第二章 甘い罠の作り方
与えられた部屋は、想像よりずっと豪奢だった。
天蓋付きのベッド、壁一面の鏡、銀の燭台に揺れる炎。薬商の娘が一生かかっても縁のない空間だ。普段なら思い切り感動するところだが、今は正直それどころじゃない。
「失礼します、ローゼンベルグ様。お荷物をお運びしました」
侍女が二人がかりでトランクを部屋に置く。
「ありがとう。あの——」
私は慎重に言葉を選んだ。
「この部屋、前の方はいつまでいたの?」
侍女たちの動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
「……三日前まで、ご使用されておりました」
「そう」
三日前。それだけで充分だった。
荷解きを終えた侍女たちが退出すると、私はすぐに部屋の中を一周した。窓、鍵、燭台、花瓶——そして鼻を利かせながら、隅から隅まで確認する。
やはり、あった。
ベッドの脚の裏側に、乾いた薬草の欠片。微量だが、これは睡眠薬の一種だ。前の使用者に使われたのか、それとも次の誰か——つまり私に向けて仕掛けられたのか。
私はそっとそれを摘み上げ、ハンカチに包んだ。
笑えない状況が、更新された。
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夕食は候補者全員が揃う「顔合わせの会」という形で行われた。
広間に入った瞬間、視線が集中する。令嬢たちの値踏みするような目——まあ、わかる。私のドレスは明らかに他の四人より格が落ちる。
四人。みんな、絵に描いたような美女だ。
金髪の伯爵令嬢、黒髪の公爵令嬢、赤みがかった茶髪の侯爵令嬢、白銀の髪の子爵令嬢。そして薬商の娘の私。場違い感がすごい。
それでも笑顔を作って席に着いた、そのとき。
「やあ、きみが噂の平民枠?」
背後から声がした。
振り返ると、男が立っていた。
蜂蜜色の髪に、翠色の瞳。品のいい笑みを口元に浮かべて、いかにも慣れた様子で椅子の背もたれに手をかけている——私の、椅子の。つまり、距離が近い。かなり近い。
「……どなたですか」
「シリル。シリル=アシュレイ」
アシュレイ。どこかで聞いた名だ、と思って一秒後に血の気が引いた。
宰相家。王国で最も政治力を持つ家のひとつ。
「宰相家の方が、なぜ候補者の夕食の場に」
「審査員の補佐、という立場でね」と彼は涼しい顔で言う。「でも今は業務外だよ。純粋に気になって来ただけ」
「何が気になったんですか」
「きみが」
さらりと言ってのける。
私が返答に迷っているあいだに、シリルは当然のように私の隣の椅子を引いて座った。そしてテーブルに肘をついて、ほんの少し顔を近づけてくる。
「平民がどうやってこの場に入ったか、興味があってね。枠の出所、調べたよ」
心臓が冷える。
「……それは」
「大丈夫、黙ってあげる」
翠の瞳が、柔らかく細くなった。
「お礼は後でもらうから」
笑顔のまま、シリルは手を伸ばしてきた。テーブルに置いていた私の手の甲に、軽く指先を乗せる——ただそれだけなのに、場の空気が変わった気がした。
「何を——」
「確認したかっただけ。冷たいね、きみの手」
「緊張しているので」
「緊張するようなことは何もないよ」彼は指を離し、ワイングラスを取り上げた。「俺は敵じゃない。今のところは」
今のところ。
その言葉の重さを噛み締めながら、私は前を向いた。
広間の入り口に、白い外套が見えた。
ヴァルター=クロイツが、こちらを見ていた。翠の瞳と金の瞳が、私を挟んでしばらく交差する。
審査員と補佐が、同じ方向を見ている。
——この後宮、ぜんぶが罠に見えてくる。
父よ。笑えという言葉の意味が、少しだけわかってきた気がする。




