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第一章 03 木の葉の少女

 咄嗟に振り切った竹刀が、飛び掛かってきた少女の脇腹に直撃する。しかし、脇腹に当たったことが振動で手に伝わってから、理人はその違和感に少々力を弱めてしまった。外見は人間となんら変わりはないのに、まるで大木にでもぶつけたかのような感触が手元に響いてきたのだ。

 すぐに吹っ飛びそうなその華奢な外見に反して、少女はふわりと宙に浮き、綺麗な弧を描いたかと思うと、何事もなかったかのようにコンクリートの上に着地した。


「おま……っ!」


 言いかけた理人の言葉をも遮るように、少女はかくんと腰を落とし、思い切り地を蹴った。瞬間移動レベルの速さで理人の目の前で跳び、一瞬引いた右手を前に突き出すと同時に理人の首を押さえつける。


「ぐ、はぁッ!?」

「理人!!」


 あまりの速さに理人も対応することができない。電柱に背を預けたまま、力を振り絞って竹刀で少女の脇腹を突いてみても、やはり返ってくるのはあの感触。人間の腹部の感触ではない。

 少女は眉一つ動かさずに小さく口を開き、理人の首筋に顔を近づけた。


「くっ、そ……離、せっ!」

「……嫌」


 初めて聞く少女の声は、首を絞めている本人とは思えないほどに澄んでいて、どこにでもいる少女そのものだった。顔やぶかぶかな服から伸びた足を覆う乾いた血は、いくら妖怪であってもこの少女には似つかわしくない。

 少女は右手でギリギリと理人を押さえつけたまま、その首筋に冷たい歯をゆっくり突き立てた。


「理人を離して!!」


 距離を置いていた紅葉が声を上げ、理人の元へと駆け寄る。左手で軽く理人を支えるように押さえると、瞬時に少女の右腕の下辺りに一度拳をぶつけ、間髪入れずそのまま胸元目掛けて腕を叩き付けた。

 もちろん全く罪悪感がないわけではない。いくら妖怪だと分かっているからといって、外見はただの少女。それでも今は、大切な家族を守るために必死だった。


「……え?」


 反動で少女の手は理人から離れ、彼女自身も電柱を蹴り、跳ねるようにして二人から離れた。

 それでも飄々とした雰囲気は相変わらずで、紅葉のぶつけた腕の衝撃も、まるで紙屑が当たったかのように全く影響を及ぼしていなかった。

 

「……はあっ!! ぐ、ごほッ!!」


 電柱伝いにズルズルとへたり込み、酸素を求めて口を忙しなく開閉させる理人の顔は、これでもかというほどに真っ赤になっていた。ただ、幸いなことに首筋に歯が食い込む前に少女を退かせることができたらしい。


「理人、大丈夫?」

「ごほっ……く、はぁ……は、いち、おう」

「腕が痺れてる。あの子、普通の体じゃないみたい。すごく硬かった」

「……ああ、竹刀でぶっ叩いたときも、全然、びくともしなかった……」


 少女は一度大きくぐらりと揺れたかと思うと、今度はスッと背筋を伸ばして、真っ直ぐ二人の方を睨み付けた。


「強行突破もやむを得ないと思ってるけど……きっと、これはこの子の素顔じゃない。出来ることなら元に戻して帰してあげたいよ」

「……だよな。まあ、強行突破できるかどうかも微妙なところだし」


 妖怪の中には、自分たちを封印したり祓ったりする祓い屋という類の人間だけでなく、帰し屋にも怯える者がいる。

 なんでもそれは、紅葉と理人が帰し屋の仕事を任されるようになる前、彼らの師匠である稜冶の影響であるらしいのだ。帰し屋でありながら“妖怪嫌い”として通ってきた彼は、いつの頃からか妖怪の話を一切聞かずに、問答無用で妖怪を町に送り返していたという。稜冶がその頃何を思っていたのかは知らないが、その姿勢や眼差しは、妖怪から見れば祓い屋と何ら変わりなかったようだ。

