敗者復活プリンセス
――ただやられてばかりのお姫様でなんて、いてやらない。
『敗者復活プリンセス』/未来屋 環
特急から乗り換え、ローカル線で20分。
前回地元に帰ったのは父の三回忌だから2年振りか――人気のない改札を通り抜け古びた階段を降りようとしたその時、小さなロータリーが視界に入った。
その中にグレーのミニバンの姿を見付けて、私の心にひとつ波が立つ。
「礼奈、すっかり東京の人だな。俺、ドキドキしちゃったよ」
近付く私に手を振ったその運転席のひとは、私を助手席に乗せた瞬間そう言って笑った。
その笑顔には幼い頃の面影が確かに残っていて、私は思わず表情を綻ばせる。
「よく言うよ。翔兄ちゃん、元気だった?」
「うん、まぁ色々あったけど――お蔭さまで元気にしてる」
彼の声に曇りの色はない。
隣を見ると、まっすぐ前を見据えて運転する彼の横顔があった。
高校生の頃明るかった髪色はいまや黒に沈んでいて、所々白の気配も窺える。それでもその切れ長の目は幼い頃から変わらない。左目の下の泣きぼくろがなんだか色っぽくて、子どもの頃にドキドキしたことを覚えている。
そんなことを考えていると、ふと彼がこちらを向いた。
慌てて視線を外す私を穏やかな声が追いかけてくる。
「礼奈、昼メシ食べた?」
「うぅん、まだ」
「何か食べたいもん、ある?」
「別に――翔兄ちゃんの食べたいものでいいよ」
ははっと乾いた笑い声と共に「いいの?」と首を傾げるその仕種を見て、東京から2時間以上かけてでも来て良かったと思った。
***
「あいかわらずそれなんだね」
「何、ガキくさいって馬鹿にしてる?」
そう言ってこちらを睨んでみせる彼の前にはクリームソーダが置かれている。
私は「誰もそんなこと言ってないって」と笑いながらストローでアイスコーヒーをかき混ぜた。
――そう、小さい頃から彼はクリームソーダが好きだった。
外食した時にレストランで頼むのは、スパゲッティミートソースとクリームソーダ――毎回違うメニューを頼む私を「知ってる? それ、『浮気性』っていうんだって」と笑いながら、色鮮やかな緑色の炭酸水を啜る。
それでもご褒美のようなチェリーはいつも私のために残してくれていた。
そんな優しい彼が離婚するらしいと聞いたのは、つい先月のことだ。
原因は元妻の浮気だった。
慰謝料とも言えないレベルの端金を提示されたそうだが、その金額が適正なものかどうかもよくわからないと彼は電話口で力なく笑った。
『何かもう、全部どうでもよくなっちゃって』
その声を聞いた私は反射的に「ねぇ、来週末帰るけど逢える?」と口にしていた。
幼稚園こそかぶらなかったものの、2年違いだった私たちは小学校から中学校までずっと同じ所に通っていた。
小さい頃からあとをついて回る私のことを、彼はとても大切に扱ってくれた。
「れいなはおひめさまみたい」
彼がそんな風に言っていたと母から教えてもらった私は、幼心にも嬉しくてたまらなかった。
実際のところ背の順はいつも後ろの方だったし、どちらかといえばきつめの顔立ちをしている私は決してお姫様じゃなかったと思う。
それでも、彼がそう言ってくれれば、私はお姫様でいられた。
母が出て行ったあと仕事でほとんど家にいなかった父の代わりに私を可愛がってくれたり、同世代の男子たちに揶揄われる私を守ってくれたり――そして私は彼のお姫様でいるため、おしゃれも部活も勉強も全力で頑張った。
――そんな彼が、高校に入ってすぐ私の知らない女と付き合い始めた。
私が知る限り初めての彼女だったその女は、私とは正反対のタイプだった。
背が小さくて童顔で、勉強も部活も要領良く立ち回り、そしてひとりでは何もしようとしない――だからこそ普通の女では太刀打ちできない程庇護欲をかき立ててしまう――つまり、本物のお姫様が彼の前に現れたのだった。
実際、その女が本当に彼に一途だったのかはわからない。
それでも、少なくとも先月問題が発覚するまで、学生時代から付き合っていた恋人とゴールインし、子どもはいないものの内助の功で夫を支える理想の女を20年近くもの間演じきった。
