第98話 かつて、八人目だった海賊◆
「……どうして、こんなことをするんですか?」
ヴィクターの笑いに交じって、ラビの弱々しい声が微かに口元から漏れた。
「ん? 何か言ったかな?」
そう尋ね返す彼に向かって、ラビは顔を上げ、真っ直ぐな蒼い目でヴィクターを見つめる。
「どうして、こんな酷いことをするんですか? ……あなただって、元は私たちと同じ勇敢な海賊であったはずでしょう?」
ラビの言葉を聞いて、ヴィクターの眉がピクリと動く。
「………ほう? どうやら君は、私の過去を知っているようだね。それはどうしてかな?」
「以前、ニーナさんから聞いたんです。彼女の所属する伝説の海賊――八選羅針会は、本来八人であるはずが、三大陸間戦争以降、メンバーはずっと七人しか居なくて、一つ空席ができてしまっているということを――」
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今から一週間ほど前――サザナミ大大陸、ウルツィアに向かっていた道中でのこと。クルーエル・ラビ号の前甲板で見張りをしていたラビのところに、ニーナがやって来た。
「うい~~っす。ラビっち、当直交代しに来たよ~」
「あっ、ありがとうございます! 今のところ、風向き、進路共に異常なしです。それじゃ、後はよろしくお願いします」
「りょ!」
そう言って敬礼するニーナ。ラビは彼女に望遠鏡を渡してその場を離れようとしたが、ふと振り返ってニーナに尋ねた。
「あっ、あの、ニーナさんに一つ聞きたいことがあるんですけど……」
「ん~? なんじゃらほい?」
望遠鏡を覗いたまま言葉を返してくるニーナに向かって、ラビは尋ねた。
「ニーナさんって、伝説の海賊である八選羅針会の一人なんですよね? 八選羅針会って、ニーナさんの他に誰が居るんですか?」
「あれ? ラビっちには話してなかったっけ?」
ニーナはとぼけたようにそう答えたが、ラビがふるふると首を横に振った。
「仕方ないなー。じゃ、特別に教えてやるか」
ニーナは手に持っていた望遠鏡を畳み、その場に胡坐をかいて、ラビも隣に座るよう言った。
「まず最初に、八選羅針会のリーダー、『青髭』ことヨハン・G・ザヴィアス。自由人で神出鬼没なヒゲオヤジ。一応羅針会トップってことにはなっているけど、本人は全くそう思ってないみたい。周りがみんな、彼をリーダーにしたいって言うから、いつの間にかそうなってた、って感じ?」
「えっ⁉︎ そんな本人の了承も無しに勝手に決めちゃって大丈夫なんですか?」
「別にヘーキヘーキ。本人も何となくでリーダーやってるけど、それで今も上手くやっていけてるから」
「へぇ……意外とその辺の規則、緩いんですね」
「そゆこと。……で、その他には、『緋眼の狙撃手』こと『ウィッチ・ハント』号船長シャーリー・ロヴィッキー。『白銀のルベルト』こと『ドナ・リー』号船長ルベルト・フォン・パスカル。『黄金の鷹』こと『ファット・ブラックバード』号船長アスキン・バードマン。『衝撃の紫豹』こと『リバーライズ』号船長グレゴール・ラウザ。『妖艶の桃姫』こと『ソウル・シャドウズ』号船長ルシアナ・リリー。――そしてこの私、『褐色の女神』こと『カムチャッカ・インフェルノ』号船長ニーナ・アルハ! いぇい!」
ブイッ! と両手でピースしてみせるニーナ。それぞれの海賊に渾名と持ち船があることにラビは驚きながらも、「……ん、あれ?」と疑問を口にする。
「それだと七人しか居ませんけど……」
「あぁ、もう一人はね、何でなのか知らないけど、今は八選羅針会から抜けちゃってるらしいよ。だから、実質今は『七選羅針会』になっちゃってる状態なんだよねー」
「七選……ってことはつまり、一つ空席ができてしまっている、ということですか?」
「そゆこと。で、その今は居ないもう一人っていうのが、『黒き一匹狼』こと――」
