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第二章 02 揺れる薄赤

 互いの瞳を見つめ合い対峙する二人の間には、まるで今この時間だけを切り取ったように、微かな音すらもない無音の空間が広がっていた。

 しかし、その沈黙も長くは続かず、不機嫌そうな表情を浮かべる男により破られた。


「お前、昨日俺の後ろにいたよな」


 漂う殺気に相応しい、重く暗い声が響く。

 大きいと思っていたが、背丈は紅葉とも大きくは変わらない。恐らく理人と同じか少し高い程度、外見の年齢もほぼ違わないのだろうが、その威圧感に紅葉の体はぞくりと震えた。

 声が震えるが、とにかく何か喋らなければ。そう思い、どうにかこうにか声を絞り出す。


「きっ、気づいてたの……?」

「まあな。ついでにお前たちが帰し屋ってのだってことも知ってる」

「……か、帰してほしい、わけじゃない……んだよね?」


 ああ、と目の前の男は小さく返事をした。

 恐怖心は残るとはいえ、割とまともに会話できていることを内心不思議に思う。あの殺気は、一言でも口をきけば殺される、と思うほどのものだったからだ。紅葉の勘違いかもしれないが、彼から感じ取れる殺気も、昨日ほど強烈ではないようだった。


「お前、この辺りにいる祓い屋を知らないか」

「え、祓い屋……?」

「そいつを見つけることができたなら、俺は町に帰ってもいい」

「やっぱり妖怪なんだね。祓い屋に、何か用事でもあるの?」


 問われ、漆黒の目を伏せて何事かを考えるように俯いたが、彼はただ小さくそっぽを向くだけだった。まるで、答える義理はない、とでも言いたげに。気まぐれな猫のようだった。

 一方の紅葉は、この妖怪がすぐに自分を殺す勢いではないと悟ると、ほんの少しだけ警戒心と恐怖心を解いて言った。


「……分かった。じゃあ私も捜す」

「本当か?」

「見つかるまで帰らない気なんでしょ? だったら捜すよ。妖怪を町に帰すのが私たちの役目だから」

「……そうか。じゃあ早速行くぞ」

「え、えっ!? ちょ、待って待って! 私今から学校が――……」


 言いかけた紅葉の言葉を無視し、男はぐいっと彼女の手首を掴んだ。

 慌てて放り投げられたままの鞄を拾い上げると、それと同時に男もずかずかと歩き出す。案の定といっていいのか、それは学校とは真逆の方向である。つまり、今来た道を戻るように進んで行った。

 これはもう、何を抗議したところで無駄だと分かった。


「ああ……これはもう、仕方がないか……」


 引きずられるように歩く中、ずっと握りしめていたピンク色の薄っぺらな携帯画面を覗く。慣れた手付きで欠席するという旨の文章を打ち込むと、打ち込んだ文章を確認することもなく、即座に理人の携帯向けて送信した。

 本来なら同じクラスである五十鈴に伝えるべきなのだろう。しかし、彼女は携帯電話を持っていない。それどころか、連絡手段が何一つないのだ。


「……よし、送信完了。ねえ、ちょっと!」

「何だ」

「名前は? まだ聞いてないよね」

「教える必要などない」


 スピードを落とす気配のないまま、妖怪は明らかに不機嫌な声色で言った。

 すっかり警戒心を失っているのか、諦めずに紅葉は反抗する。


「そんなこと言っても、呼びにくいじゃん。折角協力するんだから、それくらいいいでしょ?」

「……名なら、まずお前が先に名乗るべきだろう」

「あ、そっ、そうだよね。私は紅葉。代永紅葉だよ」

「……俺は時雨(しぐれ)だ」

「時雨、かあ……よろしくね。で、何の妖怪なの?」


 渋々といった風に男は名を告げた。

 しかし、その後の紅葉の質問には答える気がないらしく、再び口の端を結ぶ。


「ところでお前、祓い屋の場所知ってるのか?」


 紅葉の質問には答えないというのに、自分からは質問を繰り出す。

 そう問われたものの彼女は祓い屋の家など知らない。十四年と数か月の人生の中で、その家の人間に出会ったことがなく、また、きっとどこかには存在するのであろう、他の祓い屋に出会った経験も皆無だった。


