第78話 囚われの身のメイド長◆
※過度な暴力描写あり。苦手な方はご注意ください。
――薄暗い部屋。周囲を厚い壁で囲われたその空間を照らすのは、唯一壁の上に開けられている鉄格子のはまった窓から差し込む陽の光だけだった。
格子状の影が落ちる部屋の隅には、首と右足を鎖に繋がれた一人の女性が、蹲るようにして座り込んでいた。
彼女は白熊族特有の美しい純白な髪を伸ばしていたが、伸び放題なその髪は地面に蔓延るように散乱し、長くなり過ぎた前髪に、顔のほとんどは隠れてしまっていた。髪の中から覗いているモフモフな獣の耳も、力なく垂れてしまっている。
壁の向こうから、複数人の足音が聞こえてきた。やがて、ガシャンと音を立てて鉄扉が開錠され、扉が開いて、数人の兵士と一人の高官らしき男が中に入って来た。
「ホッホッ、気分はどうかね、ポーラ君?」
その特徴的な笑い声を聞いた女性――ポーラ・アルテマは、自分の目の前に立っているぶくぶくと太った男が、オーデシアン・タイレル侯爵であるとすぐに分かった。
「……………クソ野郎が」
ポーラがぼそっとそう呟くと、隣に立っていた兵士の一人が、携えていたライフルの銃床で彼女の顔を思いきり殴った。
「がはっ!」
その場に倒れたポーラは、床に血の混じった唾を吐き捨てた。
「ホホッ、まだ罵倒を口にできるくらいの元気は残っているようで何よりですヨ。だがしかし、元公爵邸のメイドともあろう者が、そんな汚い言葉を容易く吐いて良いものか……まったく、公爵家のメイドたちは仕付けがなっていないようですネェ」
「……誰彼構わず鞭を振るうようなアンタに言われたくない――」
そう言うが早いか、タイレル侯爵は腰に吊り下げていた鞭を手に取り、倒れたポーラの背中に一撃を放った。彼女の着ていた衣服が破れ、叩かれた跡から血が滲んでゆく。破れた服から垣間見えた彼女の体には、既に数多くの鞭打ちを食らい、痛々しい赤いチェックの模様が刻み込まれていた。
「その無礼な態度もいつまで持つのか見ものですネ。私の手に掛かって、悲鳴を上げずに最後まで耐えられた者は居ませんでしたヨ」
鞭を手でしごきながら、ニヤリと卑劣な笑みを浮かべるタイレル侯爵。
「いかに特殊なスキルである『瞬間転移』を持っている最強メイドであろうとも、マジックアイテム『魔力封じの首輪』を付けられていては、所詮ただの獣人の負け犬同然。哀れなものですネェ」
「くっ………さっさと殺せ」
蔑んだ目で見られることに耐えきれなくなったポーラは、思わずそう口にして顔をそむけた。
「ホッホッホッ。威勢の良さだけは買いますが、あなたは殺しませんヨ。……確かに、お前の持つ能力を我々が回収できた時点で、お前はもう用済み。それに、ここまで体を傷モノにしてしまっては、もう奴隷市に出すこともできないでしょうからネェ」
「なら、なぜ――」
ポーラが問いかけようとしたとき、独房の向こうから、もう一人の男の声が聞こえた。
「それは、私がそう指示したからだよ」
ヤニくさい臭いと共に鉄扉が開き、中から軍服を肩に羽織った司令官らしき男が姿を現す。二角帽子を被った金髪隻眼の彼は、口にくわえた煙草を独房の床に投げ捨て、ニヤけた顔でポーラの方を見た。
「き、貴様……ヴィクター・トレボック」
「おや、私の名前を憶えていてくれるとは光栄だな」
ヴィクターは帽子を外し、ポーラに向かって大仰にお辞儀する。
「……あんな屈辱を味わわされて、忘れるはずがないだろうが……」
ポーラはそう答えて、湧き上がる怒りを嚙みしめるように歯を食いしばる。
「おやおや、何を怒っているのかな? 私は君から、少しばかり君の能力を拝借しただけだよ。君の持つ秘蔵の力は、我が無敵艦隊を最強と言わしめるために、大いに利用させてもらった。君は我が艦隊に貢献してくれたんだ。本当に、感謝してもし切れないくらいだよ、ポーラ・アルテマ」
