72話 事務所立ち上げ
5月某日、渋谷の人通りがまばらな路地の一角の雑居ビル2階に灰川コンサルティング事務所がオープンした、ハッピーリレーとシャイニングゲートからささやかな花束が贈られ、オープン初日は色々と確認したり準備したりで時間が過ぎていく。
広さはプレハブ小屋一個程度の広さだが、トイレもあるし3畳ほどの居室もあり宿泊も可能な場所である。
事務所内は灰川が座って何かしらの作業をする机と来客用のソファーテーブル、パソコンもあって普通の事務所然とした飾り気のない一室だ。
今日からは灰川は個人事業主となって依頼された仕事をこなすという立場になる、どうなるかはまだ分からないが頑張ろうと思っていると。
「こんにちわ灰川さんっ、おめでとうございますっ!」
「どうも、佳那美がお世話になってます。以前はありがとうございました」
「佳那美ちゃん、お母さんも一緒に来てくれたんですね、わざわざありがとうございます」
明美原母子が学校帰りに事務所開設のお祝いに来てくれた、佳那美ちゃんはランドセルを背負ったままだったから下校の道すがらに来てくれたのは見て取れる。手土産の饅頭を受け取ってソファーに案内してお茶を出し少しばかりの話もする。
佳那美は以前にマンションの事で灰川に助けられた事があり、その時に家族にも会っているので家族の事も知らない仲ではない。
「事務所を開設したという事ですけど、やっぱりオカルト関係の相談所なんですか?」
「そういう事も取り扱いはするんですけど、当面はハッピーリレーとシャイニングゲートの便利屋みたいな感じですかね、オカルト関係だけの仕事だったら飢え死にしちゃいますよ、ははっ」
「そうなんですか、オカルトはあまり信じてないですけど、そっち方面の世界も大変なんですね」
「まぁ、しばらくはハッピーリレーの外部マネージャーとか、シャイニングゲートの相談窓口みたいな仕事ですかね」
オカルト関係の仕事なんて多くは無いだろうと思ってる、看板は灰川コンサルティング事務所としか書いて無いから、何やってるのかパッと見で分からないから一見客は入って来ないだろう。
一見さんお断りという訳では無いが、そもそも何の事務所なのか分かり辛い。ホームページも無いから怪しさ満点だ。
「お母さんっ、灰川さん凄いんだよ! 霊能力以外も色んな事知ってるの!」
「ははは、佳那美ちゃんは良い子だなぁ、ケーキ食べる?」
「食べるっ!」
その後は配信もあるため明美原母子は帰って行く、佳那美ちゃんことルルエルちゃんは学校から帰って来た子供に向けての配信もしてるので、この時間が配信に被りやすいのである。
佳那美が来た後も色々と整理をしていたが、誰かが来ることも無く時刻は午後の5時になっていた。
ツバサやナツハからお祝いのメッセージがスマホに送られて来たり、つい先日に知り合った小路からもお祝いのメッセージが届いた。
みんな初日に直接来たかったそうなのだが、配信があるといった感じで予定が付かなかったらしい。全員が人気Vtuberなのだから予定が詰まってて当然だし、灰川も事務所の整理などがあったから都合は良かった。
「よし終わり、こんなとこだろ」
やがて整理も終わって一休みしてると、事務所のドアがノックされて誰かが入って来た。
「こんにちわー、灰川さんっ」
「事務所立ち上げおめでとうございます」
「市乃に史菜、来てくれたのか、ありがとな」
忙しい時間を縫って二人がお祝いに来てくれた、今日の配信は二人とも夜のようで学校帰りの時間は空いてたようである。
「うわ~、狭いねー」
「私は立派な事務所だと思いますよ」
市乃は狭いと言ったがハッピーリレーのような多人数が出入りする場所ではないから普通くらいの大きさだ。
「お茶淹れるから座っててくれ、さっき佳那美ちゃんも来てたんだよ」
「そーなんだ、佳那美ちゃんは配信あるからすぐ帰っちゃったでしょ?」
