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第五章 選定試験、はじまる

 翌朝の通知は簡潔だった。


「本日午前、第一回選定試験を行います。場所は王宮図書館。内容は教養と判断力の審査。所要時間は二時間の予定です」


 教養と判断力。なるほど、貴族らしい試験内容だ。


 問題は私が貴族ではないことだが——まあ、転んでもただでは起きない。父の書棚は薬草書だけではなかった。薬の調合に歴史書、王国の法律、地理、相場。商人の娘は意外と勉強している。


 図書館に入ると、五人の候補者は別々のテーブルに案内された。試験官は二名——ヴァルターと、見知らぬ青年だった。


 二十代前半、白衣に眼鏡、淡い茶色の髪。審査員でも補佐でもない雰囲気——どちらかというと学者か、医者か。


 ヴァルターが試験の説明をする間、私はその青年を観察していた。彼も私を観察していた。視線が合う。彼は少し驚いた顔をして、それから小さく会釈した。


 試験が始まる。


 問題は王国の歴史・外交・礼儀・算術・語学の五分野にわたっていた。正直、礼儀と語学は自信がない。でも他の三つなら——薬の相場は算術の応用だし、顧客相手の商売は外交に似ている部分がある。


 集中して答えを書き込んでいたとき、隣の席から微かな音がした。


 ペンが、床に落ちる音。


 続いて、椅子が引きずられる音。


 顔を上げると、赤みがかった茶髪の侯爵令嬢——名前はまだ知らない——が、テーブルに額を押しつけるように俯いていた。肩が小刻みに震えている。


 試験官の青年が立ち上がりかけた。


 でも私のほうが早かった。


「失礼します」


 席を外す許可も取らずに、隣のテーブルに近づく。令嬢の呼吸が浅い。顔色が悪い。鼻を利かせると——あの匂いだ。甘ったるい、催眠系の薬草の匂い。でも昨日の茶会とは違う種類。これは経口摂取型だ。


「いつから気分が悪いですか」と私は小声で聞いた。


 令嬢が顔を上げる。潤んだ瞳で私を見て、「……今朝から。朝食の後から……」


「吐きましたか」


「いいえ」


「口を開けてください」


 令嬢が戸惑いながら口を開ける。舌の色、歯茎の色。そして——喉の奥から、かすかに薬草の残香。


「眠り薬の一種です」と私は立ち上がって、試験官の青年の方を向いた。「少量なので命に関わりませんが、横にして安静にさせてください。水と、もし可能なら解毒用の——」


「蜂蜜水ですね」


 青年が静かに言った。眼鏡の奥の目が、真剣な光を帯びている。


「ええ、それが一番手早い。あと——」


「薄めた酢も効果的です。甘味系の毒素を中和する」


 私は少し驚いた。


「ご存じなんですか」


「一応、王宮医です」彼はすでに棚から備品を取り出しながら言う。「エリアス=ハルト。きみは?」


「アリア・ローゼンベルグ。薬商の娘です」


「薬商の娘が候補者に」エリアスは眼鏡を押し上げ、わずかに笑った。「珍しい」


「よく言われます」


 隣でヴァルターが令嬢を横向きに寝かせていた。無言で、だが素早く的確に。白い外套が床に広がる。


「試験は」と令嬢が震える声で言う。「試験が、まだ……」


「中断する」ヴァルターが静かに言った。「全員、一度退出を」


 他の四人の候補者が立ち上がり、ざわめきながら図書館を出ていく。金髪のミレイユだけが出口で一瞬振り返り、私を見た。


 最後に退出しようとした私の腕を、エリアスがそっと掴んだ。


「ローゼンベルグさん。毒物の特定、手伝ってもらえますか」


 私は一瞬だけためらってから、頷いた。


---


 廊下の端で、エリアスが問診票を書きながら私に質問を続けた。症状の出方、匂いの種類、推定される薬草の種類——話していると、彼が本物の医者だということがよくわかった。


「催眠系の経口薬、しかも少量で朝食後から効いている、となると……」エリアスはペンを走らせながら呟く。「朝食そのものに混入か、食器に残っていたか。あなたは今朝、何か異変を感じましたか」


「私の部屋は昨夜確認しました。問題はなかったです」


「昨夜確認した」彼は顔を上げた。「入ってすぐに?」


「到着した日から」


 エリアスがペンを止めた。


「……それはなぜ」


「前の住人が三日前まで使っていた部屋だったので」


 静寂。


 エリアスの表情が、かすかに曇った。眼鏡の奥の目が、何かを知っているように揺れる。


「前の住人というのは」私は試した。「今どこにいるんですか」


「……それは」


「エリアス」


 廊下の奥から声がした。


 レオン=クロイツが歩いてくる。昨日と同じ群青の瞳、同じ無表情。でも足取りは速い。


「状況は」


「候補者一名、催眠薬の経口摂取と思われます。命に関わりはありません」とエリアスが答える。「このローゼンベルグさんが早期に気づいてくれました」


 レオンが私に視線を向けた。


「また、か」


「また、とは?」


「きみはよく気づく」


 それだけ言って、レオンはエリアスと共に図書館の中に戻っていった。


 廊下に私一人が取り残される。


 また、か。


 また——という言葉が引っかかる。まるで、私が何かに気づくことをあらかじめ知っていたかのように。


 廊下の窓から白薔薇の庭が見えた。


 昨日の今日で、今度は候補者が実際に倒れた。


 茶会の眠り草は様子見で、これが本命だったのか。


 それとも、これも「誰かの試験」なのか。


 ——鼻が告げる。この宮殿で、まだ何かが起きようとしている。


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