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第十一章 銀色の記憶

 眠れなかった。


 天蓋のついたベッドで天井を見上げながら、何度も同じことを考えた。


 母は同じ場所で、同じことをして、死んだ。


 十年前。私が七歳のとき。


 幼い頃の記憶の中の母は、いつも手が薬草の匂いをしていた。仕事から帰ると私の頭をくしゃくしゃと撫でて、「今日は何を覚えた?」と必ず聞いた。答えられると嬉しそうに笑った。答えられなくても怒らなかった。


 その人が、今の私と同じ場所に立って——消えた。


 夜明け前に起き上がり、薬草園に向かった。


---


 早朝の薬草園は霧がかかっていた。


 呼吸のたびに白い息が出る。棚の間をゆっくり歩きながら、昨日ヴァルターが確認したネムリソウの株を見る。摘み取り痕は増えていない。今夜は誰も来なかった。


 奥の棚の前で、気配があった。


「また来たか」


 振り返らなくてもわかった。ヴァルターだった。


「殿下こそ、こんな早くから」


「見回りだ。毎朝している」


 毎朝。それは知らなかった。私が昨日来たとき、ヴァルターがすぐに現れたのは偶然ではなく、日課だったからか。


 彼が隣に並んで、ネムリソウの株を見た。


「増えていない」


「はい」


「昨夜の晩餐会の一件で、しばらく手を止めたかもしれない」


「それとも別の方法に切り替えたか」


「そうかもしれない」


 しばらく二人で、霧の中の薬草を見ていた。鳥の声が遠くから聞こえる。


「母の話を聞きました」


 私から切り出した。ヴァルターが視線を向けるのを感じたが、前を見たまま続けた。


「エリナ・ローゼンベルグ。十年前の王宮薬師です。殿下はご存じでしたか」


 長い沈黙があった。


「……知っていた」


 やはり、そうだった。


「いつから」


「最初から。きみが来ると聞いたとき、名前で気づいた」


 ローゼンベルグ、という名字で。


「母を、知っていたんですね」


「ああ」


 ヴァルターが、ゆっくりと歩き始めた。薬草の棚の間を進む。私もその横に並ぶ。


「十年前、私は十三だった」


 静かな声だった。淡々としているのに、いつもと少し違う。


「レオンの剣術の稽古に付き合って、転んで膝を切った。侍医に診せるほどではなかったが、血が止まらなくて困っていたところを——」


「母が」


「薬草園を通りかかったエリナさんが、その辺の葉を摘んで貼り付けてくれた。止血になるやつだ」


 ちょっと笑えるような話だ。でも笑えなかった。


「それからですか、母と」


「顔見知りになった。薬草園で時々会った。彼女はよく話しかけてくれた——子供扱いしない話し方をする人だった」


 わかる、と思った。母はそういう人だった。


「きみに初めて会ったとき」ヴァルターは立ち止まった。「目が同じだと思った」


 振り返った彼の金色の瞳が、まっすぐに私を見ていた。


「鼻が利くところも。薬草に躊躇なく触れるところも。知らないことを知らないと言えるところも」


 胸が痛かった。嫌な痛さじゃない。でも痛い。


「だから、きみはここで倒れるべき人間ではない、と思ったんですね」


 ヴァルターが少し目を伏せた。


「エリナさんが倒れたとき、私は何もできなかった。十三の子供で、事情も何もわからなかった。ただ、薬草園にその人が来なくなって——それだけだった」


「殿下のせいじゃありません」


「わかっている」


「わかっていても」


「……ああ」


 認めるような、短い応答。


 霧の中で、白い外套が静止している。この人は十三のあの日から、ずっとこれを引きずっていたのかもしれない。言葉にもせず、誰にも言わず、ただ毎朝薬草園を確認することで。


「母は」と私は言った。「ここが好きだったんでしょうか」


「毎日来ていた。仕事でも、仕事が終わった後も」


「そうですか」


 私は膝の高さにある薬草の棚に手を伸ばした。ラベンダーの葉を一枚、指先でそっと触れる。母もこうしたのかもしれない。


 不意に、大きな手が上から重なってきた。


「っ」


 ヴァルターの手だった。私の指の上に、自分の指を重ねて——それ自体気づいていないかのように、同じ葉に触れている。


「……殿下」


「ああ」


 気づいたらしく、すぐに手が離れた。珍しく、ヴァルターが視線を逸らした。


「……すまない」


「いいえ」


「無意識だった」


「大丈夫ですよ」


 沈黙が落ちた。でも気まずいわけじゃない。霧の中、薬草の匂いの中、なんとなくそのまま二人で立っていた。


「アリア」


 名前を呼んだのは初めてだった。


「はい」


「エリナさんのことを——きみに話せてよかった」


 それだけ言った。それ以上は言わなかった。でもその一言の重さを、私はちゃんと受け取った。


「私も、聞けてよかったです」


 霧の向こうで、鳥が鳴いた。


---


 朝食を終えて部屋に戻ると、扉の下に小さな紙が挟まっていた。


 差出人の名前はなかった。ただ一行だけ書いてある。


 ——『ディアスは鍵だ。本人に会え。』


 シリルの字だと、なんとなくわかった。


 ルチア=ディアス。最初の被害者で、今は実家に帰っている。不審者のメモにも残っていた名前。


 鍵。


 私は紙を握りしめたまま、次にすべきことを考えた。実家に帰った元候補者に、どうやって会いに行くか。後宮の外には出られない——普通なら。


 でも普通じゃない方法を考えるのは、薬商の娘の得意技だ。

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