「おう、みんな忙しそうだな」
企業系Vtuberは人気が出ると割とハードになるらしく、三ツ橋エリスも北川ミナミも企業案件が軒並み増えてるようだ。
最近では破幡木ツバサも仕事が入るようになって来たらしく、視聴者登録も増えてるみたいだった。
「今度はカード付お菓子のコラボ商品が出るらしいし、配信で指定したゲームをやってくれって依頼も多くなってるみたいなんだよねー、ホラー配信も予定組まれてるし」
「私も最近は企業案件が増えてまして、今日はソーシャルゲームの宣伝プレイ配信をする事になってます」
「そうなのか、名前が売れると色々と仕事が増えるんだなぁ」
実際にはハッピーリレーの企業案件は少ない方だ、三ツ橋エリスと北川ミナミには結構仕事が来てたのだが、それ以外の配信者にはあまり仕事の依頼は来ないのが現状だ。知名度のある配信者が軒並み抜けたのも大きい。
過去の悪名が祟って仕事が依頼されにくくなっており、今は他の配信者もある程度名前が広がってる人以外は外部からの仕事は来ない人がほとんどらしい。
「ナツハ先輩から聞いたけどシャイニングゲートの企業案件の依頼は凄いらしいよ。Vtuber全員に凄い数が来るらしくて、ナツハ先輩になると一回の案件で凄い金額になるんだって、それでもほとんどは受けれないらしいよ」
「そりゃ企業は手軽に頼めないな、やっぱ自由鷹ナツハはVtuberの中でもランクが違うんだなぁ」
シャイニングゲートとハッピーリレーは実質的に提携するような形になった。両社のVtuberや社長同士が良好な関係にあり、これからは何らかの形で協力していくという事はファンにも周知したのである。
これは界隈で結構な話題にはなってるが、実際にはまだ何もしてないから、ちょっとした騒ぎ程度で収まってる状態だ。
「シャイニングゲートの仕事もあるだろうけど明日からマネージャー業務も始まるし、忙しくなるかもな」
「でも私達と一緒に居る時間は増えそうだねー、マネージャーさんだもんねっ? 大人気Vtuberと一緒に居れて灰川さんうれしい?」
「嬉しいよりも疲れそうな気がするぞ、お手柔らかにな」
「私と一緒に居る時は休んで貰っても構いませんよ灰川さん、お体が一番大事ですから」
「ありがとな史菜、困った事があったら遠慮せずに言うんだぞ」
マネージャー業務は会社や組織によって仕事内容が大きく変わり、ハッピーリレーの場合は企業案件の交渉なども任されるかもしれないとの事だ。
とりあえずはスケジュール管理が主になるだろうから、そこから出来る事や出来ない事を探っていくことになるだろう。
「あ、そうそう灰川さんっ、この前のお礼だけどUSB持って来ようとしたら忘れちゃった、今度持ってくるからさっ」
「あーそっか、残念だけど焦らなくて大丈夫だからな」
「そうでした灰川さん、私が前にお渡しした怪談は聞いて頂けましたか?」
「おお、聞いた聞いた! かなり良かったぞ」
灰川は先日に史菜から怪談を受け取っており、それを聞いたところかなり良かったと感想を持った。
バイト先の倉庫
主婦のAさんはスーパーでバイトをしており、倉庫からの品出しや整頓などもする時があって、その出来事があった日も倉庫の整理と在庫確認を任されていた。
特に何事もなく仕事をしてると倉庫の奥で何かが棚から落ちる音がして、そこまで行って落ちていた売り物のペットボトル飲料を棚に戻した。
しかしまた仕事を続けてると、ゴトッ!、ガタッ!と立て続けに物が落ちる。流石に怪しいと感じたAさんは誰かがイタズラしてるのかと思い倉庫の中を一回りしたが誰も居ない。
ガタンッ!次は一際大きな音が鳴り、後ろを見ようとした時……いきなり倉庫の明かりが消えて真っ暗になってしまった。慌てて電気を点けようと入り口方向に手探りで向かい、スイッチを押しても電灯は点かなかった。
停電かと思って諦めてドアを開けようとした瞬間。
ガタガタガタッ!!
