54話 四楓院家の怪異 6
時刻は23時30分、急遽に八重香が居る部屋にパソコンが持ち込まれ、配信が可能な環境が作られる。
しかしウェブカメラなどのVtuber配信に必要な機材が無かったため、ハッピーリレーの社長に許可を取り、普段は禁止されてる声だけ配信という形になってしまった。
「知っての通り市乃には霊能力はありません、ですが俺が用意した呪符を持てば一時的に霊能力が開花されます」
その呪符を市乃に手渡す、見た目は何も変わらないし、怨霊は八重香に取り憑いてるから特に何かが見える訳でもない。しかし市乃は呪符を渡した瞬間に「うぅっ…」と小さく呻く、霊能力が開花させられた事によって邪気の感じ方が強くなったのだろう。
「あの…単純に八重香を励ましてあげるなどでは駄目なんですか?」
「はい、これは儀式なんです。駄目とは言いませんが、各個人の得意な分野で勝負を挑んだ方が有利に働く可能性が高いんです」
八重香の母親からの質問に答える。励ましも効果はあるだろう、しかしそれだと怨霊に対抗するには精神の向きが異なると判断した、励ましだけでは八重香に精神的なエネルギーは与えられるだろうが、怨霊への対抗としては弱い。
「とにかくマイナスの存在である怨霊には陽の気を用いる事は定石です、そのためには例え偽物でも明るい雰囲気が必要なんです」
全てを説明するには時間が足りない、とにかくやってみるしかない。
「市乃、今なら八重香ちゃんは少し落ち着いてる、いつも通りの雰囲気で配信してくれ」
「で、でもっ…! こんな状況で配信なんてっ…!」
市乃は不安そうに灰川に言う、この状況で配信をするなど正気の沙汰じゃ無いが、この中で最も『演じる』のが上手く、かつ明るい雰囲気を出せる可能性があるのは市乃だけなのだ。
灰川が自分でやったら普段は霊能力を持たない者でも対抗できるという証明が出来ない、その他の者はこの状況で明るい雰囲気を演じる事など無理だ。
「不安なのは分かる、懸かってるのは一人の人間の命だ。もし有効性を証明できなかったらと思うかもしれない」
「うん……だから、やっぱり…っ」
「それでも頼むっ、もうこれしか無いっ、一番可能性があるのがお前なんだ市乃! もし失敗したら俺の責任だ、見当違いの策を立てたって事になるんだから、俺の責任だ」
「っ…!」
これしか無い、追い詰められてるのは自分たちであり幼い命、有用性を証明できるのは市乃だけ、卑怯な言い草だ。退路を断つような言葉、しかし事実だ。
「市乃ちゃんっ…お願い、八重香を助けられるって証明してっ…!」
「僕からもお願いするよ市乃ちゃん…成功したらもう文句は言わない、八重香の命を皆さんにお預けします…っ」
「でも……でもっ…!」
我が子の命を他者に託すしかない、どんなに怖い事だろうか、どんなに口惜しいだろうか、しかも託すのは今までロクに信じてなかったオカルトだ。
それでも出来る事はもうこれしか無い、藁にも縋るしかない……八重香の両親は市乃に頭を下げた。
市乃はその気迫と責任の重さに圧され後ずさる、神坂市乃はまだ高校1年生の少女だ、この重圧に耐えられるほどの経験は積んでない。いや、大人であろうとこの重圧に耐えられる者は少ないだろう。
そんな折に一人の人が口を開いた。
「市乃ちゃん、私は長年に渡って小児科医をやってきた、様々な子を診てきたが中には救えなかった小さな命もある」
「……!」
岡崎先生が市乃を窘めるように話をする、岡崎先生は小児科医として様々な子を診て……そして様々な子の最後を見てきた。
心臓に先天的な手術不可能の異常を持って生まれ、7歳という年齢でこの世を去った子供が居た。小児悪性新生物、小児ガンに全身を侵され何の効果的な処置もしてやれず看取る事しか出来なかった8歳の子が居た。
本当に様々な子達が居た、手を尽くしても痛みすら和らげることが出来なかった子供に、最後の時に「おじちゃん先生…あり…がと…」と言われた時は、救えなかった申し訳なさと情けなさに涙が止まらなかった。
