60話 灰川、キレ散らかす
翌日の午後になり灰川は呼び出された場所へ行く、当初は社長たちが灰川の家に来ると言ったのだが、馬路矢場アパートは狭くて壁が薄いから灰川が出向くと申し出た。
場所は渋谷駅のハッピーリレーとシャイニングゲートの事務所がある方向で、渋谷繁華街にある貸会議室という名目の個室喫茶店に呼び出された。
どちらかの会社の応接室や会議室を使うという手もあるが、それだとホームとアウェーのような感じになってしまうため、別の場所を借りたらしい。
繁華街には会議室などを持たない事業所や、多数の店の者が集まって会議するための貸会議室がある喫茶店は結構ある。今回渋谷繁華街にある一室でハッピーリレーとシャイニングゲートの社長同士による話し合いが行われる。
店を見つけ店員に話をして借り上げた部屋へ案内してもらう、一階は普通の喫茶店だが2階は貸会議室が数部屋あるらしく、その一室に案内されて中に入った。
「失礼します」
挨拶をしながら中に入ると……中に誰も居なかった。
「まだ来てないかぁ」
約束の時間は昼の13時で、今は5分前くらいの時間だが社長はまだ二人とも到着して無かったようだ。
「お客様、お代はお連れの方々が全額持つとの事ですが、ご注文はなされますか?」
「あ…じゃあコーヒーを」
「かしこまりました」
どうやらこの喫茶店は普通の店より一格上のようで、ドリンクや軽食の値段が少し高めだ。もしかしたら社長のどちらかが常連なのかも知れない。
コーヒーを飲みながら少し待つと、社長二人が入ってくる。
「灰川君、遅くなってすまない」
「灰川さん、待たせてしまったね」
二人が一緒に入って来たという事は偶然に店先で会ったか、もしくは灰川抜きで話し合いをして折り合いを付けたといった感じだろう。
「お疲れ様です」
もはや普通に挨拶を交わす仲になった灰川と社長たちだが、今から話し合う内容によっては関係性は変わりかねない。慎重に行かなければと灰川は強く思った。
今まで灰川は普通に労働はして来たが、ビジネスの話なんて言う高尚なことは経験が無い。選択次第で自分以外の何かが変わってしまうという、そんな責任感は負って来なかった。
「まず最初に言わなければならない事があるんだ灰川さん、実は先に花田社長と話をしたんだ」
「そうですか、っていうか社長って花田って苗字だったんですね」
「今さらだな灰川君…まあ名乗って無かったような気もするけど」
ハッピーリレーの社長の苗字が明かされたところで、話題は社長二人が話してきた内容に移る。
「単刀直入に言おう、灰川君にはハッピーリレーとシャイニングゲートの両方の外部相談役とマネージャーを兼任して貰いたい」
「両方…? 外部? それって…」
「つまりは両社の影からの立役者になって貰いたいという事なんだ」
それはいわゆる外部顧問という役割だとの事で、コンサルタントや企業の顧問弁護士や顧問税理士などのように、内容に応じて専門性のある事をアドバイスしたり、実務を担当するという仕事である。
「いや、あの、俺はそんな経験は無いですよ、コンサル会社とか居たこと無いし、司法書士の資格とかも無いですし」
「そこは灰川さんには個人事業主として起業して頂きたいんだ」
「無茶ですよ!」
社長たちが出してきた案は灰川にコンサルタント会社の名目で起業して貰い、外部委託という形で両社の様々な問題を解決して欲しいという物だった。
灰川は混乱する、話が違う、意味が分からない、そんな金が自分には無い!一般人である者にとって、そんな唐突な怪しい話に乗れる訳がない。
「俺は自営業なんて出来るタイプでも無いし、そもそも起業する金なんて無いですよ! 借金なんてしたくないですから!」
「資金の事なら安心して欲しい、僕と花田社長が無期限催促ナシ利息ナシで初期費用は出させて貰う、その他にも月々に顧問委託料として一定額はお支払いするし、依頼した仕事でも別途料金をお支払いするよ」
