劉邦、ギルドを創る
咸陽への道は長く、秦の法は厳しい。
亭長・劉邦は、村から徴発された夫役の人夫三十人を護送していた。しかし出発から三日目、すでに五人が逃げ出していた。五日目には十人。七日目には十五人。
劉邦は、数を数えるのをやめた。
「またか……」
劉邦は溜息をついた。秦の法では、護送中に囚人や夫役を逃がせば、監督者も同罪だ。このままでは咸陽に着く前に、自分の首が飛ぶ。
その夜、劉邦は残った人夫たちと焚き火を囲み、持っていた酒を全て開けた。
「なぁお前ら」
劉邦は酔った勢いで言った。
「もう知らん。お前ら全員逃げろ。どうせ俺も処罰されるんだ。だったら俺も逃げる」
人夫たちは顔を見合わせた。しかし誰も立ち上がらない。
「劉邦の兄貴」
犬肉屋の樊噲が口を開いた。
「俺たち、兄貴についていきますよ」
「なんで……?」
劉邦は本気で困惑した。自分は別に特別なことは何もしていない。ただ、人夫たちと同じ飯を食い、同じ地面で寝て、たまに酒を分けただけだ。
「だって兄貴、他の役人みたいに偉そうにしないし」
「飯も一緒に食うし」
「なんか、一緒にいて楽なんすよ」
劉邦は頭を抱えた。
「お前ら……逃げないと死ぬぞ?」
「兄貴と一緒なら、まあいいかなって」
なんだこいつら。俺について来たって、どこかで野垂れ死ぬだけだ。でも、一人でないというのが嬉しかった。
翌日、一行は山道を進んでいた。劉邦はまだ二日酔いだった。
「兄貴、でけえ蛇です!」
道を塞ぐように、白い大蛇が横たわっていた。太さは人の胴体ほどもある。
「うわ、気持ち悪……」
酔った頭で、劉邦は腰の剣を抜いた。
「邪魔だ。どけ」
ザシュッ。
一刀両断。
人夫たちが息を呑んだ。
「こ、これは……」
県の役人である蕭何が、震える声で言った。
「白蛇……白帝の象徴。秦は白帝の子と称している」
「そして劉邦殿は、酒に酔って顔を赤らめている。……赤帝の子だ」
「つまりこれは、赤帝の子が白帝の子を討つ前兆……!」
劉邦は蛇の死骸を見下ろした。
「いや、ただの蛇だし……」
しかし止まらなかった。噂は村から村へ広がり、「赤帝の子・劉邦」の名は瞬く間に知れ渡った。
三日後、集団は五十人に膨れ上がっていた。
一週間後、百人を超えた。
県の獄吏・曹参が加わった。地元の若者が続々と集まった。
劉邦は完全に困惑していた。
「なんでこんなことに……」
蕭何が隣で微笑んだ。
「劉邦殿には、人を惹きつける何かがあるのですよ」
「ねえよ。俺ただの酒好きの亭長だし」
陳勝・呉広の乱が勃発したのは、それから間もなくのことだった。
「王侯将相、いずくんぞ種あらんや!」
農民たちの叫びが天下に響き、各地で反乱が起こり始めた。
劉邦の元には、すでに三百人近い男たちが集まっていた。
「劉邦の兄貴を王に担ぎ上げよう!」
樊噲が声を上げると、他の者たちも呼応した。
「そうだ!赤帝の子を王に!」
劉邦は両手を上げた。
「待て待て待て」
焚き火の前で、劉邦は本音を吐露した。
「いいか。俺は死ぬのが怖いわけじゃない。でも王になる能力がない。戦の才もない。政治もわからない」
「お前らを率いて王になって、そして負けたら、お前ら全員死ぬんだぞ?俺はお前らを死なせたくないんだ」
静寂が落ちた。
その時、蕭何が前に出た。
「劉邦殿。実は……報告があります」
「なんだ?」
「沛の男たち、十五歳から四十歳まで……ほぼ全員、ここに集まっちゃいました」
「ええっ!?」
劉邦は周囲を見回した。確かに、見知った顔ばかりだ。
「つまり劉邦殿、もう逃げられないんです。この男たち全員の命が、あなたの判断にかかっている」
