第64話 秘密の要塞基地◆
地上へと続く穴を真っ直ぐ、垂直に昇ってゆくグレン。やがて、地上から吹き込んでくる風を感じるようになり、僅かだが光も見えてきた。
「見えた! きっとあの先が地上だよ、グレンちゃん!」
「うん……しっかりつかまっててね……」
グレンは大きく翼をはためかせると、漏れ出る光の先へ、その身を滑り込ませた。
光が失せた途端、強い風と雨がグレンとラビの体に打ち付けた。強風に煽られてグレンは一瞬バランスを崩したが、すぐに体勢を立て直し、空高く舞い上がって翼を大きく広げると、風に合わせて翼の角度を調節し、滑空するように空の上を飛行する。
ラビたちが飛んでいたのは森の上で、乱立する木々の中に、ぽっかりと大きな穴が空いているのを見つけた。どうやら、あそこから出てきたらしい。
森のすぐ隣には巨大な湖が広がっており、吹き荒ぶ風のせいで湖面は荒々しく波立っている。空には雨雲が低く垂れ込め、辺りは灰色に染まっていた。
「……ボク、こうして地上に出たの、何年ぶりだろう? ……地上を飛ぶのって、こんなに気持ちいいものなんだね」
冷たい雨に打たれ、風に吹かれながらも、グレンはその心地よさに酔い、新鮮な空気を吸い、久々に見る外の景色を前に目を細めていた。
「あっ、グレンちゃん! あれ!」
すると、ラビがあるものを見つける。彼女が指差した先――湖の畔に、大自然の中には不釣り合いな巨大建造物が見えた。
それは、湖に面した三方を壁に囲われた要塞で、壁の上にある通路には所狭しと大砲が並べられ、壁の内側には、何やら大きな倉庫やクレーン、それに監視塔などが見えていた。港としての機能もあるらしく、湖には桟橋が掛けられ、何隻もの小型船がそこに停泊していた。
「あれが、ウラカン様の言っていた要塞ね。近くの森にゆっくり降りましょう。気付かれないようにね」
「うん……」
グレンはラビの言う通り、相手に見えないよう、要塞のすぐ近くにある森の中へ静かに着地して身を潜めた。ラビは近くの木の上に下ろしてもらい、そこから要塞の中を偵察する。
このとき、ラビは知らず知らずのうちにスキル「遠視」を獲得しており、遠くからでも要塞の中の様子をしっかり伺うことができた。
「あぁ………なんて酷いことを……」
要塞の中を見たラビが放ったのは、その一言に尽きた。
要塞の広い区画の中にずらりと並んでいたのは、全てグレンと同じ黒炎竜の死体だった。その死体の周りを、瘴気に犯されぬよう防護服に身を包んだ人間たちが取り囲み、彼らの鎧である漆黒の鱗を剥がしにかかっている。中にはまだ生きている個体も何匹かいて、鱗を一枚一枚剥がされるたびに悲痛な叫びを上げていた。
そんな黒炎竜に向かい、防護服の人間たちが何やら濃い桃色のガスのようなものを顔に目掛けて浴びせかけていた。すると、それまでバタバタと抵抗していた黒炎竜は急に大人しくなり、やがて動かなくなった。あの桃色のガスは、もしや毒ガスだろうか? それとも催眠ガスか? あらゆる物理攻撃が効かないという最強の黒炎竜でも、あのガスにはさすがに太刀打ちできないようだ。
港では多数の魔導船が入港しており、狩られてしまった黒炎竜の死体が、船の船底から垂らされる鎖に吊り下げられていた。港で受け取られた死体はクレーンで要塞の中へと運ばれ、作業場に並べられては、次々とまた鱗を剥がされていた。
そのあまりに惨たらしい光景を前に、ラビは思わず目を反らしそうになる。こんな残虐的で悲惨な行為が許されて良いはずがない。彼女の心は言い知れぬ悲しみと怒りに燃えていた。
そしてラビは、ふと要塞の壁の上に掲揚された三つの旗に目を付ける。一つは国旗と、もう一つは軍の紋章が記された旗。その旗のデザインは、どちらも全て彼女にとって見覚えがあり、馴染みの深いものだった。
「ロシュール王国! しかも、お父様のいた王立飛空軍の紋章まで! 一体どういうことなの……」
そして、残る最後の旗にもラビは見覚えがあった。水色の背景に、重さを計る天秤のイラストが描かれた旗。ラビはその旗を、かつて自分が奴隷として市場で売られていたときに一度見ていたのだ。
「タイレル商会………つまり、この要塞はタイレル侯爵の意図によって建てられたというの?」
(一体何のために? こんなにたくさんの黒炎竜を殺して、侯爵は一体何をしようとしているの?)
ラビの脳内が疑問であふれかえる。しかし、このような凄惨なことをしてまで成そうとすることが、決して正当な行いであるはずがない。彼らの愚行を止めるためにも、ここは第一発見者である自分が動かなければ。
そう決心したラビは、急いでグレンの元へと戻った。森の中に隠れていたグレンは、急ぎ足で戻って来たラビを見て、「……どうだった?」と尋ねた。
「あなたたちの同族を殺した黒幕はロシュール王国のタイレル侯爵よ。要塞の上にタイレル商会の旗が掲げられていたのを見たの。タイレル商会は侯爵の牛耳る巨大な商売組織で、非合法な奴隷取引で莫大な富を得ているわ」
「詳しいんだね……」
「私も以前に一度、あの商会に奴隷として売られたことがあるの。自分の富や利益のことしか考えないような侯爵のことだから、きっと何かとんでもない陰謀を企てているに違いないわ……だから、このまま夜になるまで待って、夜間にあの要塞へ奇襲をかけるわ」
「えっ、奇襲って……きっと、冗談で言ってるんだよね?………」
グレンがおずおずとそう尋ねるが、ラビは首を横に振る。
「あんな酷い行いをする悪い人たちを、黙って見てなんかいられない。あの人たちのせいで、ウラカン様も苦しめられてる。私たちが今何とかしなきゃ駄目なの!」
「でっ、でも……あれだけの要塞をボクらだけでやるなんて、無茶だよ……」
「確かに、あれだけの要塞を私たちだけで陥落させるのは難しいかもしれない。……でも、あなたの同族を殺す人たちを放っておけないし、それにあの悪人たちをここから追い払わないことには、この大陸もいずれ嵐に飲まれて崩壊するわ。そうなる前に止めなきゃ!」
ラビは拳を握り締め、決意するように声を上げた。けれど、それでもやはりグレンだけは乗り気になれないのか、頭を下げたまま答えあぐねてしまっている。そんな彼に、ラビはそっと寄り添い、彼の大きな顔を優しくなでてやった。
「……だから、お願い。私に、力を貸してほしいの」
その声は弱々しく、ささやくように微かだったけれど、声に込めた彼女の願いは、竜であるグレンにもはっきり伝わるほど強くて直向きだった。そんな気持ちを感じ取ったグレンは、やがてため息を一つして、ラビに向かって言う。
「……うん、いいよ………その代わり、差し出がましいかもだけど……ボクのお願いも一つ、聞いてほしいんだ……いいかな?」
「ええ。何かしら?」
ラビは、おこがましさを抱きながらも語る彼の願いを、しっかりと聞いてあげた。その願いとは――