事故で両親を亡くし、自分も病に倒れた10歳の子が二度と目覚めぬ眠りに付こうとしていた時に「お父さんと……お母さんが…おむかえに来てくれた…」と、最後の笑顔を見た時は仏様にどうか極楽浄土へこの子をお連れ下さいと願った。
笑顔で過ごし、やがては大人になっていく筈だった子供達を何人も救えなかった。現代医療では助けられなかった、どうしようもなかった、手は尽くした。それは分かっていても飲み込めない感情があったと語る。
「私より先に逝ってしまった子供たちの顔は今でも皆覚えてる、子を失くした親御さんたちの顔もだよ…」
一人でも多くの子供を救うために岡崎先生は医術を磨き、知識の研鑽と更新を怠らなかった。それでも救えない命が大勢いる、それは変わらぬ現実だ。
頼れる小児科の大先生の影には見えない努力と辛い経験が隠されてる、普段は決して表に出さない医者としての影の顔だ。
「もう私より先に逝く子供は見たくない、頼む市乃ちゃん、私に元気になった八重香ちゃんを見せてくれ!」
岡崎先生が市乃に頭を下げる、それは心からの願いだった。それに続いていまだ詰めてくれてる医者の先生たちも頭を下げた。
そこにはどんな手を使ってでも患者を治し、助けるという覚悟を持った白衣を纏って医療現場で戦う者達の願いがある。
「おうおう辛気臭いぞ嬢ちゃん! 安心しな、悪霊だか悪魔だか知らねぇが、出てきたら俺がぶっ飛ばしてやらぁな」
「浦田教授……」
浦田は体力勝負の実験や探索で鍛えられた腕っぷしを見せながら高らかに言う、しかしその顔にはいまだ解けぬ緊張と疲労が滲み出ていた。
己が信じ突き進んできた科学という現代の道で解決できない、幼い子を救えない、どんなに悔しいか分からない。それでもそんな顔は一切見せず、この場を勝利で納めるために非科学的なオカルトに道を譲った。
「君が三ツ橋エリスちゃんなんだって? 俺、視聴者登録してるよ! 君なら出来る!」
「Vチューバーに詳しくないけど人気者なんだって? だったらやれるさ!」
「サイン頂こうかしら、もちろん八重香ちゃんを助けた後でね」
科学者の人達も激励を送る、その言葉に市乃はだんだんと熱い物が込み上げてきたようだ。
逃げ場はないから逃げる訳にはいかないという気持ちになる、その気持ちが自分がやらなきゃ誰がやる?という気持ちになる、そこに灰川が後押しを加えた。
「灰川流陽呪術っ、運能渾身っ! すぅ~~……せいっ!!」
「~~!!」
今度は失敗しないよう手をストレッチした後で、灰川は以前に破幡木ツバサに使った運能渾身を掛けた。
「どうだ? 体が熱くなって頭が冴えてるだろ?」
「う…うんっ…! 凄いっ、これならいつもより調子良いくらいだよ!」
灰川にしてもかなり良い出来の術の行使だった、市乃は気力を奮起し気炎万丈の表情になる。
既に準備は終わってる、後は八重香の部屋に行き配信をして、灰川たちの作戦が有効だと証明するだけだ。
「よし!行くよ灰川さんっ! 八重香ちゃんは助けられるって、私が証明してあげるねっ!」
「おう!頼むぞ市乃! いや、三ツ橋エリス!」
こうして道は決まり、市乃に続いて八重香の両親や陣伍、医者達、科学者たち、そして霊能者たちが屋敷の奥の部屋に向かった。
『こんばんわっ! エリスのゲリラ配信だよっ! 今夜は声だけのお届けになりま~す、あははっ』
八重香がうなされつつ横になってるすぐ近くで三ツ橋エリスの配信が始まる、そこに悲しみや焦り、緊張といった表情は見えず、神坂市乃から三ツ橋エリスへと変身した子が配信を行っている。
配信画面の背景には2Dイラストのエリスの公式壁紙が貼ってあり、見た目は三ツ橋エリスの配信だと分かるようにはなっていた。
マイクは指向性があるから八重香のうなされる声は入らないのは確認済みだ、例え入ったとしてもエリスなら誤魔化せるだろう。
コメント;この時間に配信!?
コメント;深夜配信って初めてじゃない?
コメント;法律変わったからな~
コメント;やっぱエリスちゃんって現役JKなの?