「私は全然……。師匠なら知ってると思うけど」

「師匠?」

「私たちの師匠。けど、時雨は会わない方がいいと思う。師匠は妖怪が嫌いみたいなの。話すのも嫌がるかもしれない」

「……なるほど。帰し屋だというのに、おかしな話だな」


 時雨に連れられるままに、ただ足を進めていると、あっという間に古屋敷家へと舞い戻って来てしまった。数分前、慌てて飛び出した場所だ。


「学校休んじゃうけど……事情話せば許してくれないかなあ。私聞いてくるから、時雨はここで待ってて」


 返事もしない時雨を余所に、紅葉は玄関の戸を開け、中へと入って行く。

 学校が始まっているであろう時間に帰宅した紅葉に驚くそよかの声が、微かに外まで響いてきた。しかしそれは単なる驚きというよりも、紅葉の体調を案じて質問攻めにしている声だ。

 取り残された薄赤髪の妖怪は、風に着物の裾をはためかせながら、静かに呟く。


「妖怪は、何故嫌われてしまうのだろうな……」




 ―――数分後。


「時雨、おまたせ」

「気安く俺の名前を呼ぶな。人間風情が」

「……あのね、協力してあげるんだから少しは素直になってよ」


 時雨は、嫌だと言わんばかりに紅葉に背を向けた。

 

「で、分かったのか」

「何人かはね。でもこの人たちを全員訪ねるわけにも……。この辺りでも結構移動距離ありそうだし」


 紅葉は稜冶から預かったメモ帳を捲った。

 稜冶が知っている限りの祓い屋の名前と、住所や簡単な地図が記されている。彼曰く、祓い屋という名目だけで、仕事をほとんどしていない者や、数代前までしか帰し屋として機能していない家も含まれているらしい。そのせいなのか、少なくとも十件は超えているように見受けられた。

 

「祓い屋ってここだけでこんなにたくさんいるんだね。私知らなかったよ」

「……俺の捜している祓い屋は男だ。それ以外のことは知らない」

「え?」


 いつの間にメモを覗き込んでいたのか、時雨はぽつりとそう呟いた。

 紅葉はその言葉に従い、紙に刻まれたいくつかの女性の名前に赤いバツ印を重ねる。


「時雨が探してる人間は、本当にこの辺りにいるんだよね?」

「いる」

「どうして言い切れるの?」

「お前は質問が多いな。俺がいると言ったらいるんだ」


 ゆっくり歩を進める時雨の背中を見つめながら、紅葉は小さく息を吐いた。

 どちらかといえば、人間相手よりも妖怪を相手にした方が話しやすい彼女なのだが、この時雨という妖怪は珍しく相手にしにくい方かもしれない。気難しいというか、妖怪と人間との間に壁を作りたがるタイプだ。


「何をしに行くの?」

「だからお前は質問が多い」

「……それくらい教えてくれないと、私も何のために捜すのか分からないよ」

「嫌だ」


 時雨は短く告げると、紅葉の手の内からメモ帳を取り上げた。住所と地図を交互に眺め、再び乱暴に紅葉の手首を掴む。

 

「行くぞ」

「えっ!? ちょ、だから速いって!!」




 そこからは早すぎるほど淡々と物事が進んだ。

 古屋敷家から近い場所から順番に、書かれた住所を訪ねては時雨の記憶にある顔と照らし合わせた。

 捜し相手が祓い屋ということもあって、時雨の姿を見た瞬間に身構える者もいたが、すかさず隣で制止し、古屋敷の名を話に持ち出す紅葉を見ると、大抵の人間は落ち着きを取り戻してくれた。

 そんなことを繰り返しているうちに、メモ帳に記された名前と住所は半分ほど赤いバツで埋め尽くされていた。


「お前、結構名が知られているんだな」

「私じゃないよ。古屋敷家だから皆知ってるんだと思う。師匠は案外顔が広いみたいだしね」

「……妖怪嫌いの、帰し屋の師か」

「え?」

「何故妖怪は嫌われるのだろうな。ただそこに存在するだけで、危害を加えていないのに祓われる」


 時雨は、先ほどまでとは打って変わって、寂しげな表情で俯いた。微かに揺れる髪が、その目元に暗い影を作る。


「それは私にも分からないな。人間と妖怪は、頑張れば一緒に暮らすことだって夢じゃないと思う。今だってある意味そんな感じだし。……少なくとも私は、妖怪が好きだけどね」

