127話 それぞれの仕事
「誠治、ジャパンドリンクを恨む気持ちも憎む気持ちも分かるが、広い視野で見れば助けられた人も多い」
「でも騙されて虐げられた側としては、簡単に許せる問題じゃないんすよ…」
「それも分かる、だからちゃんとやり返すんだ。今のお前にはそれが出来るだろう。ただ黙ってやられっぱなしで居たら、調子づかせて付け上がらせるだけだ」
タナカはジャパンドリンクに恩を受けた身ではあるが、被害を受けたならやり返すべきだと言う。それが可能な力があるなら、自分の心に決着を付けるためにも必要だと語る。
恨みというのは時には泣き寝入りする事も必要だ、それが大人の世界である。復讐をしない事によって生まれる利益もあるし、復讐をしたって空しいだけの時もある。
しかし法の裁きも望めず、絶対に許せなくて復讐しなければ心が前に進まないなら、法律に触れない範囲で復讐した方が良いともタナカは言った。
「四楓院家と繋がりがあるのはジャパンドリンクは承知だろう、だからほとんど信じてない怪異に対して誠治を呼んで繋がりを作ろうとしてるのは俺でも分かる」
「………」
「さんざん嫌味でも言って困らせりゃ良いさ、イザとなったら四楓院家をチラつかせりゃ良い。それに本当に恨んでるのは勤めてた会社の方だろうしな」
何かしらの形でやり返さなければ腹の虫はいつまでも収まらないとタナカは言った、復讐は無意味だと言う話があるが、何の謝罪も反省も無いなら復讐という手段に訴えるしかない。
「誠治があまりにやり過ぎない限り俺は止めない、ジャパンドリンクに恩はあるが、それとこれとは別だ。あとジャパンドリンクの依頼とは別に、局からの依頼も受けるか答えてくれ」
灰川は考える、ジャパンドリンクも許せないが怪異に晒されてるなら助けるのが霊能者の務めだと感じてる。それに本当に許せないのは勤めてた会社の方だ。
それでもジャパンドリンクに騙される形で大卒後にブラック企業に送られたのは許せない、しかしタナカが命を懸けると言う以上は助けになりたい気持ちも強い。
正直に言えばジャパンドリンクからの依頼なんて今からでも断れる、自分に不義を働いた会社の頼みなんて正直に聞いてやる義理は無い。どうなろうが知った事ではない。
だが断ればタナカは危険かもしれないし、タナカの恩人が家族含めて危険に晒される可能性は見過ごせない。シャイニングゲートとハッピーリレーの業界内イメージにも、何らかの形で影響するかもしれない。
「タナカさん、国家超常対処局からの報酬は無くても良いすけど…とっておきの怖い話でも聞かせて下さいっすよ、協力するっす…」
「そうか、助かる誠治、俺一人だったら調査を含めてどうしようか迷ってた所だ。局からの報酬もちゃんと渡す、サイトウが作ったパソコンは2台でもう1台あるんだ、それで良いか?」
「えっ? マジすか、欲しいっす!」
サイトウとはタナカの部下のスーパーハッカーであり、例のパソコンの制作者だ。あのパソコンをもう一台くれると聞いて灰川は頼みを聞いて良かったと思う。これでアパートでも事務所でも良いパソコンが使えるというものだ。
気持ち的にはジャパンドリンクを助けたくはない、しかし怪異を見逃して広がる被害を看過は出来ない、それに佳那美の小学校を守ったタナカを助けたと言うなら、ジャパンドリンクは遠い意味では佳那美を助けたも同然だ。ならば灰川だってジャパンドリンクに恩があるという事だ。
恩も恨みもどこかで繋がってる、自分が恨む誰かは自分の大切な人の恩人かも知れない。自分の恩人は自分の友の憎む奴かもしれない。情けは人の為ならずとはよく言った物だと灰川は感じ、除霊の依頼を真剣に果たす事を決めたのだった。後は少し嫌味でも言って腹の虫に収まりを付ければ良い。
灰川の気持ちは少し楽になった、恨みつらみは人に話すのも有効的な対処手段であるからこそ人は昔から愚痴をこぼす。それに市乃たちには言えない心の部分も話す事が出来たし、情けは人の為ならず、風が吹けば桶屋が儲かるといった現象論も身を以て学ぶ事が出来た。何故だか心に決着がついたような気もする。
だが実はタナカは灰川に言ってない事がある、例のパソコンは実を言うと局内での使用許可が降りない上に、局の予算で作った物だから私有が許されず実行部隊の執務室で無用の置物と化してるのだ。これを機に報酬という名目で灰川に渡して、処分してしまいたいという考えがあったのだが、灰川にとってはどうでも良い事だ。
灰川とタナカがトイレから出てくる、少し時間が掛かったが矢野は文句を言う事も出来ないし、むしろ社長達に相談する時間が取れて嬉しいまであった。