「私はお前なんかに力を貸した覚えは無いっ!」
ポーラがそう叫んだ途端、再びタイレル侯爵の鞭が飛び、彼女の体をピシリと打った。走る激痛に、ポーラは小さな悲鳴を上げて、その場に倒れ込む。
「――さて、君からの能力採取も無事完了し、我々の進める『無敵艦隊』計画は最終段階を迎えた訳だ。……が、しかしながら、ここで思わぬ邪魔が入ってしまった。その邪魔者は、世界最強のドラゴンである黒炎竜に乗り、リドエステにある王国の軍事要塞を単身で撃破してしまった恐ろしき強者だ。おまけに、そいつは海賊の手も借りて、今も王国内各地を飛び回っているらしい。そんな彼――いや彼女の名は、ラビリスタ・S・レウィナス」
その名前を聞いた途端、ポーラは驚いて顔を上げた。
「ラビリスタお嬢様が⁉」
ポーラの反応を見たヴィクターが、ニヤリと笑みを浮かべる。
「君なら知っていて当然だろう。君が仕えていたレウィナス公爵家の主、シェイムズ・T・レウィナスの一人娘だよ。君にとってはさぞ嬉しいニュースだろう? 尊敬する主の娘が生きていたのだからね」
「お嬢様は今何処にっ⁉――」
ポーラが問いを投げようとしたところに、再びタイレル侯爵の鞭が飛ぶ。悲鳴を上げるポーラに向かって、ヴィクターは「まぁ落ち着いて聞きたまえ」と諭す。
「この私が断言しよう。彼女は今、ここサザナミ大大陸ウルツィアの港町へ向かって来ているはずだ。……囚われている君を助けるためにね」
「なっ!……」
言葉を失うポーラに向かって、ヴィクターは更に畳みかけるようにして言葉を続けた。
「それに――どうやら君は過去に、ラビリスタと深い関係を持っていたそうじゃないか。レウィナス公爵が差別人種である君たち白熊族を擁護したのも、君とラビリスタとの出会いがきっかけであったとか?」
「ど、どうしてそのことを⁉」
混乱して言葉を荒らげるポーラ。対してヴィクターは、「なに、そんな情報を知ることくらい、簡単なことだよ」と軽々しく言葉を返す。
「――君の仲間である近衛メイド隊『ホワイトベアーズ』の一人を拷問にかけたら、ヒイヒイ泣きながら全てを我々に話して聞かせてくれたよ。あれはまさに痛快だった。ですよね、タイレル侯爵閣下?」
「ホッホッ、まさしくその通りでしたネ。私の華麗なる鞭さばきに、彼女も満足してくれたようで何よりですヨ」
「きっ、貴様ぁあああっ!!」
ポーラがヴィクターに掴みかかろうとしたが、寸前のところで周りの兵士たちに阻まれ、瞬く間に床に組み伏されてしまった。
「おお怖い怖い。最近の獣人はやたらと狂暴だからいけませんネ」
「まったくです、侯爵閣下。――さて、君はまだまだ私の役に立ってもらわなくてはならない。だからここに居る間は、せいぜいタイレル侯爵に可愛がってもらうと良いだろう」
「……こっ、このゲス野郎っ……一体、何を企んで………」
兵士たちに組み伏されたポーラが、苦し気な声を上げる。
「――それはもちろん、わざわざここへ来てくれるのであれば、歓迎してあげなくてはならないだろう。君は、彼女をここへ呼ぶための餌だ。ラビリスタはレウィナス公爵と似て、とても正義感の強いお方のようだからね。君がここに囚われていると知れば、すぐにでも助けに飛んで来るはずだ。仲間を見捨てることなど、彼女にはできないだろうからね」
「まさか貴様っ……ラビリスタお嬢様に何をするつもりだ! 答えろっ!」
必死に抵抗するポーラを前に、ヴィクターは背を向けて、独房を後にしてゆく。
そして去り際に、彼は小さくこうつぶやいた。
「……それはもちろん、私の復讐を果たすための贄になってもらうよ。かつて私がレウィナス公爵に味わわされた屈辱を、娘である彼女に支払ってもらおうか。くっくっくっ……」
「ホッホッホッ!」
独房内に、二人の耳障りな笑い声がこだました。