第56話 ボク、嬉しいことがあると、つい一人舞い上がっちゃうクセがあるんだ……◆
「……えと、その、グレン、君? ちゃん?」
「あ、えっと、ボクたちドラゴンは君たちと違って性別が無いから、別にどっちの呼び方でも構わないけど……」
「じ、じゃあ、グレンちゃんで」
「うん、いいよ」
鋼鉄の鱗に覆われた黒炎竜の巨大な図体を前に、どうしても恐怖を隠せないラビ。けれどもこの黒炎竜、外見とは裏腹に、ついさっきまで火を噴いて暴れ回っていた姿が嘘であったかのように大人しく、おまけにとても内気でシャイな性格のようだった。
「わ、私の名前は、ラビリスタ・S・レウィナスと言います。ラビって呼んでください」
「うん、分かった……ラビちゃん」
それから暫しの間沈黙が流れ、互いに気まずくなってしまう一人と一匹。沈黙に耐えかねたラビが、恐々と目の前の黒炎竜に向かって問いかけた。
「あ、あなたが、崩れ落ちる瓦礫から、私を守ってくれたの?」
「うん……君が船から落ちていくのが見えて、慌てて拾ったんだ……余計なことだったかもしれないけど………こうなったのはボクの責任だし、なんか悪いなって思ってさ……」
「そ、そんなことないよ! ありがとう。グレンちゃんは見た目に反してすごく優しいのね」
「ハハ……別に褒められるようなことじゃないよ………ところでさ、君も、ここにある船に乗って来た人間たちと同じで、ボクらを退治しに来たの?」
「えっ? 退治?」
ラビはグレンの放った言葉に首を傾げる。グレンの話によれば、この洞窟にある船の残骸は、全てグレンを退治するためにやって来た艦隊だったらしく、どの船もグレンを倒そうと束になって攻撃を仕掛けてきたという。
「ボクら黒炎竜一族は、人間とか他の種族たちからも嫌われているせいで、もうずっと昔からこの大陸に隠れて静かに暮らしていたんだ……それで、一族の長から、この洞窟で侵入者が来ないように見張っていろって言われたの……だからボク、もうかれこれ五千年くらい、ずっとここで洞窟の番をしているんだ……」
「ごっ、五千年も!」
そんな途方もない時間を、こんなジメジメした洞窟の中で過ごすなんて、ラビには想像ができなかった。
「……それでね、洞窟にやって来る余所者はみんなやっつけるように言われてたんだけど、ボクあまりそういう暴力的なこと好きじゃないから、適当に暴れて追い払おうと思ったの。……でも、ボク不器用で、力加減とかよく分からなくて……それで、気付いたらこうなっちゃってたんだ……」
そう言って、グレンは悲しげに首をすくめて、船の残骸や瓦礫の散乱する洞窟を見渡した。
「君たちがここへやって来たときもね、本当に久々の来客だったから、嬉しくてちょっと張り切り過ぎちゃったんだ……それで、いつもより少し強めに火を噴いちゃって……ボク、嬉しいことがあると、つい舞い上がっちゃうクセがあるんだ……だから――」
と、そこまで言ってグレンは自分の話が脱線していることに気付いたらしく、慌てて話を戻す。
「そ、それでね、気付いたら洞窟まで全部崩しちゃって……君のお友達もみんな逃げちゃったし……なんか、ごめんね」
「えっ? 師匠やニーナさんたちはみんな逃げられたの?」
ラビがそう尋ねると、グレンはこくりと頭を縦に動かして答えた。
「うん、君の乗ってた船は、洞窟が崩れる前に外に出られたみたい……良かったね」
グレンの話を聞いて、ラビはホッと胸をなで下ろす。てっきり落ちてくる瓦礫の下敷きになってしまったのかと心配していたが、どうやら無事に逃げられたようだ。
「あ……でも、洞窟が崩れたせいで、入口が埋まって塞がってる……」
「うん、そうだね……これじゃお友達、迎えに来れないね……」
「ど、どうしよう……」
