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第一章 後宮に咲く毒花

 死にたくなければ、笑え。


 父からそう言われたのは、王城の門をくぐる五分前のことだった。


 アリア・ローゼンベルグ、十七歳。王都の小さな薬商の娘。自慢といえば、幼い頃から叩き込まれた薬草の知識と、転んでもただでは起きない根性くらいのものだ。


 そんな私が今、歴代最多・五人の候補者が争う「後宮入り選定」に参加させられている。


 理由は簡単。父が多額の借金をしていたから——正確には、借金のカタに「後宮入り候補枠」を押しつけられたから、だ。そういう売り買いが、貴族の世界では普通に行われているらしい。知らなかった私が馬鹿だったのかもしれない。


 まったくもって笑えない。


「候補者ローゼンベルグ。こちらへ」


 案内役の侍女に連れられ、大理石の廊下を歩く。白と金の装飾が目に眩しく——そして、かすかに鼻をつく匂いがした。薬草か、それとも毒か。どちらにせよ、この廊下で誰かが何かを使った痕跡だ。侍女は気づいていないらしい。薬商の娘として育った鼻は、こういうときだけ役に立つ。思わず足がすくんだ。


 角を曲がりかけた私の体が、ぐらりと傾く。


 しまった、ドレスの裾を踏んだ。


 床に叩きつけられる未来を覚悟した次の瞬間、太い腕が腰を掴んだ。


「っ——」


 声も出なかった。


 気づけば、見知らぬ男の胸に抱き込まれていた。甲冑の上から伝わる体温が、やけに高い。


「……足元が不安定だな」


 低い声が、頭のすぐ上から降ってきた。


 恐る恐る顔を上げると、銀髪に鋭い金色の瞳。二十歳そこそこに見えるのに、その眼差しには妙な重みがある。


 王宮騎士団の白い外套。胸の紋章は——まずい、かなり位が高い。


「あ、の……ありがとうございます、騎士様」


 慌てて体を離そうとしたが、腰に回った腕はびくともしない。


「急ぐな。骨格を確認している」


「こ、骨格?」


「転倒の衝撃で折れていないか」


 大真面目な顔でそう言いながら、男の指先がするりと背中を撫でる。診察、なのだろう。なのだろうが——


 心臓がうるさい。


「……異常なし」


 ようやく腕が解放された。


「候補者か」と男は私の胸元の名札を一瞥し、それだけ言って踵を返そうとする。


「あの!」


 気づいたら声をかけていた。振り返った金色の瞳が、少し細くなる。


「お名前を聞いてもいいですか。お礼を言いたいので」


 男はしばらく無言で私を見つめ、


「ヴァルター」


 名字も称号もない、たった一言を残して廊下の奥へ消えていった。


 侍女が隣で小さく震えているのに気づいたのは、その背中が見えなくなってからだ。


「ローゼンベルグ様……今のお方が誰かご存じですか」


「騎士の方ですよね?」


「王弟殿下です」


 ——王弟。


「……え?」


「第一王子殿下の弟君、ヴァルター=クロイツ殿下。後宮入り選定の、審査員です」


 私は静かに、深く、息を吐いた。


 死にたくなければ、笑え。


 父よ、これは笑える状況じゃない。


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