流石は登録者100万人目前Vtuber、配信を始めて10秒としない内に人が来はじめる。
『今日は時間短い雑談配信だけど、ちょっとだけリスナーの皆に付き合って欲しいなー』
コメント;OKだよー
コメント;この時間にエリスちゃん見れて幸せ
コメント;なんか調子良さそうだね
コメント;いま来た、3Dモデルなし配信なんだ
コメント;声だけの配信も初めて見たかも
見る見るうちに視聴者が集まってくる、そこにエリスは間髪入れずに話題を差し込み視聴者を退屈させる事なく配信をしていった。
初めての深夜配信で少し気分が上がってる事をネタにしたり、全然眠くない事を面白おかしく語ったり、3Dモデルなしでも見てくれる視聴者に感謝したり、いつもと変わらぬ調子で配信をしていく。
思えば市乃が配信をする姿を見るのは初めてだ、その表情には普段とは一味違った明るさが宿り、声や言葉も少し違う雰囲気がある。その様子を見て灰川は一瞬にして市乃が普通の女子高校から一流Vtuberに変わった事を感じていた。
『これからは深夜配信もやってくよー、これで真夜中の視聴者さんもゲットだぜー! あははっ』
コメント;ゲットされちゃったぜ!
コメント;寝不足には気を付けてね
コメント;ハッピーリレーの深夜配信か…
コメント;ブラック化しなきゃ良いけど
コメント;俺は深夜枠は嬉しい!
少しすると変化が訪れた、それはエリスにではなく八重香だった。うなされて呻いてた声が止まり八重香の目が開く、灰川たち霊能者3人は怨霊が表に出たかと思い身構えるが…。
「おとーさん……おかーさん……どこ……?」
「「!!」」
それは紛れもなく八重香の声だった、両親の反応がそれを証明している。両親は数日ぶりに苦しみ以外の声を発した我が子に駆け寄った。
「八重香っ! 八重香ぁっ!」
「痛くないっ? 苦しくないっっ?」
涙を流しながら話しかける両親の姿を見て医者と科学者、そして流信和尚が涙を堪えるように俯いていた。
エリスはというと配信に集中してそちらは見ないよう努めてる、マイクもエリス以外の音声は拾って無いようで配信に影響も出ていない。
「やえかね…ずっといたくて…たすけてほしかったの……」
「分かってるっ、今助けてやるからなぁっ! もうちょっとの我慢だぞ八重香っ」
「そうよっ、八重香は強い子だもんねっ? 大きくなったらお花屋さんになるんだもんねっ? ぅぅ……っ」
両親は涙を流しながら我が子に語り掛ける、もう駄目だと思っていた所に光明が確かに見えたのだ。
「んっとね……すごくいたかったけど…」
「もう少し頑張ってくれ八重香っ、必ず助けてあげるからなっ」
「さっき……きんいろのかみのおねーちゃんが……がんばってって…おーえんしてくれた……、すごく…ぽかぽかだった……」
「金色の髪のお姉ちゃんってっ…! 三ツ橋エリスちゃんっ…?」
「……おかーさん……えりすおねーちゃんと…おともだちなんだぁ…」
八重香のこの言葉は灰川の策が通じたという証だった、場に『もしかしたら、このまま解決するのでは?』という雰囲気が流れたが……。
『じゃあ配信終わりまーす! またねみんなー!』
コメント;おつ
コメント;またねー
コメント;おつかれ!
30分程度の時間が経過してエリスは配信を閉じ市乃に戻る、その途端に息を切らしてテーブルに手をついて汗を流し始めた。
普段は使う事のない霊的なエネルギーを消耗して体力が限界になった、この策では一人当たりの受け持てる時間が少ないのは予想していたことだった。
「うぅっ! あぅぅっ! うぅぅ~~~……」
「八重香っ! 八重香っ!?」
その途端に八重香が苦しみ呻り出す、タイミングは完全に三ツ橋エリスの配信が終わり、市乃の気力の糸が切れた時と同じ。
一連の光景を見て真っ先に声を出したのは八重香の祖父である四楓院陣伍であった。
「手当たり次第に賑やかな連中に声を掛けろ! 心当たりがある者はすぐに連絡じゃ! あとは街に出て誰かしら探してこい!」
ある程度の事情を話して協力してくれる者を募ると陣伍は言った、協力してくれた者には幾ばくかの金銭を支払うとも言う、もし不調をきたしたら病院代を払うとも付け添える。
他にも取り決めなければならない秘密保護やルールなどもあるだろうが、とにかく人数が必要なのは確かな事だ。
屋敷の奥にいつの間にか集まってた家の者達は一斉に動き出す、ここに『四楓院八重香ちゃんを怨霊から救おう作戦(仮)』が実施されたのだった。




