賢者学校(分校)の一期生
「あ、あれが転生前の記憶……? まるで怪物のようだ……」トラムが言う。
それは成人の3倍くらいの大きさはありそうなずんぐりとした何かだった。
頭部はなく、垂れてぶよっとした胸部(あるいは腹部)から直接腕と脚が生えている。胴体と対照的な異常に細長い干涸びた手足だ。
その肌は生気を失ったようなガサガサとした質感を想像させる。
しかし何より俺達の目を奪ったのは、まるでその胸部を鋭利なナイフで切り裂き、そこに内部から押し出されて出現したかのような大きなひとつの眼球だった。その眼球は俺達からかなり離れたところからこちらを見つめている。
「ヴォックスは……ヴォックスの半分はどこに……」
言いかけてベスは俺の右半分を怪物のすぐ隣に認めた。
怪物の右手には長い鉄の鎖が巻かれている。その鎖の先に鳥籠のような牢屋がぶら下がっていて、その中に俺の右半分はいた。
膝を抱えるようにして震えながらしゃがみこんでいる。顔を上げてはいるが、両目は虚ろで焦点が合っていない。もちろん左半身は黒い影になっている。
この時、俺ははじめて自分という存在がふたつに分裂してしまっていることを実感した。
「ヴォックス! 迎えにきたよ、戻ってきて! 僕たちのところへ、戻ってきてくれ!」
トラムは大声で鳥籠に向かって叫んだが、その中の俺はピクリとも反応しなかった。
「ダメだわ……もっと近くで、直接話しかけないと……」
サラは異形の怪物に脅えながらも、勇気を振り絞ってくれている。
ベスのイーキュライザーの玉が白い光を発した。
するとベスの身体は弧を描くように滑らかに空間を飛んだ。縦旋回、横旋回をした後、ピタリと動きを止め、イーキュライザーの光は落ち着いた。
「みんな、試験官の言った通りだ。この杖に自分のイメージを込めれば空間内を自由に動くことができそうだよ!」
「おお! ナイスベス! ほんとだ、こりゃいーや!」
ギットはベスの真似をして動き回り、停止するとイーキュライザーの頭をポンポンと叩いた。
「よーうし、お姫様を助けにいこーぜぃ!」
ギットが言うと、四人は杖を光らせて右半分の俺に向かって飛んだ。
怪物は一目散に飛行する俺達を睨みつけた。そしてその大きな眼球から矢の形に凝縮されたエネルギーのようなものを無数に発射した。
《だでもぼぐのはなじおじんじでぐれだい》
「あぶない!」
咄嗟に攻撃されたと判断した四人は、素速く回避の動きをした。
矢はトラムに背負わされた俺の肩をかすめた。間一髪、よけられたか。俺達の後方ずっと先で矢は消滅した。
「ぐっ……!」
トラムの右脚のズボンが切り裂かれている。そして中の皮膚から鮮血が吹き出た。
「ト、トラム、それ……!」
「へ、平気だよ、ヴォックス。心配ないよ。もうすぐ元に戻れるから、大丈夫だからね」
トラムは背中の俺に横顔を向け、いつもの柔らかな笑顔をつくった。
こいつはいつも「大丈夫」って言ってくれる。無理してでも言ってくれる。
それにしても今の声は……? 怪物には口がない。脳に直接歪なメッセージを書き込まれたような感覚がした。
「やばいぞあいつ! 俺達を近寄らせないつもりだ!」
四人は一度動きを止めた。が、ベスは怪物に向かって飛び出した。
《ひどがひどおざばぐのがぁぁ》
またこの感覚だ。
鋭い矢のエネルギーが発射され、ベスを襲う。
「フィルタ!!」
ベスが唱えると、身体の前方に光のカーブが生まれた。その蛍光色のカーブは怪物の矢を吸収している。
「やっぱりそうか、知っている魔法なら普段使えなくてもこの杖で発動できるみたいだ。ここは僕がおさえておくから、ギットとサラちゃんはヴォックスのところへ!」
「わかったわ!」ふたりはベスを追い越していった。
怪物は矢の攻撃を止めると、ゆっくりとガサガサした瞼を閉じた。そして何かを閃いたかのようにバッと目を開け、今度は大きな球体のエネルギーを放った。
《ずべでおうじなっだぁ》
高速でベス目掛けて飛んできたそれはフィルタの壁を突き破り、ベスの右肩を直撃した。
「うわぁっ!」
ベスは吹き飛ばされ、ぐるりと縦に一回転した。
イーキュライザーは脱力した手から離れ、ベスはぐったりと宙に漂った。
「う……ぐぅ……」意識はあるがほとんど動けなくなってしまっている。
怪物の目は、先を行くサラに向けられた。
しっかりと、狙いを定めるように。
《だでがだずげでぇぇぇぇ》
鋭い無数の矢がサラの衣服と皮膚を切りつける。
「きゃあっ!」
怪物の視線は無常に固定され、サラを苦しめ続けた。
しかし突然矢の雨は降り止んだ。いや、ギットが間に割って入る形で攻撃を受けたのだ。イーキュライザーをブンブン振り回し、矢を弾いている。
「うおぉぉ、俺にはこんな使い方しか思いつかねえぇぇ!」
イーキュライザーは黄色い灯を纏っている。歪ではあるが魔法が発生している!
だが全ての矢を受けきれてはいない。ギットの頬を矢が傷つけ、血が垂れた。
「サラ、早く! ヴォックスをなんとかしてやってくれ!」
「ギット……! ……うん!」
サラは全力で飛行し、ついには鉄の牢屋の前に達した。
「ハァ……ッ、ハァア……ッ。ヴォックス……君を助けにきたよ」
俺の右半分は肩で息をするサラを見上げた。
「つらかったんだね……哀しかったんだね……。もう、大丈夫よ。こっちの世界には、君を傷つける人なんていない」
俺の右半分は手を前につき、サラに近づこうとする。何かメッセージを伝えるかのように口を小さく動かしながら。
「みんな君を信じてる。君は私達にとって大切な人」
右半分の目が震えるようにサラを見つめる。
サラは手を差し伸べる。
「だから、だからそんな寒いとこ出て、あったかい私達の世界へおいで」
牢屋の扉は開き、俺の半分はサラの手をとった。
その瞬間、鳥籠は解像度を失ったようにモザイク状に変質し、弾けて散った。
「今だ!」
トラムは左半分の俺を抱えるようにして飛び、その勢いを利用して右半分目掛けて押し出した。
サラは繋いだ手をグイっと引っ張り、右半分を俺の方へ向けて引き上げた。
向かい合う半分同士。
接近する目と目。
——もう絶対に奪わせない。
俺達が衝突すると、まばゆい光が生まれ、空間全体を包み込んだ。
* * *
気がつくと、白い天井があった。
ぼんやりとした意識から目覚め、俺は右手を天井に向けてみる。
いつもの右手だ。
なんだか遠い世界の夢をみていたみたいだ。
「ここは……どこだ?」
——ここは賢者学校(分校)。
君は第一期生だよ
第一章完結です。ここまでお読みいただきありがとうございました!
まだまだ続きます!
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