「変な奴だな」

「あはは、かもしれないね。けど、妖怪と一緒にいる方が楽しいのは本当だよ。人といるより私らしくいられる」


 紅葉はすっかり心を許したように柔らかく微笑んだ。

 一方の時雨はその笑顔に一度目をやると、何も言わずに視線を逸らし、再び歩き出す。




「お腹空いた……」

「人間というのは不便な生き物だな」


 気づくと、もう学校でいう昼休みの時間はとうに過ぎていた。そろそろ五時間目が終わる頃だろうか。昼食後の睡魔に支配された教室の光景が目に浮かぶ。

 鞄の中にそよかお手製の弁当は入っているのだが、ずっと時雨に引きずられるように歩き回っていたせいで食べる暇もなかったのだ。


「人間はそういう体の構造なんだから仕方ないでしょ」


 時雨はやれやれといった風に首をかくんと曲げ、辺りをゆっくりと見渡した。

 腹の虫が鳴くのを抑える紅葉を一瞥し、無言のまま道を外れる。


「ちょっと時雨、どこに……! そっちに家ないよ!」

「腹減ってるんだろ」

「へ? そ、そうだけど」


 時雨は背を向けてずんずんと道なき道を進んで行った。何がしたいのか分からないが、その背中を見失うまいと紅葉も後ろに続く。

 木の枝や異常なまでに生い茂った雑草をかき分けて行くと、先ほどまでは全く見えなかったはずの社が姿を現した。社とはいったものの、それは遠目から見ても廃れているとはっきり分かるほどにボロボロである。屋根も柱も一部が崩れ、形を保っているのが不思議なほどだ。


「こんな所にも社あったんだね。時雨、知ってたの?」

「いや、見えたから来ただけだ。さっさと食え」

「え……まさかこれのために?」


 時雨は何も答えずに軋む社の床に腰を落ち着かせた。紅葉もそれに倣い、今にも抜けそうな床に座ると、鞄から弁当の包みを取り出す。

 紅葉は折角の機会だ、と思い、心の中でだけ彼に感謝しつつ、弁当の包みを解いて尋ねた。


「ねぇ、時雨」

「何だ」

「どうしてそんなに急いでるの? 早く祓い屋を見つけなくちゃならない理由でもあるの?」


 ほんの少し、返答するのを躊躇うように時雨は小さく俯いた。

 その黒い瞳はどこかぼんやりとしていて、それでも殺気だけは今までより少し増したように思える。瞬時にしまったと思い、紅葉は彼の返答を諦め、箸を取った。

 そのとき、時雨は微かに口を開く。


「時間がない」

「……時雨に? それとも、祓い屋に?」

「俺だ。……俺は近いうちに死ぬだろう。死ぬ前に、用事は済ませておきたいと思った。ま、そう考えているうちに帰し屋に会ったんだ。この世界で死を迎える前に、お前が町に帰してくれるんだろうがな」


 時雨はそう言って小さく笑った。いや、笑ったのかどうかは分からないけれど、どことなく安心しているように口元が緩んだのだ。

 紅葉は程よく甘い卵焼きの味を堪能しながら、とあることに気づいた。


「時雨、力、得てなかったの?」

「力……とは、他者を食らうことで得ることのできるというあれか?」

「うん」


 紅葉は時雨のその殺気や風貌から、てっきり人間や他の妖怪を食して寿命を先延ばししていると思っていた。それを、こんなにもあっさりと否定されるような素振りをされたのだから、驚かないわけがない。


「そう見えるか?」

「……そりゃあ、あんなに殺気放ってたらね」

「そうか。安心しろ。俺は人やら妖怪やらを食う趣味はない」

「そう……なんか、ごめん」


 小さく謝罪の言葉を述べ、ゆっくりと箸を動かし始める。

 その言葉を聞いたのか聞いていないのか、時雨はその体をぱたりと社の床に横たえた。疲労困憊という風には見えない。けれど、時間がないと言うからには、この体は完全な状態ではないのだろう。

 生い茂る木の隙間から見える青い空。微かに木の葉を揺らす爽やかな風。紅葉たち以外の人の気配も声もない、これ以上ないくらいの、とてものどかな空間。そして、ひっそりと目を閉じ、その空間に身を任せているように見える時雨。

 しかし、そんなのどかな空間に浄化されることもなく、未だに行き先不明の殺気だけは静かにその憎しみを訴え続けていた。



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