128話 大企業のビル 1
Vtuber組がコップに口を付けようとした瞬間、プロジェクターのスピーカーから2人の男の声が聞こえ始めた。その声の片割れはVtuber組には聞き慣れた声であり、明らかに灰川誠二の声であった。
実は会議室で使ってるパソコンは社員のミスで、隣の部屋のノートパソコンとマイクが繋がったままになっており、そこに入って来たと思われる灰川とタナカの声を隣の会議室に届けてしまってる。
だがミスに気付いてない社員たちは、声の切り方が分からず少しの間だけ流しっぱなしになってしまう。
『矢野さんは電話が来ちゃったみたいっすね、ここで休んで良いみたいっすよ』
『おう、少し疲れたしな、ここの飲み物は自由に飲んで良いそうだぞ』
『喉乾いちゃったし飲みましょか、パインフラワーティー? 聞いた事ないなぁ』
『ジャパンドリンク製品は逐一確認してるが、俺も見たことないな、飲んでみよう』
灰川はジャパンドリンクの製品を自ら買う事はほとんど無いが、喉が渇いてる時は仕方ないから買って飲む、今もそんな状態だ。
タナカも一緒にゴクゴクと飲む、その飲料はついさっき届いて冷やしたばかりの新商品、ナツハがCMをするパインフラワーティーだ。その事を灰川は知らないし、この会話が会議室で流れてしまってる事も知らない。
『なんかコレ……パッケージと香りの印象と味のギャップが凄いっすね…』
『ああ、パッケージと香りからすると、もっと甘くて爽やかなジュース寄りのアイスティーだと思ったぞ…かなり紅茶寄りの味なんだな…』
『これジュース的な味と思って買う人が結構居そうっすね、今はこういうのが流行りなんすかね』
『見た目と香りからイメージする味との食い違いが酷いな、アイデアは良いし興味を引かれるが、パッケージを見て買って香りで期待値上げられてからこの味だと、俺はちょっとな…』
『そもそもアイスティーと思って飲んでもそんなに美味しくないっすね、紅茶だと思うと逆にパインと花の甘い香りが邪魔になるっす』
『ジャパンドリンクも商品開発に失敗する事はあるんだな、それよりサイダーを飲もう。中東ではこのサイダーが最高の癒しだったんだ』
『タナカさんはジャパンドリンクのサイダーのプールで泳ぐのが夢って言ってたっすもんね、さすがジャパンドリンク信者だ。俺も飲もうっと』
この声が流れて来た時に会議室は温度が下がったような空気になった、Vtuber組も同じようなタイミングで飲んだのだが似たような感想を持ったのだ。
「この会話って隣の部屋のパソコンからみたいです…」
「誰かがリモート会議か何かで使ったアプリがそのままだったのか…」
夏に発売する新商品にして自由鷹ナツハが出演するCMの商品の味が微妙、誰も言えなかった言葉が第3者の不意の正直な感想によって表に出てしまった。
その直後に社員がリモートアプリを切る事に成功し、灰川たちの声は届かなくなる。
「あ、あのっ、私は独特な味が良いって思いますよ! あ、あははっ」
「自分もパッケージが凄い綺麗でカワイイって思うっす!」
「わ、私もアイスティー好きな人向けの商品なんだなって感じましたっ、ですよね花田社長さん?」
「あ、ああ…私もそう感じたな、ははは…」
パッケージラベルから受ける印象とパインと夏の花の香りから来る爽やかな甘さへの期待感が、紅茶が強い実際の味と大きなギャップがあり、本来なら紅茶の良い意味での渋さが悪く際立つ味だった。
味というのは見た目とのギャップが大きいと印象が大きく変わるし、美味しい物でも見た目と味の食い違いでマズく感じたりする事が普通にある。美味しそうなケーキを食べてハンバーグの味がしたら、多くの人は違和感から美味しくなく感じるだろう。
社員の中にもそれを強く思う人たちが居たようで、表情は少し硬い。今まで試飲してきた物と結構味が違ってたのも大きい。そんな中でリモートアプリを切ったと思ったら切れてなかったらしく、また灰川たちの声がスピーカーから流れだした。
『お待たせしました灰川さん、田中さん。あっ、当社の新商品のYulaを飲まれたんですね、いかがだったでしょうか?』
『ラベルが良い感じですね、夏の空とパインと花のイラストの調和が素晴らしいと思います』
