第一話 どこかで見たことのある光景
賑やかなパーティ会場で、若い男性の声が一段とやかましく響き渡った。
「お前との婚約を破棄する!」
その言葉を聞いた瞬間、クライファスのトラウマが一瞬にして蘇った。
なぜならクライファスは大勢の前で、婚約破棄を叫んだことがあるからだ。それも、つい数年前に。
クライファスの元婚約者。太陽のごとき眩しく輝く黄金の髪に、宝石よりも美しいサファイアブルーの瞳の、圧倒的美貌を持つ少女。
その少女に向かって、昔から気に入らなかったと、自分の嫌悪感を吐き出すように婚約破棄を叫んだ。彼女との婚約は、政治的な意図が何重にも絡み合った末に結ばれたものだったというのに。
あの時。
首を塩漬けにされて相手方に贈られる――その覚悟したことを、クライファスは覚えている。政治的調整とまさかの友情の結果、首と胴体は今でも奇跡的に繋がってはいるが、忘れたことなんてない。
だから現在、目の前で繰り広げられているこの寸劇は、自分への嫌がらせだろうか、と真剣に考えた。
「余興、にしては真に迫りすぎてますね」
どうしましょうか、と侍従兼友人兼命の恩人のトランペタスが問いかけてくる。
広間の中央では、イチョウの葉のように鮮やかな黄色の髪の青年が尊大な態度で腕を組んでいた。目の前の少女を見下し、傲然と顎を上げて冷ややかな視線を向けている。
「ここのクリサンセム王国、その第一王子ビュロン殿下です」
トランペタスの耳打ちに、クライファスも頷き返した。挨拶してから、まだそれほど経っていない。
「お相手は、キーボス侯爵家のルルディ嬢ですね」
第一王子の婚約者、と続けられた少女は。
艶の無い黒にも見える濃茶色の髪を一部の隙も無く結い上げ、視線を床に落として黙って立っていた。肩を竦め身を縮こまらせ、反論も問い正すこともせず、ただ黙って震えて……そして。
床に崩れ落ちるように伏し、頭を床に擦り付けんばかりに下げた。楽団の演奏さえ止まり静まり返った広間に、か細い懇願の声が千切れて漂う。
庇う親族はいないのかと視線を巡らせば、トランペタスが首を振って応えた。
「嫡男のカラモス殿はあそこに……王族席……第二王子の近くにおりますが、動くつもりはなさそうです」
「見ておれん」
不快気に呟くと、クライファスは歩き出した――中央の、二人に向かって。
ばさりとマントが翻る。
表地は白、裏地は赤。
肩飾りの赤く長い布が風に流れ、マントの白と赤に混じり合う。
トランペタスは護衛に一つ目配せすると、主のすぐ後ろに付き従った。
ばさりとマントが翻る。
表地は白、裏地は青。
肩飾りの青く長い布が風に流れ、マントの白と青に混じり合う。
二人の若き主従が進むにつれ、人が分かれ、道ができる。
王冠を戴くがごとき眩い金髪を煌めかせ、クライファスが堂々と中央に躍り出た。
そのすぐ後ろ、ライムイエローの髪に薄いベビーブルーの瞳のトランペタスが静かに付き従う。
「これは一体、何の騒ぎか」
マントを大きく手で払い、大国ケレアウィスの第三王子クライファスは、鷹を思わせるトパーズイエローの瞳でもって周囲を睥睨した。
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本館から続く、四階建ての塔の下。
前庭の塔近くの東側、円形状に敷石が設置され、鳥の形に刈り込まれたトピアリーがアクセントになっている。
日は落ち、真っ赤に染め上げられていた空はやがて不穏な気配を漂わせる青紫へ、そして徐々に薄闇が迫り幻想的な夜の青色が広がる中。
ドンッという何かが地面に落下した音。
少し遅れてガシャンガチャンバリンと砕ける音が三回続き。そのもう少し後にさらにもう一度、大きなガッシャンという破砕音が響き、静かになった。
「御領主様が! 御領主様が落ちて……っ! 誰か来てくれ!!!」
そして、前庭に大きく響き渡る悲鳴のような叫び声。
クライファスが駆けつければ、見張りの大男が地面に倒れている人物に取りすがっていた。
身なりからして、恐らくはキーボス侯爵家当主リゾマ。頭から血を流し、兵士の呼びかけにもぴくりとも動かない。
周囲には砕けた陶器の鉢が散乱していた。中身の草木も土も石畳の上に叩きつけられたように散らばり、広がる血に浸り始めている。
真っ赤なポインセチアの葉が侯爵に被さり、血と、葉が、赤く混じり合う。
騒ぎに集まり始めた人が、「どこから落ちた」と塔を仰ぎ見れば。
四階建ての塔。
