とある勇者の話
勇者である少年は目の前の出来事を呆然と眺めながら思った。今までの日々は何だったのだろうか? と。
少年は召喚されたあの日から、魔王を倒す為だけに戦ってきた。
「魔王を倒せば元の世界に還してやろう」
最初に聞いた時、少年は何様だ。と思った。
しかし、ついさっきまで平和な世界で平凡に過ごしてきた少年はそうするしかなかった。
それからはひたすらに戦った。殺して殺して殺して。
勇者として自分が完成していくことを周りは喜んだ。
だがそれは同時に少年が少年ではなくなっていくのと同義だった。
戦いのなかで信頼出来る仲間を得て、愛する人も出来た。
いつしか少年は元の世界の事をあまり思い出さなくなった。それどころか還りたくもなくなった。
それは愛する人が出来たからなのか、もはや勇者となった自分は元の世界に戻れないと悟ったからなのか、それとも……。
召喚されてからはや3年。とうとう魔王と対決する時がきた。
今はもう、霞んでしか思い出せない元の世界。少年――いや勇者は、はじめはそこに還るために戦っていたが今はちがった。
勇者は負けるなんて微塵も思っていなかった。だからといって別になめていたわけではなかった。
だが勇者は負けた。
考えてみれば普通の事だ。五百年生きてきた魔王に、たかだか三年頑張っただけの勇者が勝てるはずが無かった。
魔王は勇者の仲間を惨殺し、勇者の愛する人を犯しながら言った。
「どうだ? 勇者。目の前で愛する人が犯されるのは」
拘束されている勇者は魔王に攻撃する事も、愛する人が犯されていることから目を背ける事も、耳を塞ぐことも出来ない。
勇者は神様を呪った。なぜ、俺を異世界に召喚した。なぜ、僕と愛する人を出逢わせた。そもそもなぜ魔王を生み出した。なぜ……なぜ……ナゼ……。
しばらく魔王の行為を見せ付けられた。魔王がなにか話していたようだが、勇者には聞こえていなかった。愛する人は泣いていた。
それを勇者は見ている事しかできない。
なぜだ。なぜ……。
すると、その問いかけに答える声が聞こえてきた。頭に響く不思議な声だ。
なぜだろうな。自分が創造したくせに、神はなにもしない。自分の都合で呼び寄せた勇者でさえ助けようとしない。
――お前は誰だ。
俺か。俺はお前達に邪神と呼ばれている存在だ。お前に力を貸してやろうと思ってな。
何故だ。
神――邪神の気まぐれさ。
その時魔王が不意に犯すのを止めた。
「これも飽きたな」
それだけ言うと、魔王は愛する人を殺した。
あまりにもあっさりと。
愛する人の顔は絶望しながらも、最後まで勇者の事を心配して死んでいった。
その顔を見たとき、勇者の中で何かが音を立てて切れた。
おい、邪神とやら。力を貸してくれるんだろ。貸せ。
力をあげてやるが代償がいる。それでもいいのか?
ごちゃごちゃ行ってないで寄越せ。僕は魔王を殺す。絶対にコロス。コロスコロスコロス。
いいだろう。お前がこれからどうなるのか楽しみだ。
その声が聞こえなくなるのと同時に、勇者から闇の魔力、魔王の魔力より黒く禍々しい魔力が吹き出した。
拘束していた魔法を弾き飛ばし、魔王が反応出来ないスピードで接近し蹴り飛ばした。
勇者は愛する人の亡骸にそっと手を添え、自分の禍々しい黒の魔力を見ながら言った。
「君が好きだって言ってくれた光の魔力の色。無くなっちゃった。ごめんね。ごめんね」
止まらない涙を流しながら、勇者は謝った。自分でもなにに謝っているのか分からなかった。
ひとしきり泣いたあと、立ち上がり倒れている魔王に向かって言った。
「楽に死ねるとおもうなよ」
そこには、愛する人と、仲間と笑いあっていた勇者は既にいなかった。
魔王を殺したあとにやって来たのは、虚無感だった。元勇者にはもう、なにをすればいいのかわからなかった。
「僕は何をすればいいんだ。君のいないこの世界で」
その声はそのままとけていき、それに応える者はいなかった。
「もう……疲れたよ」
元勇者は死のうと決めた。愛する人がいないならもう生きている意味なんてなかったからだ。
元勇者は愛する人と仲間を弔った後、死のうと幾つかの方法を試みたが、死ねなかった。
そう、邪神の言っていた代償とは不老不死になることだった。
元勇者はそこでただなにをする訳でもなく、長い長い時間を過ごした。そしてそれは何かを待っているようでもあった。
ある時魔王の部屋の扉が開いた。そこには背中の中程まで伸ばした美しい黒髪の女性がいた。
雰囲気は凛としていた。そして何より、光の魔力を身に纏っていた。
その魔力は元勇者が勇者だったころよりも綺麗な光の魔力だった。
黒髪の女性は元勇者――少年に尋ねた。
「貴方が魔王か」
外に出なかった少年には分からなかったが、少年の禍々しい黒の魔力のみで周辺の魔獣達がかなり活性化していた。
少年は答えた。
「魔王はもう死んだよ」
黒髪の女性は尋ねた。
「ならば、貴方が纏っているその禍々しい黒の魔力はなんだ」
少年はそういえばそんなものもあったな、とボンヤリ思いながら答えた。
「ああ、それなら僕は魔王なのかもしれない。そうしたら、君は魔王を討つ勇者と言ったところか」
少年は続けて言った。
「君は僕を殺してくれるのか?」
少年はあるいはこの時を待っていたのかもしれない。
黒髪の女性は言った。
「確かに私は召喚された勇者だ。しかしなぜ、貴方は泣いている」
少年はいつの間にか自らの頬を伝ってきた涙を拭いながら呟いた。
「涙なんてとっくに枯れたと思ったのになあ」
気付けば少年は現勇者にぽつぽつと語り出していた。
それは、誰かに話をきいて欲しかったのか、相手が同じ境遇になった勇者だからなのか、その現勇者が愛する人と少し雰囲気が似ていたからなのか。
全てを語り終えた時、不意に少年は温もりを感じた。それは随分と久しい感覚だった。
現勇者が言わんとしていることは、それだけで元勇者の少年に伝わった。少年は声をあげながら泣いた。
そして元勇者は思った。僕みたいな人を、勇者を生み出させないために、僕はこの世界で――――