「お待たせしました矢野さん、案内をお願いできますか?」
「いえいえ、むしろもっと時間が掛かっても……あれ? なんか雰囲気が違うような…」
灰川とタナカは準備を整えてきた、灰川は陽呪術で精神防御や怪異への耐性を上げ、タナカは集中力を高める事によって霊的能力への耐性を高めていた。その雰囲気は普通の人でも分かるくらいであった。
作戦としては、まずは社内を調査して怪異の発生源を突き止め、その後に即座に祓わなければならない場合は矢野をどうにかして離れさせ対処する。その必要がない場合は後から侵入するなりして対処する。今回はタナカが侵入経路を探るための偵察という意味合いもある。
「で、ではご案内します…っ」
「お願いします、出来れば詳細に案内してもらえれば助かります」
2人の得体の知れない雰囲気に圧されて矢野は少し引き気味だ、対して灰川とタナカは真剣である。相手は伝染拡大型怪異、かつて戦後日本で幽霊列車の怪異として多数の被害を生み出した怪異と同型の物である。
幽霊列車とは、列車が来ない筈の時間の駅のホームに列車が来て、それに乗った人を何処かへ連れ去ってしまうという怪現象だ。推定被害人数は今までに1000名を超えており、今もなお完全解決に至っておらず対策が取られてる伝染拡大型怪異の一つ。
これに乗る人は何らかの形で『見えない切符』のような物を呪いという形で付与され、それが誰かに伝染する物だと考えられてる。
かつて灰川家も対処に乗り出したが、日本のどこの駅に出現するか分からないから調査に滅茶苦茶な金が掛かってしまい、庶民の灰川家には金銭面でも情報面でも対処が不可能だったという怪異だ。
ジャパンドリンク本社で発生してる怪異はまだ出始めであり完全ではない、叩くなら今だ。もし完全になってしまったら、灰川は『闇部屋』という怪異になるだろうと考えてる。
闇部屋とは入ってしまったら最後、かなり強い霊能力が無いと2度と出られない部屋が何処かに発生してしまう怪現象で、かつて江戸時代に地方で広まってしまった物を胡桃名家という一族が長年を掛けて、やっとの思いで祓ったという記録がある。
「ではまず5階のガレージブースから~~……」
矢野は灰川の雰囲気が大きく変わった事に違和感を覚えながらも案内を開始する、まずは霊能力があると噂の社員が最近は妙な感じがすると言っていた場所から案内する事にした。灰川とタナカは普通を装い着いて行くが、準備は万端である。
市乃たちは40階にある商品企画会議室という場所に来ていた、会議室には商品企画部や宣伝部などの社員が20人ほど来ており、CMの打ち合わせが始まっていた。
花田社長はスーツ姿で普通に様になってるが、市乃と空羽と来苑は降って湧いた来社の話だったから私服であり少し浮いてる。渡辺社長は別室で灰川のパソコンを運び込んで何かの作業をしており、花田社長が代理でVtuber企業側のまとめ役をしてる。
だが社員たちには社長や幹部から「何があろうと気を損ねさせるな、だがCMに関しては妥協するな」と難しい命令が下されており、普段は関りの無い社長からの命令に社員たちは緊張気味だった。
「それでは当社の新商品飲料、アイスパインのフラワーティー、商品名`Yula`の宣伝打ち合わせを始めます」
その直後に市乃たちがVtuber名で紹介される、これについては本名を言った方が良いのか意見が割れたが、色々な事を考えた結果としてVtuber名で通した方が良いという事になった。
もちろん写真撮影はご法度だし、実写配信をしてるナツハを除く三ツ橋エリスたちがどのような容姿だったのか人に話す事も禁止である。もっとも話された所で美少女と言って良い容姿だから問題はない。
このCMは自由鷹ナツハがメインのため、ナツハの本気度は今までに無いくらい高い。これを機にシャイニングゲートは芸能界への足掛かりにもなる可能性だってある。ハッピーリレーだって無関係という訳では無い、今は実質的にシャイニングゲートと提携してるから仕事の話が回って来る可能性があるのだ。
「まずは当社のCM案ですが、資料をご覧ください」
資料には幾つかの宣伝CMの概要が書かれており、ティルト撮影法というカメラを上下に振る技法を使ったアニメーションCM案、被写体の周囲をカメラを周回させて3D撮影をするアーク撮影法、複数のカメラでフォーカス撮影した動画を組み合わせて複雑な構成にした動画CM案、書いてあるだけでは想像が出来ない内容が羅列されていた。
「申し訳ないのですが、頂いた案の2番のフィックス撮影はVtuberの良さを短時間では生かしきれないので除外させて頂いてもよろしいでしょうか?」