「だから嫌ですって! 旨い話には裏がある!二人して俺を騙して美味い汁啜ろうって魂胆でしょ!? 悩んで損したっすよ!この話は無かった事にして下さい!」
「違うんだ灰川君! 話をちゃんと聞いてくれ!」
「どうせ後から俺が話が違うって言っても、契約書の粗を付いて来たり、お前が聞かなかったのが悪いとか言うつもりでしょ! バカにしやがって!ふざけんのも大概にしやがれ!」
灰川は頭に血が上っていた、金持ちの持ち掛ける旨い話は裏がある。契約書に後から違う内容を書き足したり、言葉の粗を都合良くミスリードさせるよう仕向けて自分たちに無制限に奉仕させたりする。
金持ちとは金のためなら何でもする者達というイメージが灰川には付いてしまっており、いきなり前提にしてた話をひっくり返した花田社長と渡辺社長へ抱いてた信頼が一気に不信感に変わってしまった。
灰川は基本的に旨い話には乗らない、今までもその手の話に乗って痛い目に遭った人を見たり、就職で最初と話が違って酷い扱いを受けた経験があるからだ。
とは言っても社長たちが出した条件は起業を考えてる者からすれば破格の条件だ、しかし起業を考えてない者からしたら寝耳に水でしかない。
今の場合は『最初と話が違う』この一点が余りにも大きく、灰川には騙そうとしてるようにしか感じられない。
「こっちは人生が懸かってる職業選択だってのに話をすり替えて借金持ちにさせようとするとか、アンタら悪質な詐欺師じゃねぇか! どうせ後から貸し剥がしすんだろ!利息はあるって契約書に書き足すんだろ! 貧乏人の人生壊して楽しむのが趣味なのか!?」
「違うんだ! だから話を聞いてくれ灰川さん!」
「前の職業だってそうだった!後出しで条件出して好き放題使いやがって! 労働者をバカにし腐りやがって! 金持ちなら何やっても良いのかクソッタレがぁぁ~~~っっ!!」
「お、落ち着いてくれ灰川君! 熱っ!コーヒーを投げないでくれ!」
ここに来て灰川の中に溜まっていた感情が溢れ出てしまった、灰川は過去に悪質な会社に騙される同然に入って酷い経験をしてる。
だから社長とか重役とかいう物に良い感情は全く抱いて無いし心の中では信用してない、だが花田社長と渡辺社長の事は今までの経緯もあって信用しかけてた。
それが話を変えていきなり借金持ちになれと言って来た、灰川からしたら信用が一瞬にして崩れ去り裏切られ、今まで会って来たロクでもない偉ぶってる奴らと変わらなく映ったのだ。
四楓院家はまだ良い、灰川の方から報酬は断ったし、大層な力を持つ物を何も言わずにくれた。それでも心の何処かで一線を置いてる感じはある。
霊能者がどうとか言う前に灰川は一人の人間だ、傷つきもすれば嫌な気分にだってなるし、思い込んだら視界は一方しか向かなくなり狭くなる。今が正にそれだった、突発的な怒りで視野が狭くなりすぎてる。
「もう騙されねぇぞ! 信じた俺がバカだった! 二度と顔見せんなや!」
「お願いだ灰川君! 感情を制御するんだ!」
火が付いた感情は簡単には鎮まらない、良いように利用されてポイ捨てされた者の悲しみや怒りが籠った声だった。
灰川は過去の社会人経験から、人を騙して甘い汁を啜る人間という物にトラウマと同時に強すぎる嫌悪感と怒りを抱いてる。それがここに来て爆発に爆発を重ねてしまったのだ。
「うるせぇ! このブラック企業のクソ社長! 似たようなVtuberしか育てられねぇワンパターン野郎!」
「「!!」」
灰川の言葉に社長二人の顔が青くなる……その言葉はハッピーリレーの花田社長にとっては過去のトラウマを抉る言葉であり、シャイニングゲートの渡辺社長にとっては誰も口にしない本人が気付いてない真理であり、シャイニングゲートのVtuberを見て灰川が思ったことだった。