『中東の砂漠で3日間彷徨って飲んだら最高に美味しいと思います、香りも良いし』
味に関して触れない2人の言葉がジャパンドリンク社員の胸を刺す、3日間砂漠を彷徨って飲む物なら何だって美味しいだろ!と思う。
『味は如何でしたか? こちらは当社の夏の主力に据えようと想定してる商品なのですが』
『大きな意外性があって新感覚ですね、温度も良い感じだし』
『挑戦的な姿勢が素晴らしいと感じます、やはりチャレンジ魂は大切だと思いますよ』
『そ、そうでしたか…それにしてはサイダーの方が減って…』
『そろそろ行きましょう矢野さん、まだ回ってない場所があるみたいですしね』
意地でも味を褒めないまま新感覚とか精神論の言葉で場を乗り切り、灰川とタナカは矢野に着いていった。その後は会議室に木枯らしの風が吹いてるような空気になる、皆が思ったけど声には出さなかった感想を灰川とタナカが垂れ流してしまった。
そこからは水面下で大騒ぎになった、普通に消費者目線で生の辛辣な感想が言われ、商品開発部に話が行き、社長達にも灰川の感想とあって耳に入り、試飲して社員が同じような感想を持ったり、お世辞にも美味しい飲み物とは言えないという結果が出された。
「………」
「…………」
「……」
会議室は静まり返る、これ売るの?みたいな雰囲気がドロドロに空気に溶け出してるような湿度を感じた。その時に宣伝部長のスマホが鳴り、少し話した後に会議室の中の者達に向けて話す。
「社長からの連絡でした、花田社長、自由鷹ナツハさん、此度のCM出演は新商品ではなく当社の主力商品でナンバーワン商品、当社の代名詞のジャパンサイダーのCMに出演変更では駄目でしょうか?」
「「!!?」」
ジャパンサイダーとはジャパンドリンク創業当初から最も売れており、美味しさを厳格に守ってる飲料だ。CMには大物俳優や有名スポーツ選手などの名だたる人たちが出演しており、新しいCMが出る度に誰が出演してるのか話題になる。
「失礼しますっ、アイスパインフラワーティーの自由鷹ナツハ主演CM試作映像が出来ました! 皆さんでご覧ください!」
今まで別室で作業してたシャイニングゲートの渡辺社長が会議室に入ってきた、試飲はしてないようで商品のイメージから作った映像が流される。
灰川のパソコンに入ってたアニメーション制作ソフトや動画編集ソフトなども、普通のアプリケーションではない魔改造アプリであり、映像はナツハの魅力と甘くて美味しい新商品を明るく爽やかに宣伝する映像で、声ナシでも素晴らしい映像であった。室内の雰囲気がどうなったかは言うまでもない。
灰川たちは次は42階で社員が怪奇現象に見舞われた場所を見に行こうとしていた、既に何か所か回ってサイダーとあまり美味しくない新商品を飲んで休憩を取った後だ。
ジャパンドリンク本社の中はとても立派な都市型オフィスで、ビル内部を探査してる時に横目で見える各部署のデスクも綺麗で、正にエリートたちの仕事場という感じがする。社内には多くの社員が居て誰も彼も忙しそうだ。
だが肝心の怪異の気配がしない、元から灰川もタナカも感知は得意な方ではないが、危険な怪異の気配は未だなかった。
「ん? トランシーバーで何か揉めてるな」
タナカが警備員が持ってるトランシーバーの音量を上げる、そこから聞こえてきた内容は。
『情報システム部の方の鹿野さんが居ないそうなんですが、退勤カードも切って無いし、外出報告も無いそうです。警備員で見た人は居ますか?』
「っ…!」
この業務連絡にタナカは焦りの表情を見せた、鹿野というのはタナカが世話になった人というのは聞いたが、確か海外事業部の人だったはずである。
「誠治、無線で言われた人は俺が世話になった鹿野さんの息子だ…親子でジャパンドリンクに勤めてるんだよ」
「えっ…? でもまだ怪異の被害に遭ったって決まった訳じゃないっすよ、広い会社だし部署の人がちょっと居なくなることぐらいは」
「確かにそうだが、伝染拡大型だからな…鹿野さんと息子の接触は他の人より多い可能性もある、被害にあった可能性は捨てきれない」
伝染拡大型怪異は当然ながら分かってない特性部分などもあるが、身内や親族に優先的に伝染したと見られるタイプもある。