 だからこそそんな師匠の姿を知った二人は、仕事を始めて以来、出来るだけ妖怪と心を通わせてから送り返すようにしていたのだ。

 しかし今の状況では、少女の動きから逃げるだけで精一杯だった。

 紅葉は無言のまま、サッと鞄のポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは、少々皺の寄った一枚の札。これを破いたり紛失しようものなら、もう打つ手はない。


「諦めるのか?」

「不本意だけど、今回は無理もないかな……とも思ってる」

「……だな。解決策考える余裕もあんまりないし」

「理人、動ける? 頼みたいことがあるんだけど」

「もう平気。任せろ」


 紅葉は真剣な眼差しで手短に頼みごとを伝えると、電柱の傍に鞄を下ろした。

 その横で理人はぶんっと竹刀を一振りし、真正面にいる少女の睨みに対抗する。少女の険しい瞳には相も変わらず光がない。

 

「……どうした、かかって来ないのか?」


 竹刀を構え、にやりと笑った理人が挑発する。普段の彼なら進んでこんなことをしようとは思わない。元々争いというものは好きではないし、露骨に相手を煽るのも好きではないのだ。

 しかし、今は敢えて少女に襲いかかって来てもらわねばならない。それが紅葉からの頼みごとだった。

 そんな挑発に乗ったのか、少女は一度ぐらりと体を揺らすと、小さく跳ねて駆け出した。速さは全く衰えていない。


「理人!」


 理人に飛び乗ろうと少女が地から足を離した瞬間、理人は瞬時に身を低くし、まず少女の腹部に竹刀を叩きこんだ。案の定、手が痺れるほどにそれは硬い。直接的な攻撃を加えることはできていなかったが、今の目的は彼女を傷つけることではない。

 呼吸する暇もなく、続いて少女の膝の辺りと足首を連続で下から上に向かって打ち上げる。大して勢いはなかったが、持ち上げられるような形で叩かれた足は宙に投げ出され、必然的に上半身が下がる。

 最後に首から背にかけてを軽く叩くと、少女は一回転するようにして肩から地に落ちた。

 少々可哀想な気持ちにもなるが、そんなことを気にしている場合ではなく、すぐに理人は少女の頭を地から離さないように彼女の首に竹刀を添えた。声は出さずとも体が痛いのか、目を回しているのか、はたまた諦めたのか、少女からの抵抗は消え失せている。


「ありがとう、理人」

「思ってた以上にすんなり済んで良かったよ。紅葉、早く」

「うん……ごめんね、でもきっと、町に帰れば元に戻れるよ」


 小さく苦笑した紅葉は、ゆっくりと少女の横でしゃがみ込み語りかけた。握りしめていた札を少女の胸元に貼り付ける。

 その瞬間。


「……え?」


 離れようとした紅葉の手が、勢いよく掴まれた。掴んだ相手は、目の前で倒れたまま理人に首元を抑えられている少女。

 しかし、思いの外、その掴んだ手には力が入っていない。むしろ雨に濡れた子犬のようにぶるぶると震えていた。


「お前、まだ戦う気で……!」


 思わず理人が竹刀に力を込めると、少女は大きく息を吸い込むように口を開けた。いつの間にか見開かれた目には光が燈っていて、カタカタと小刻みに震えながら二人の姿を凝視していた。僅かに薄い膜を張った熱い涙が、ほんの少しだけ煌めく。

 少女の口からは、本日二度目の声が漏れた。


「ち、ちが、違うんです! 待って……私、祓われたくない…!!」

「え?」

「お願いします、お願いだから、祓わないで……!!」

「……理人、退けてあげて」


 言われて理人が竹刀を少女の首から退けると、少女は転がるように二人から離れ、目を見開きガタガタと震えていた。その姿からは、先ほどまで暴れていたあの姿も、群衆の中に残されたあの血溜まりも思い出されない。ただの少女そのものだった。