「そ、そこまでだよ灰川さん! 落ち着いて! 外にまで聞こえてるよ!」
「灰川さん! 怒りを鎮めて下さい! どうかお願いします!」
「社長たちも自分たちの都合を押し付け過ぎですよ!」
喫茶店の貸会議室のドアを開いて、市乃と史菜と空羽が割って入って来た。どうやらここで灰川たちが話し合いをしてるとどこかで聞いて、こっそり参加しに来たのだろう。
「灰川さん前に何があったのさ!? ちゃんと話し合おうよ!」
「はぁはぁ…市乃…? 史菜と空羽まで…?」
やっと落ち着き、灰川は興奮状態が収まった。しかしまだ怒りは収まって無い。
そんな灰川を市乃たちが今も宥めながら社長たちに、ちゃんと話をするよう、細かに説明するよう言いあげる。それと同時に
「社長…灰川さんが今言ったブラック企業の社長っていうの、辞めてった先輩達とか職員さんとかが社長に一番言いたかったことだよ…」
「っ…! エリス君…」
「私だって前は社長とか運営の人達に言いたい事あったよ! でも言える雰囲気じゃなかった! 辞めてった先輩達とか職員さん達っ、良い人がいっぱい居たんだよ!? なんであんな経営したのさっ!」
「社長、私も正直に言うと灰川さんが言ってくれて胸がスッキリしました…先輩達やお世話になった方々が、日ごとに暗い顔になって行くのは本当に辛かったです…っ」
「ミナミ君…」
調子に乗って酷い経営をしてVtuberや職員に多大な迷惑を掛けた事実は変わらないし、その事に関して謝罪もしてるらしい。しかし謝られただけで許せる物だろうか?それだけで許せないから裁判になって今も係争中なのだ。
しかも今だって所属Vtuberも職員も離脱が相次いでる、信用は全く回復していない。その事は市乃も史菜も理解してる。
「社長、灰川さんの言ったVtuberがワンパターンって話…どうお考えですか?」
「………」
渡辺社長は考え込む、しかし答えは見えなかったようだ。
「シャイニングゲートのVtuberは悪い意味で個性が無くなって来てます、雑談の話題が似たような内容だったり、配信の展開の仕方が大差なかったり」
「っ!」
空羽が灰川の感じたシャイニングゲートVtuberへの見え方を代弁してくれた。
シャイニングゲートの人達は一見すると個性派に見えるが、受けの良い配信を作ろうとして似たような形の配信になってしまってる。
それでも面白いし、正規Vtuber達は話し方や声、性格など持って生まれた天性のモノで明確な個性を発揮してる。だが根元にある面白さが同じ種類の物になりかけてるのだ。それはコンテンツの終りを招く事象である。
「アカデミー生の登録者数が伸び悩んでますよね? それって灰川さんの言ったワンパターンが原因なんじゃないですか…?」
「………」
それは正規Vtuberよりアカデミー生Vtuberに顕著に表れてる。彼女たちはアカデミーで学んだ面白い配信の仕方を実践し、その結果としてワンパターンになってしまってる。
もちろんアカデミーでは学んだ事を生かしつつ個性を出せと教えてる、しかしいざやってみると個性を出せずに失敗したり、出したら出したでダメ出しされたりで、上手く行かない。個性を出すとは口で言うほど簡単ではない。
問題が浮き彫りになる、ハッピーリレーは過去の清算と誠意、シャイニングゲートは成功体験の積み重ねから来るワンパターン化、あと灰川は過去の社会経験のトラウマから来る金持ちや権力者などへの人間不信、そんな普段は触れたくても触れられない腹の内が露にされた。
「…ちょっとここに居る面子で腹を割って話さないか?」
この場での年長者であるハッピーリレーの花田社長がそう言った、その言葉は重い空気が漂う中で、誰もが『このままではいけない』と考えてる空気感に響き渡った。