たったいま被害者が出た以上は放っては置けないし、タナカの恩人の息子が被害を受けた可能性があるなら尚更だ。
それに発生元を突き止めるチャンスでもある。灰川とタナカは矢野に言って情報システム部のある場所へ向かう事にした。
ジャパンドリンク本社ビル25階に情報システム部の部署があり、矢野に連れて行ってもらい職員に鹿野を最後で何処に見たかなどの情報を3人で聞いていった。
他部署だが重役の矢野が鹿野に用があるとか、警備員のタナカが何かの書類を預かってるとか、そんな理由で聞き出して彼が消えた場所に目星をつけ探っていく。
「ところで灰川さんは当社の鹿野とお知り合いなのですか?」
「え、あ、いえ、さっき社員さんが鹿野海外事業部長が怪現象に遭ってから体調を崩したと言ってるのが聞こえて、息子さんも会社に居ると聞こえたので」
矢野はオカルトを信じてないのは灰川にも分かる、適当にお茶を濁しつつも感覚は澄ませたままで怪異の捜索は怠らない。
時刻は16時過ぎで高層ビルの25階から見える景色の街並みは、だんだんと夕方の空の濃さを纏って来はじめていた。
「ジャパンドリンクさんは皆さん忙しそうですね、残業などはあるんですか?」
灰川がタナカに頼まれて矢野の気を引き付ける、灰川も感知に気を向けつつも矢野に仕事の話を始めた。
「はい、定時で帰れる事は少ないですね、数年前に企業の締め付けが強くなる以前は夜の10時から会議とかが普通でしたから」
ジャパンドリンクに限らず大企業も残業は当たり前だったらしい、終電を逃して会社に泊まる人も居たし、長時間労働のストレスと身体的負担で体を壊したり、それでも休む事が出来ず栄養ドリンクを片手に書類やパソコンとにらめっこする日々だったそうだ。
残業代も出るし非常に高給料だが体や精神をやってしまって退社する若手も多いらしく、部署間の仲違いや派閥争いなどもあって決して楽ではないそうだ。むしろ仕事以外の面で気を遣わされるらしい。
「灰川さんはお土産のルールって知ってますか?」
「お土産のルール? いえ、自分が働いてた場所は旅行に行く時間もお金もありませんでしたよ」
灰川はちょっとした嫌味を言ったつもりだったが、矢野が自分の職歴を知ってる訳が無いと思って普通を装う。矢野は灰川が過去に傘下企業に勤めてたのは知ってたが、嫌味には気付かず話は続いた。
「部署仲間や仲の良い部署の同僚には旅行先のお菓子などを配って、同じ部署の先輩社員には旅行先の良い酒や特産品、仲の良い部署の先輩にも少し格が落ちるけど良い物、部長には最高級の地酒や部長家族へのお土産とかです」
「そ、そんなの金を使い過ぎるじゃないですかっ?」
「そうです、でもそれがいつの間にか社内慣習になってて、それをしなかったら仲間意識が低いとか、部署への忠誠心が低いとか、先輩や部長への感謝がなってないとか言われるようになるという風潮が出来てしまってたんです」
灰川は驚くが、矢野が言うにはその慣習を守らない奴は部長や先輩によるボーナス査定などに響き、昇進も遅れるようになるという暗黙のルールが出来てしまったのだそうだ。
大企業で昇進が遅れると無能の烙印を押されたり、同期の者達からは馬鹿にされるようになったり、先輩達からイジメられるようになる確率が高まるらしい。
「なので社員は休みなどの時は競って旅行に行き、より高いお土産を買う競争みたくなったんです。私もそうでしたから」
むしろ休みに旅行に行かない奴は先輩たちに感謝してないとか言われるようになり、イジメなどで会社を辞めさせるように仕向けられる。そんな風潮の中で重役になっていった者達が上層部を占めており、それが普通だと思ってるから問題にならない。
だが事はエスカレートしていく物だ、昇進してお土産を貰う立場になった者は『俺が平社員だった時は、これより良い土産を買ったぞ』みたいな、記憶の上方修正とも言える事が多発して、お土産の値段は天井知らずに上がっていった。
高級酒に腕時計、高級肉に高級アクセサリー、休みの度にそんな物を買わされる社員は高給取りでも財布を圧迫させられ、当然ながら旅行を楽しむなんて事は出来ない、借金までする事すらあったという。そうしなければ会社の中で生き残れなかったのだ。