劉邦は嘘だろと頭を抱えた。
その夜、蕭何は劉邦を呼び出した。
「劉邦殿。『王』になるのが怖いなら、発想を変えましょう」
「どういう意味だ?」
蕭何は懐から竹簡を取り出した。
「反乱軍の王になれば、負ければ一族皆殺し。しかし『傭兵組織』ならどうです?」
「傭兵……?」
「そうです。我々は誰の臣下でもない。依頼を受け、報酬を得る。雇い主が滅んでも、我々は次の契約先を探せばいい」
樊噲が首を傾げた。
「それって盗賊と何が違うんで?」
蕭何は微笑んだ。
「契約書があるかないか、だ」
蕭何は竹簡を広げた。そこには、すでに『依頼書』の様式が書かれていた。
依頼書
依頼主:
依頼内容:
報酬:
期限:
署名:
「この書面があれば、我々は正当な報酬を得る『冒険者』です。盗賊ではない」
劉邦は目を見開いた。
「蕭何……お前、いつこんなもん考えたんだ?」
「三日前から」
「早っ!」
曹参が腕を組んだ。
「なるほど……契約が終われば、我々は自由に次の依頼を選べる。負けても全員死刑にはならない」
「その通り。そして依頼主には、我々を『配下』ではなく『外部の専門家』として扱わせる。対等な関係だ」
劉邦は竹簡を見つめた。
「でも……そんなうまくいくか?」
蕭何は別の竹簡を取り出した。
「実は、もう最初の依頼が来ています」
依頼書
依頼主:沛県豪族・王陵
依頼内容:県城を占拠した秦の残党三十名の排除
報酬:黄金百斤、食糧一年分、武器
期限:十日以内
劉邦は竹簡を読み上げた。
「これ、本当に受けていいのか?」
「契約書があります。我々は正当な対価を得る」
樊噲がにやりと笑った。
「冒険者、悪くねえ響きだな」
作戦は単純だった。夜、県城の裏門から侵入。秦の残党は油断しており、ほぼ無血で制圧できた。
十日後、王陵から報酬を受け取った劉邦は、全員を集めて大宴会を開いた。
「なあ」
劉邦は杯を掲げながら言った。
「これ、めっちゃ楽じゃね?王とか面倒くさいことしなくていいし」
「報酬はちゃんともらえるし」
「負けても次の仕事探せばいいし」
蕭何は微笑んだ。
「ええ。ですが劉邦殿、もう後戻りはできませんよ」
「なんで?」
蕭何は新しい竹簡の束を取り出した。
「各地の群雄から、依頼が二十件以上届いています」
「えっ」
「『沛公の冒険者ギルド』の評判は、すでに広まっています」
劉邦は束を見て、頭を抱えた。
「俺、なんか面倒くさいことになってない……?」
それから数年後、「沛公のギルド」は中華全土に支部を持つ巨大組織となった。
項羽から依頼を受け、また項羽と敵対する者からも依頼を受けた。
韓信という天才将軍を「期間限定契約」で雇い入れた。天下を取る気満々の野心家だった。
張良という策士と「業務提携」を結んだ。契約を破らない数少ない策士だ。
そして最終的に、劉邦は「依頼」という形で、秦を滅ぼした。
「結局、皇帝になっちゃったんだけど……」
即位の日、劉邦は蕭何に愚痴った。
「これも契約ですよ、劉邦殿」
蕭何は微笑んで、新しい竹簡を差し出した。
依頼書
依頼主:天下万民
依頼内容:皇帝として国を治めること
報酬:天下
期限:生涯
「まあ……悪い契約じゃないか」
劉邦は笑って、署名した。
後世の歴史家は記録する。
「漢の高祖・劉邦は、天下を『依頼』として受け取った唯一の皇帝である」と。
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作者の遊び心だけで書いた小説です(^^♪




