒、形だけの黙祷。宝城に対して特別な感情なんて、冬哉は持っていなかった。

 黙祷が終わると、彼は桶から柄杓に水を汲んで墓石にかけた。どちらも寺での借り物だ。本当は丁寧に掃除してやるべきかもしれないと思ったが、冬哉がそこまでしてやるほど仲が良かったわけでもなし、宝城の方も迷惑がるだろうと思ってそこまではしなかった。

 適当に清めて、線香に火をつける。煙の臭いに少し頭が痛くなるような気がした。

 最後にもう一度、まるで心の伴っていない黙祷。

 冬哉のやることはこれだけ。

 そのつもりだった。

「あの、柚希お姉ちゃんの知り合いの方ですか?」

 聞き覚えのあるその声に、呼び止められなければ。

 柚希お姉ちゃんと言われて咄嗟に反応できない冬哉に、墓参りをしにきた少女は続けて話しかける。

「私は仁菜、加波仁菜と申します。宝城さんの――友人のようなものです。あの……」

 少女は、まるで彼女自身も困惑しているかのように遠慮がちに続けた。

「ここじゃ寒いですし、どこかでお話を聞かせてもらえませんか」



「その前に、柚希お姉ちゃんのお墓参りだけ、させてください」という申し出に待たされるまま、30分ほど彼女の墓参りを眺めたのち、冬哉は近くにあったファミレスへと足を運んだ。どこにでもある普通のレストラン。その奥のこじんまりとした席に冬哉と少女は陣取った。

「初めに確認させてほしいんだけど加波さん、君は慎の、妹さん……、で合ってる?」

 注文を取りに来た ウェイトレスに軽食とドリンクバーを2人分頼み終わってから、冬哉はそう口を開いた。

 冬哉は前に加波慎の家に行ったときに仁菜とは一度、顔を合わせていた。覚えていたのは性格がそっくり――要するに責任感の強い妹だなという第一印象が大きかっただけなのだが。

「はい、そうです。あなたは来実冬哉さん、ですよね」

「……っ」

 仁菜はあっさりとそう言ったので、言葉に詰まる。

「……流石、慎の妹というか、だね」

「よく言われます」

 サンドイッチが運ばれてくる前にと、仁菜はココアを取りに行った。冬哉はコーヒーを。砂糖を少な目にしたので、かなり苦い。

 なんとなく見栄を張ってしまったような居心地の悪さを感じながら、冬哉は仁菜に尋ねる。

「慎は、今は……?」

「お兄ちゃんは、あの日からずっと部屋に」

「あの日って言うのは、宝城が亡くなった……」

「はい、あの日曜日のことです」

 伏し目がちに、くるくると手元のティースプーンでココアをかき混ぜながら仁菜は言う。白いミルクがくるくると渦を巻いて、やがて消えていく。

 冬哉が何気なく口元に持っていったコーヒーは苦くてとても飲めたものではなかった。残しておいたミルクを入れた方がいいかもしれない、と冬哉は思う。

「あの日のずっと前から、お兄ちゃんは柚希お姉ちゃんと仲が良かったんです」

「……それは、意外だ。クラスではずっとむすっとしてたから」

「お姉ちゃん、人付き合い苦手そうでしたしね」

 仁菜は苦笑する。そういえば今日、人の笑顔を見たのは初めてだなと思った。

「そう言われてみると確かに何度か、宝城が慎たちと話しているのを見かけたな。あの頃は慎がまたお節介焼いてるのかと思ってたけど」

「お兄ちゃん、やっぱり学校でもそう思われてたんですか」

 冬哉と仁菜は二人、くすくすと笑う。

「実際そうだったと思いますけどね」

「だよな」

 ひとしきり笑うと、仁菜はココアを手に取った。穏やかな甘い匂いが、冬哉の方まで香る。

 仁菜は半分ほどまでココアを飲むと、「ふぅ」と息を吐いてから、顔を冬哉に向けた。

 慎に似たその顔は、彼が真剣な話をする時と同じくとても凛々しい。

「来実さんに一つ、お願いがあるんです」

 冬哉はたまらずに目線を少し下げる。予備に持ってきていたミルクのパックのツメをぺきりと折ってから尋ねた。

「慎は、そんなに調子が悪いのか」

「はい」

 仁菜の言葉は立った一言の肯定だった。それだけで、冬哉にはわかってしまう。彼がどれだけ弱っているのか。

 遠くから見れば、加波慎という少年はとても大人びている。

 穏やかで優しく、人並み以上になんでもこなす。その印象は近づけば近づくほど強力になる。

 いつでも誰かを助け、助けられることのない完璧超人。それが慎という少年だ。

 ただし、長く付き合ううちに違和感を感じる時というのも確かに存在した。彼の言葉には謙遜も多かったし、彼が何かを断るさまを見たことがないのも不思議だった。

 ほとんどの人は、慎という少年が何をしたいのかわかっていなかった。それは冬哉を含む、教室の全員がそうだったのだろう。

 付き合いが比較的長かった冬哉は今になってやっと、慎が何をしていたのかがわかってしまう。

 彼は、きっと。

「そっか。……その話、吉良と倉橋には」

 慎の幼馴染二人の名を挙げると、彼女は小さく首を振った。話せないのだろう。

 倉橋は最近学校にいても表情が暗いし、吉良に至っては慎と同じく不登校だ。

 そんな誰も頼れないような状態ならたまたま墓地で会っただけの俺に話しかけたのも納得がいく。

 冬哉はコーヒーカップに口をつける。中のコーヒーは少し冷めていて、そしていい具合にほろ苦かった。

「なら、聞かせてもらえるか。僕は慎のために、何をすればいい?」

 冬哉はそう言って、少女に続きを促した。

 仁菜は嬉しそうに微笑むと話し出す。慎を救うための方法を。


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