ヴィクター・トレボック――ラビは彼の名前を、この時初めて知ったのだった。
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「……なるほどねぇ、ニーナから私のことは既に聞いていたという訳か。……ちっ、余計な真似をしやがって、あのビッチエルフが」
ヴィクターはそう言って小さく舌打ちし、まるで独り言のようにボソッとニーナを謗った。しかし、すぐにまた陽気な態度に戻して被っていた帽子を取ると、「バレてしまっては仕方がないね」と肩をすくめて言葉を切り出す。
「……いかにも。私は、かつて伝説の海賊と呼ばれた『八選羅針会』の一人だ。羅針会のメンバーに選ばれた当時の私は、それはもう伝説の称号が与えられたことに感極まって喜んでいたよ。あの頃は私たち海賊の天下だった。通りがかる船を襲っては、積み荷を奪い、女を抱き、酒と勝利に酔いしれていた。皆が私を恐れ、跪き、そして最後には、全員が私を崇めた。くっくっ……まるで神にでもなったような気分だったよ。気分は最高だった」
彼は、かつて自分たちが活躍していた過去の時代へと思いを馳せるように、遠い目で牢獄の壁を見つめていた。
「……だが、三大陸間戦争が始まってから、海賊の評判は地に落ちた。――というのも、戦争が始まった途端に、リーダーのヨハンが自分の船を手放し、私たちに向かってこう言ったんだ。『出しゃばる真似はするな』とね。おかしいと思わないかい? 戦争だよ? 今こそ海賊の力を世界中へ知らしめるチャンスだという時に、あの無能なヒゲオヤジは『大人しくしていろ』と言うんだ。まったく馬鹿げているよ。気でも触れたんじゃないのか?」
ヨハン・G・ザヴィアス――八選羅針会のリーダーである彼は、国同士の戦争が始まった際、海賊の仲間たちに対して、余計な手出しをしないよう伝えていたという。……が、ヴィクターは彼の決断に納得ができなかったようだ。
「もちろん、私は猛反対したよ。これまで勢力を拡大させてきた私たち海賊が、ここでその真の力を発揮することもなく、ただコソコソ隠れて歴史の影に埋もれていくなんて、我慢ならなくてね。それで、どうしてもひと暴れしないと気が済まなくて、私一人だけ自分の船団を率い、ロシュール王国側に殴り込みを仕掛けたのさ。……まぁ、その結果は散々だったけれどね」
彼はそう言って、自嘲するようにニッと口角を上げた。
「――結局、私は王国艦隊との戦いに敗北し、船団は全滅。私は右目を失い、リーダーのヨハンからは、言い付けを守らなかったことを理由に羅針会を破門させられた。……私の、これまで築き上げてきた地位が、音を立てて崩れ落ちた瞬間だった」
移り変わる時代の流れに翻弄されながらも、かつての海賊の栄光を失わないようにと、必死に抵抗し続けた一人の男。しかし厳しい現実は、彼から地位と右目を奪い取り、仲間であった海賊からも追放された。
こうして、彼は性格の歪んだ隻眼の一匹狼《化け物》へと変貌してしまったのだ。
「……そんなことがあったなんて……」
かつて海賊だった彼の壮絶な過去を知り、何も言えないまま目線を下げるラビに向かって、「おや、こんな私に同情してくれるのかい? ラビリスタ君」と、ヴィクターはにこやかな表情でラビを見た。
「君に同情してもらえるとは、全くもって恐縮至極だよ。……けれどね、ラビリスタ君。私はそんな君の表情を見ていると、本当に反吐が出そうになる。全くもって不愉快極まりないね」
「へっ?………」
感謝の言葉に続いて、唐突に吐かれた相手を突き放す返答に驚いてしまうラビ。そんな彼女の反応を見たヴィクターは、面白がるように甲高い笑い声を上げ、腹を抱えた。
「くっくっくっ! それはそうだろう! あの時、私の船団を壊滅させ、私から右目を奪ったのは、何を隠そう君の父親だったのだからね!」
膝を打って笑う彼の声は、地下牢の連なる廊下一帯を揺るがすように響き渡った。