 紅葉は少女を怯えさせないよう、ゆっくり這うようにして彼女に近づいた。


「ひ、うっ……ごめんなさい、ごめんなさい!!」

「ちょっと待って。私たち、貴女を祓ったりなんかしないよ」

「……え?」


 でも、と小さく漏らした少女の視線が、僅かに胸元の方へと向いた。

 どうやら自身に貼られた札を見て、二人を祓い屋だと勘違いしたらしい。そして、それと同時に我に返ったようだ。


「その札、貴女を町に帰すためのものだよ。安心して」

「祓い屋じゃ、ないんですか……?」

「違うよ。私たちは帰し屋っていう、妖怪を元の場所に帰す仕事をしてるの。祓い屋とは全然違うよ」

「帰し、屋……?」


 涙を滲ませながら、少女は安堵の息を吐いた。すんなりと状況を飲み込んだというわけではないらしく、見開かれた目はそのまま大きく瞬きをする。

 紅葉はそんな少女を見て小さく微笑み、とりあえず、と彼女の胸元の札を剥がした。


「うあ、あ、あの、私、本当に町に帰れますか……?」

「うん、帰れるよ」

「……何だよ、さっきまでと別人じゃねえか。もしかして俺たちのこと騙してる?」

「ちっ、違います!!」


 竹刀を筒に収めつつ理人が尋ねると、少女は身を乗り出して否定した。 

 しかし、大声を出してしまったことをすぐに詫び、身を引いて姿勢を正す。少しの沈黙の後、少女は薄く口を開いた。


「わ、私はただ、町に帰りたいだけなんです」

「……じゃあ、その血は」


 ばっと顔を隠すように頭を下げ、少女は服の袖で顔を拭った。とはいっても、服に付くのは頬を濡らしていた涙ばかりで、乾ききった血は全く取れる気配がない。

 皮膚が擦り切れるのではないかというほど擦るが、どちらにせよ服についた血まで誤魔化せるとも思えず、どうにも諦める他ないと分かると、少女は申し訳なさそうに地に両手を触れさせた。


「申し訳ありません。初めは、人を襲うつもりはなかったんです。けど、生きていくためにどうしても血が必要で……。しばらくの間は我慢してたんですが、だんだん、体が言うこと聞かなくなって、その、ごめんなさい……そうしないと、私っ……私も消えちゃうし、町の木も死んじゃうから……!」


 混乱しているのか単に感情が溢れて来てしまっているのか、話しているうちに再び涙声になる。

 妖怪といえど外見は小さな少女。幼い子を苛めて泣かせてしまっているようなこの状況に、紅葉は少し焦りを感じ、出来る限り優しい声色で少女に問いかけた。


「町の木って何のこと?」

「あ、え、えっと……」


 何度か左右に視線を泳がせた末に、少女は長すぎるほどの袖の裾を掴み、ぐいっと捲り上げた。ついでにゆったりとした上着も僅かに浮かせる。

 冷たい空気が撫でるそれは、明らかに人間のものではない。

 ずっと厚手の布に覆われていた腕に、生身の人間の肌に見えるようなものは何もない。確かに手にはしっかりと五本の指らしきものがあるのだが、腕自体は一言で表すと“木の枝”だった。さらに服の裾から覗いて見える腹部は、これもまた、立派な“木の幹”のように見える。


「これ……」

「なるほどな。俺の竹刀も、紅葉の力も通じないわけだ」

「これじゃあ、手が痺れるのも当たり前だよね」


 苦笑する二人に一瞬だけ視線を向けて、少女はささっと服の裾と袖を元に戻した。無言のまま、再度コンクリートに手を這わせ、土下座でもする勢いで深々と頭を下げる。

 下を向いているためにはっきりとは聞こえないが、それでも少女は短く自己紹介の言葉を述べた。


「私は、“ 樹木子(じゅぼっこ)”。名を、 樹芝(きしば)と申します」

 

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