師匠と離れ離れになってしまい、困り果ててしまうラビ。塞いでいる岩の山を退かすのは不可能だし、どこか別の出口を見つけなくてはならない。それに、出口が見つかったとしても、師匠やニーナさんたちがまだこの大陸にいるかどうかも分からない。
師匠との再会がもはや絶望的である中、困っているラビを気の毒そうに見つめるグレン。彼の悲しそうな赤い眼を見て、ラビは優しく微笑みかける。
「大丈夫、あなたのせいじゃないです。こちらこそ、ごめんなさい。あのとき、グレンちゃんがこんな優しい竜だったなんて知らなくて、つい攻撃してしまったの。大砲の弾を受けたとき、痛かったでしょう?」
ラビが心配そうに尋ねるが、グレンは首を横に振る。
「あ、それなら平気だよ。ボクら黒炎竜の鱗は、物理攻撃がほとんど通らないし、痛みなんて全然感じないから……」
「えっ、そうなの?」
「うん……最初に君たちから攻撃されて倒れちゃったときも、別に痛みなんて感じてないし、普通に起きていたんだけど……なんか、君たちが船の上で嬉しそうに喜び合っていたから、邪魔しちゃ気まずいかなって思って……それで、ずっと寝たふりをしていたんだ………」
少し恥ずかしそうに俯きながら答えるグレン。シャイな性格でありながらも、さすがは世界最強と呼べるだけあって、ラビたちの決死な総攻撃をもってしても、グレンには痛くも痒くもなかったようだ。
「グレンちゃんは強いんだね。私の船にいた乗組員はみんな、あなたのことを厄災の炎竜って呼んで怖がっていたのよ」
「ハハ……それは笑えるね………」
ラビがそう言ってグレンを元気付けようとしたが、世界最強の黒炎竜は、興味無さそうに軽く笑いを返すだけだった。
「あ……でも、ここ最近はウラカン様の体調が優れなくなったせいで、この大陸周辺はずっと嵐が吹き荒れてばかりいるんだ……だから、君のお友達も、今頃この大陸から出られなくて困ってるんじゃないかな……」
「えっ? ウラカン様?」
グレンの話によると、この大陸には「ウラカン」と呼ばれる、グレンよりも強い魔力を持った巨大な魔物が地下に潜んでいて、その魔力の強さゆえに、大陸周辺の天候すらも操ることができるらしい。
「ウラカン様はね、普段はとても温厚な方で、僕たち黒炎竜や人間にも優しくしてくれて……ウラカン様の力のおかげで、この大陸周辺はいつも天気が良くて風も穏やかだったんだけど……でも、つい数年前くらいから、ずっとあの方の機嫌が悪くて、天気も荒れ放題なんだ……」
ニーナたちと共にリドエステ中大陸へやって来たとき、荒れ狂う嵐に見舞われて、やむなくこの洞窟に隠れた経緯を思い出したラビは、嵐の原因がその「ウラカン」という魔物によって引き起こされている事実を知り、驚きを隠せなかった。
「つまり、そのウラカン様を鎮めない限り、この大陸に吹き荒れている嵐を止められないの?」
「うん……でも、ここにいれば雨風が吹き込むこともないし、とりあえずは安全だよ」
グレンが慰めてくれるものの、ラビは胸騒ぎが収まらない。
「どうしよう。もし師匠が嵐のせいで遭難でもしていたら……仮に大陸にある港町までたどり着いても、あの嵐じゃ大陸から出ることもできないだろうし……」
心配して落ち着かないラビを横目に、グレンは戸惑いながらも、すごすごと洞窟の奥へ引き下がってゆく。
「あぁ、あの……そういえばボク、用を思い出しちゃって……洞窟がこんなになったんじゃ、見張り番の意味もなくなっちゃったから……これじゃ誰も入って来れないし……長にこのことを報告しなきゃ……」
「きっと怒られるだろうな……」などと独り言ちながら、グレンはラビの方をちらと一瞥する。
「あ……あの、この先にボクらの住処があるんだけど……もし良かったら、ついて来ても、いいよ………別に付いて来なくても、いいけど……」
そう言い残して歩き出すグレン。
「あっ、ちょっと待ってグレンちゃん!」
ラビは慌ててグレンの後を追いかけ、洞窟の奥へと消えていった。