真っ暗で誰も居ない倉庫の棚から次々と物が落ちる音が響く、その音が段々と自分の方に近づいて来た事に気が付いたAさんは、その場で気絶してしまった。
気が付くと病院のベッドに寝かされてたがすぐに退院し、バイトを即やめしたそうなのだが、その時に店長からは過去に倉庫で何かあったという話は聞けなかった。しかし明らかに何かを隠してる素振りが感じられたらしい。
その後3年ほど経って既に家族と遠くへ引っ越したAさんだったが、ニュースでそのスーパーの店長が殺人容疑で捕まったのを見た。もしかしたらあの時に倉庫には……。
「俺こういう怪談も好きなんだよな、後味ちょい悪の話とか」
「この話は創作怪談だそうです、SNSで色んな人が怖い話を出し合ってたので拝借させて頂きました」
創作怪談も様々あるし、今の時代は怪談などネットで幾らでも仕入れられる。しかしこういうマイナーな短い怪談は日の目を浴び辛く、埋もれてしまいがちだ。
長編怪談だと朗読するのに1時間とか普通に掛かるし、ちゃんと聞かせようとすると練習が沢山必要だが、こういう短編怪談だと移動時間とかに程良く聞けて丁度良い。
この話は北川ミナミの普段は優しい声が、怪談を話す時のおどろおどろしい声になって風味が違い、なかなかに聞き応えがあった。
「私も今度にお礼の怪談持ってくるからね、楽しみにしててね灰川さん」
「おう、三ツ橋エリスの怪談も期待してるからな」
エリスの怪談は少しお預けだが楽しみだ、人気Vtuberの独り占め怪談がこんなに貰えるのは嬉しい限りである。
ルルエルちゃん、破幡木ツバサ、自由鷹ナツハ、北川ミナミ、それぞれ違った良さがあり、何回でも聞ける声と話し方だ。実際に落語なんかは同じ話を何度聞いても面白いし、怪談朗読も何度も聞く人も珍しくない。
「そう言えば灰川さん、ここから先は忙しくなると思うけど、一緒に頑張ろうねっ」
「えっ? なんかあるのか?」
「はい、ハッピーリレーは視聴者さんの求心力回復のために、色んなイベントなどに積極的に参加しようという話が前からあったんです」
Vtuberやストリーマーは配信や企業案件だけが出番ではなく、今は大小様々なイベントやプロも参加するEスポーツ大会など色んな活躍の場がある。
ハッピーリレーはそういった場に三ツ橋エリスや北川ミナミを初めとしたVtuberや配信者を送り、周知度や求心力、知名度を上げて行こうという算段だそうだ。
「なるほど…それだとマネージャーは割と大変な仕事になりそうだな」
「他にもシャイニングゲートの仕事もするんなら、そっちはもっと大変だと思うよー、シャイゲ単独イベントとかライブとか凄い数の観客が来るんだから」
シャイニングゲートは単独イベントを開催する事もままあるらしく、大きな会場が満杯になるほどの盛況ぶりになる。海外ファンも多くなってきており人気は増すばかりだ。
その他にも様々な活躍の場があるそうなのだが、それを聞こうとしたら灰川のスマホにハッピーリレーの花田社長から電話が掛かって来た。
「はい、はい、分かりました、今から行きます」
「どうしたの灰川さん?」
「予定より早く会議が始まるから来て欲しいって言われた、ちょっと行ってくるよ」
「それでは前に聞かれた配信者やVtuberの要望と、配信者の皆さんが会社に言いたい事を言って来て下さるんですか?」
「そうなるかもなぁ、配信者と運営にどのくらいの意識の差があるのか確かめるのに良い機会かもしれん」
今日の会議はそこそこ重要だそうで、会社の今後や方針を決めるために開かれるそうである。会議への出席は以前から聞かされてたから問題は無いが、時刻は既に17時を回っており何時に終わるか不安である。
灰川は配信やその他の業務で忙しい配信者達の代わりに、意見や要望、運営に言いたい事をまとめて伝える役目を担う。
「灰川さんっ、私たち配信者が会社に言いたい事、ちゃんと伝えて来てねっ」
「おう、社長から運営や幹部に忖度する必要は無いって言われてるから、包み隠さず言ってくるよ」
ハッピーリレーの配信者達はかなりの数が会社を見限って個人勢や、他の企業への転向を考えてる。それに歯止めを掛けられるかどうかはこの会議に懸かってるだろう。
恐らく自分はハッピーリレーの運営や幹部から嫌われる事になる、会社の味方をせず配信者やVtuberの側に立って話をするというのはそういう事になるのだ。
それでも市乃や史菜をはじめとしたストリーマー達の代弁者として立たなければ、今度こそハッピーリレーは崩壊してしまう。その事を花田社長は分かってるから灰川に外部マネージャー顧問を頼んだ。
ハッキリ言ってしまえばハッピーリレーの立て直しはまだまだである、今だって以前よりは少しマシというだけで人材の流出は止まって無いし、視聴者や界隈からの信用も低いままである。
それを変えるためには誰かが配信という現場の声をまとめて届けなければならない、今日がその日であった。