花田社長が物怖じせず発言した、フィックス撮影とはカメラを動かさず一定の視点から撮影する方法であり配信などによく使われる。安定感はあるがCMという短時間ではVtuber自由鷹ナツハの良さを生かしきれないと判断した。
花田社長は元々はメディア業界の出身者であり、こういった方面にも造詣がある。
この言葉に驚いたのはエリスやナツハ、れもんだった。花田社長のこういった一面は今まで見ることが無く、最近は灰川に振り回されたり振り回したりして仕事してる社長みたいな印象になってたのだ。
「3DCGアニメーションCMは素晴らしい案だと思います、大胆にアングル変化しながら自由鷹さんを動かせば、商品に爽やかな印象を消費者に与える事が出来ると思います」
3DCGアニメーションとはCGとアニメの融合とも言える物で、2Dと3Dを一緒の画面で動かす技法である。以前は3Dと2Dアニメを同じ画面内に置くと違和感があったが、セルルックというCGをアニメの質感に近付ける技法が誕生した事によって革新的な進化を遂げて今は各所で使われてる技法である。
「当社としてもその案は良いと思うのですが、昨今は3DCGアニメのCMも増えていて、思った通りのインパクトが出せるか不安でもあります」
「自由鷹さんのネームバリューと3Dモデルなら、ファンとそれ以外へのアプローチは充分に可能かと~~……」
「フィックス撮影は動画サイトの広告CMで使えば、配信のような感じで視聴者に楽しんで頂けるかと~~……」
花田社長が社員たちと話を進めて行く、そこにはより良い結果を出そうと知恵を絞る経営者の姿があった。途中でナツハたちに分かりやすく説明したり、ジャパンドリンク社員に向けてVtuberという物は2Dと3Dと現実の全ての側面を有し、強いキャラクター性を持った存在である事も説く。
それを踏まえてジャパンドリンク側も考えを変えつつ、そのキャラクター性を使ってどのように商品を魅力的に宣伝するか再考する。その会議内容にVtuber達は全く付いて行けなかった、業界用語や専門用語が飛び交って理解が追い付かない。
「ロトスコープアニメーションはトレース時の違和感が強くなる可能性があります、ここはやはり~~……」
「ですがトラック撮影法を交えてであれば、Vtuber3Dモデルの独特な魅力を~~……」
ロトスコープアニメーションとは実写映像を模写して作るアニメで、通常のアニメにおける人物などの動作を簡略化せず、精彩に描写できる方法だ。しかし現実の動きをアニメに落とし込むため、少し間違えれば違和感だらけのアニメになってしまう。
話し合いは少しづつ形になってきた、プロジェクターで実際のアニメーションモデルを映して、どの形だったら魅力を生かせるかナツハに聞いたり、れもんやエリスにも意見を求めたりされる。
自由鷹ナツハのイメージを崩す事無く、商品を魅力的に、視聴者の心に響くCMを制作するための打ち合わせは続く、その途中で会議室に荷物を持った社員が入って来た。
「CM商品のYulaが届きました、皆さんで試飲をお願いします」
今まで完成前の試作段階だったパインフラワーティーという新飲料の完成商品が届き、コップに注がれ全員に渡る。
これまで実際に飲んだ事はなかったため、これを飲めば花田社長たちに何らかのインスピレーションを与えるかも知れない。
しかし社員たちは何度か試作段階の試飲をしてるため、味は知っており大きな変化は無いだろうと思ってる。
「頂かせてもらいます、どんな味なのか気になっていた所でした」
「私もパインフラワーティーは初めてです、考えた事もありませんでした」
「いただきまーす! 自分も初めてっすよ!」
「名前も夏っぽいし、絶対に女子高生とかに流行りそうですね、れもん先輩!」
Vtuber組がコップに口を付けようとした瞬間、プロジェクターのスピーカーから2人の男の声が聞こえ始めた。その声の片割れはVtuber組には聞き慣れた声であり、明らかに灰川誠二の声であった。
実は会議室で使ってるパソコンは社員のミスで、隣の部屋のノートパソコンとマイクが繋がったままになっており、そこに入って来たと思われる灰川とタナカの声を隣の会議室に届けてしまってる。
だがミスに気付いてない社員たちは、声の切り方が分からず少しの間だけ流しっぱなしになってしまう。
『このアイスパインフラワーティーっての、あんま美味しくないっすね…』
『そうだな…これはちょっと、俺も…』
新商品が美味しい保証なんて何処にもない、試作と商品では味に違いが出る事も多々あるし、商品の味を決めるのは企画部でも無ければ宣伝部でもないのだ。