一階は塔の広間であり、本棟への渡り廊下と繋がっている。
二階は領主の私室で、地上からは建物の外壁から少し突き出た屋根のないバルコニーが見えた。
集まった皆が、もしや二階のバルコニーから落ちたのか、と思った時。
――ぱたり。
塔の最上階、四階の窓の鎧戸が開いた。
そこから上半身を乗り出し、顔を見せたのは。
艶の無い黒にも見える濃茶色の髪を一本の三つ編みにまとめた――
「ルルディ嬢……」
クライファスの口が、小さな声でその名を呟いた。
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キーボス家嫡男のカラモスが、妹に厳しい表情で言い渡す。
「ルルディ、記憶を失うほど、ビュロン殿下からの婚約破棄がつらかったのは同情するが……私の許可があるまで、謹慎を命じる――連れていけ」
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ビュロン第一王子は呆れたように言い捨てた。
「娘が婚約したからと、まるで王家の一員の顔をしていたキーボス家もあっけないものだ。もはや関係のなくなった女など、修道院だろうとどこへだろうと……もしも父親と同じ所に旅立つのであれば、王家から悔みの手紙の一通も出るであろうよ」
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大柄な兵士が隊長に詰め寄る。その兵士は、転落事故の際、真っ先に声を上げたあの兵士だった。
「えっ、何故ですか、隊長! どうして俺が辞めさせられることに!?」
なぜ、どうして、と警備隊長に詰め寄るも答えは変わらず、決定に変更はない、と隊長は繰り返す。
警備隊長としては、屋敷を統括する執事も若君も現状それどころではないからだ。以前から決まっていた一警備兵の解雇を、「今」わざわざ覆す理由がない。
当主死亡の騒動の最中、大声で抗議の声を上げる大柄な警備兵を、警備隊長はうんざりした表情で眺めていた。
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塔の四階にある薄暗い室内に、等身大の大きな出窓から日が差し込む。
「この部屋は、亡くなった母の部屋で……母は、ここから転落して亡くなりました、もう十年も前のことです」
日差しは強い陰影を作り、抑揚のない声で話すルルディ嬢の表情は見えなかった。
ここから、とルルディ嬢が窓に視線を向ける。
大きな出窓は、塔の部屋という閉塞感を一気に開放する。その外に広がるのは、見惚れるほどの絶景だった。
真っ赤な葉が鮮やかなポインセチア、優雅な薄紫の葉のアルテルナンテラ、溌剌とした黄色の葉のリシマキア・リッシーが、黄金のカーペットを広げている。
つる植物を絡みつかせて日陰を作るバーゴラ、植物が絡み合うアーチの続く散策路、常緑樹を馬の形に刈り込んだトピアリー。
花はなくとも、色鮮やかな木々が目を楽しませる。
そして庭の東角には高い壁に囲まれた花園があり、咲き乱れる様は雲霞のごとく、まさしく百花繚乱の様子がよく見えた。
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クライファスは色鮮やかな木々で彩られた前庭を眺めながら、小さく口を開いた。
「十年前に、領主夫人の転落事故。そして今、領主の転落事故」
一陣の風が吹き抜けていく。白いマントが揺れ、裏の赤が翻る。
「次は、誰だ。カラモス卿か、ルルディ嬢か……なあ、トラン」
蔓草の絡まったアーチに片手を置き、クライファスは塔を仰ぎ見た。
「誰が、何故、どうやって。俺は「誰が」も、「どうやって」も、わからんが。「何故」なら、分かる気がするんだ」
クライファスの視線の先には、立派なキーボス侯爵邸本館、ルルディ嬢が軟禁されている部屋があった。
主催:琥珀様、個人企画「春の異世恋推理’26」の参加作品です。
異世界恋愛の世界観で推理です。指紋がどーたら、DNA鑑定がどーたら、ルミノール反応がどーたら、そんな話は一切出てきません。昔懐かしのアリバイ、証拠、証言、論理的な帰結もしくは推理、な話です。どうぞお楽しみくださいませ。
なお、主役のクライファス第三王子は、「座右の銘は常在戦場~テンプレ転生、スーパーハイパー(以下略)」にも登場していて、首の塩漬け(未遂)のお話はそこで語られています。