「他にも出社のルール、お茶出しのルール、仕事を教えてもらう時のルール、片付けのルール、数え切れないくらいのルールがあったんです」
「………」
最初は誰かがこうした方が良いみたいな普通の意見出しだったそうだが、それが段々とルールを作る事によって『自分は有能である』というアピールの方法になってしまったらしい。
そのルールに反すればルールを作った先輩などから苛烈な叱責を受け、少しでも嫌な顔をすれば昇進査定はその先輩からの評価は0点、上にもボロクソに報告されるという時代があったそうだ。
そのため昇進には仕事の能力は一切が反映されなくなり、ゴマ擦りが上手い者、イエスマン、良いお土産を探す能力がある者などが昇進し、会社の仕事の基盤が滅茶苦茶になってしまった事があったと聞いた。
お土産のルールにしたって最初は社員の誰かが土産を買ってきたら、たまたまそいつが昇進して周囲が『お土産を渡したからだ!』と勘違いしたのが始まりだったと先輩から聞いたらしい。
「あっ、だから俺が子供の時はマズイ飲み物しか無かったのか!」
「ちょうどその頃がピークの時だったと思います、本社全体にその風潮が広まって、ジャパンドリンクは忖度と無意味なルールを守るだけの集団になってましたから」
今は社内改革なども進んできて以前よりは良くなった。
「大企業も大変なんですね、仕事じゃない部分での圧迫が苛烈と言うか…」
「はい、こんな風潮があったのはジャパンドリンクだけじゃなかったようです、どんな会社も内部はどうなってるか…今は締め付けがあるから良くなりましたがね」
組織は風通しが悪いと腐ってしまい、信じられないような陰湿な集団になったり普通じゃ考えられない風習が出来上がると矢野は言った。自分も新卒で入社したからこれが普通だと思い込み、長い間異常だと気付けなかったそうだ。
しかし自分が先輩と呼ばれるようになった頃に携帯電話が普及し始め、他の会社に行った友人などと連絡を取るようになり異常だと気付いたらしい。
それからは若手社員を中心に少しづつ会社風土を変えようと努力したようだが、結局は労働法の締め付けが強くなるまで本格的には変わらなかったそうだ。だが今も完全には消えてないらしく、そのせいかは不明だが変な味の商品が商品試験を通ったりするらしい。
灰川は大企業には凄まじい出世競争があり、仕事能力だけでは生き残れない事を思い知った。そもそもエリートばかり集まってるから能力に大差は無く、他の部分で勝負しなければならないのかも知れないと思うと、自分には生き残れない世界だとも感じた。
灰川は仕事能力はそんなに高くないし、物覚えだって悪い方だ。どの道ここでは生き残れなかっただろう、かと言ってブラック企業に送られた事は許せない。
もちろん悪い面だけじゃない事も分かる、厳しい世界だからこそ味わえる甘い蜜もあるだろうし、周囲からの羨望や尊敬の眼差しも勝ち取る事が出来る。なにより丸の内で正社員として働いてるだけで、大きな自慢になるのだ。
「誠治、ここから変な気配がするぞ」
「ん? 本当だ」
32階で鹿野を最後に見たという情報を得て探ってると、オフィスがある場所ではない奥まった通路の方に妙な気配を感じた。
「えっ? 田中さんも霊能力があるんですか?」
「矢野さん、そこはあまり聞かないであげて下さい、お願いします」
「は、はいっ、すいません!」
矢野はさっきの灰川が『相棒みたいな人』と言ってたのを思い出した、深く聞かれたくなさそうと感じて慌てて引き下がる。灰川の意識は既に部屋のドアの方に向けられていた。
「なんだこの部屋? 大企業だと普通なのか?」
「どうしたんすかタナカさん、ん? なんだこれ…陰湿だなぁ」
「こ、こんな名前の部屋はジャパンドリンクにはありませんよ! 誰かのイタズラかっ、まったく!」
タナカと灰川は驚き、矢野は驚きつつ憤りを感じてる。32階の通路の奥には灰川達以外には誰もおらず非常口が通路の最奥にあるだけで、賑やかなオフィスとは全く違った空気感だ。
そんな誰も居ない場所、ほとんど誰も来ないであろう場所に『追い出し部屋』と書かれた札が付けられた部屋があったのだ。