――その陰に私という敗者がいたことなど、きっと知りもせずに。
「――礼奈?」
彼の声でふと現実に引き戻される。
顔を上げると、目の前には心配そうな表情の彼がいた。
正面からよく見てみれば、少し頬がこけたように思う。
心労でやつれてしまったのだと思い当たり、私の肚の中で怒りの焔が渦を巻いた。
――いや、落ち着こう。
冷静さを失っては、勝てる勝負も負けてしまう。
私は今の自分にできる最上の笑顔をつくって「何? 翔兄ちゃん」と問い返す。
そんな私を見て、彼はほっとしたような顔をした。
「いや、いきなり黙り込んだからどうしたのかと思って」
「ごめんごめん、ちょっと考え事してただけ――で、翔兄ちゃん、気持ちは固まった?」
私の言葉に、彼が寂しげに眉を寄せる。
そう――彼は本当に優しいひとなのだ。
――だからこそ、私が彼の剣にならなければならない。
「翔兄ちゃん、言っておくけど私不倫案件で負けたことないから。やったことは元奥さんにも相手の男の人にもきっちり責任取ってもらって、一歩前に進もうよ」
彼の瞳が見開かれた。
そんな彼に私は頷いてみせる。
そう――弁護士になった私は、彼の力になるためにここまでやってきた。
お世話になった事務所を独立してから3年が経ち、お蔭さまで様々な経験を積ませてもらっている。
幼い頃私を守ってくれた彼を、今度は私が守る番だ。
あの女について言うことがあるとすれば、他の女たちをここまで彼に寄せ付けなかったその一点においては感謝してやってもいい。
ただ、手加減するつもりはさらさらない。
どこの馬の骨だかわからない王子様を選んだからには、その罪を全力で贖ってもらおう。
「じゃあ、決まりね。費用は親族割でお安くするから心配しないで」
「――あぁ、ありがとう」
「その代わり、前払い頂きまーす」
そう言って、私は目の前の彼のグラスから赤く光るチェリーを摘まんだ。
ご褒美は先に頂こう、誰かに取られてしまう前に。
口に入れたチェリーは人工的な甘さを舌に残し、噛み砕かれて小さくなっていく。
おいしそうにチェリーを味わう私を、彼はただ優しい眼差しで見つめていた。
「本当に礼奈は昔からチェリー好きだよな」
「――違うよ」
「え?」
「チェリーが好きなんじゃなくて、私を妹みたいに可愛がる翔兄ちゃんがプレゼントしてくれたから好きになったの……意味わかる?」
そう言って見つめ返す私に、彼は「え?」ともう一度声を洩らす。
――まぁ、いいや。
今日はここまでにしておこう。
「なんでもないよ。じゃあ、行こっか」
私はレシートを手に取って席を立つ。
晴れてすべてが終わったら、もう一度伝えるのだ。
そう――いとこ同士は結婚できるのだということを。
敗者だったはずの私は、およそお姫様とは思えないような顔でほくそ笑んだ。
(了)
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
元々『クリームソーダ企画』にはクリームソーダが主軸になるような作品で参加させて頂いたのですが、今度は『クリームソーダ後遺症企画』が行われると聞いて、ふと思いついたアイデアから話を広げて書いてみました(あと、たまたまいとこ同士が近所に住んでいる方のお話を聞いて、きょうだい同然に育って楽しそうだなと思ったので……)
ということで、前作とはテイストを変え、クリームソーダそのものにはあまり触れず、ほのぼのというより殺伐寄りの雰囲気にしております笑。
月曜の朝から投稿する内容かすこし微妙なのですが、たまにはこういうのもいいかなぁ……とあたたかい目でお読み頂けますと幸いです。
以上、お忙しい中あとがきまでお読み頂きまして、ありがとうございました。
【追記】
幻邏さんからバナーを頂きました!
それぞれのイラストがとにかくおしゃれじゃないですか……!?
特に左の王冠かぶった天秤。えっ、これってまさに礼奈……シンボルのセンスがずば抜けていて感動しましたv
幻邏さんありがとうございました。