第30話 森林浴で危機一髪!
「い……痛い……痛いよぅ……」
背中に走る耐えがたい激痛に、涙を浮かべてうわ言を漏らすラビ。俺は彼女を甲板の上に安静にさせ、なけなしの魔力を使って治癒魔術をかけた。しかし、まだLvもろくに上げていない治癒(小)で彼女の傷が完治するはずもなく、火傷跡はまだ残ったままだった。こんなことになるなら、もっと治癒魔術のレベルを優先して上げておくべきだったと、俺は今さらながら後悔する。
『すまない、ラビ。今の俺の力じゃ、ここまで治すので精一杯だ……』
俺は自分の力の限界をわきまえて、ラビに謝罪した。が、謝ったところで彼女の傷が癒えてくれる訳ではない。
「私なら……大丈夫です。師匠のかけてくれた治癒魔術のおかげで、あまり痛みも感じなくなりましたから……」
ラビはそう言って、表情を少し和らげる。きっと心配する俺を少しでも安心させたかったのだろう。……でも、額に玉のように浮かぶ汗を見れば、無理していることが嫌でも分かってしまう。
『無理に喋らなくていい。しばらくそこに横になっていろ。ある程度魔力が回復したら、また治癒魔術をかけてやる』
Lvの低い治癒(小)でも、何度も重ね掛けすれば回復も早まるはず。……だが、肝心の魔力の元となる魔素を集める帆が全て破れてしまっている以上、魔力を回復させるにもかなり時間がかかってしまうだろう。帆の修繕が必須だが、それもラビがいないことには手を付けられない。……どちらにせよ、ラビの傷が癒えてくれるまでは、当分ここを動けそうにない。
「――ケケケッ」
と、そのとき、森の中から甲高い泣き声が聞こえ、黒い影が俺の甲板の上を横切った。俺は影を目で追おうとしたが、素早くて正体を見極められない。しかし、影が過ぎ去った後、床に残された黒い羽を見て気付く。
『――上かっ!』
案の定、マストの帆桁の上に、複数の鳥らしき影が連なって留まっていた。
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【種族】メタルビーク
【HP】25/25
【MP】0/0
【攻撃】90 【防御】30 【体力】50
【知性】30 【器用】45 【精神】15
【保持スキル】警戒:Lv2、夜目:Lv4、刺突:Lv3、体毛硬化:Lv2、方向感覚:Lv1
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「ケーケケケッ」
「グェッ、ケケッ」
その鳥は体長一メートルほどで、全身を真っ黒な羽毛で覆われていた。頭には赤い二つの眼が光り、長いくちばしは光沢のある銀色に輝いていた。奴らは二十匹ほどの群れをなしてマストの帆桁に点々と留まっていて、甲板の上で横になって動けないラビの方をじっと見詰めていた。
やがてそのうちの数羽が翼を広げて甲板に降り立ち、ノコギリのように角の反り返ったくちばしをカチンカチンと鳴らして、ラビの方へ近付いてくる。
『「メタルビーク」って……こいつら、くちばしが金属でできてるのか?』
それにこの外見からして、どう見ても草食の大人しい鳥であるとは思えない。現に奴らは、怪我をして動けないラビの周りを囲うように群がってきている。これは明らかにマズい状況だ。
「くっ……こんなときに敵が来るなんて……」
ラビは背中の傷を抱えながらも半身を起こし、腰に差していた剣を抜いて構えた。まだ傷も完治していないというのに奴らと戦うのは自殺行為に等しい。
『ラビ! 今すぐ逃げるんだ!』
「し、師匠を置いて逃げることなんて、できないです!」
馬鹿野郎! ただでさえ負傷してる状態で相手できる訳ないだろうが!
それでもラビは、じりじりと距離を詰めてくるメタルビークの群れに向かって剣を振り回し、近付かないよう威嚇する。しかし、メタルビークの一匹が剣に食い付き、いとも簡単に真っ二つに折ってしまった。折れた剣を見てラビの顔は青ざめる。あんな強靭な顎で噛み付かれれば、ラビの体なんてたちまち真っ二つにされてしまうだろう。
「ケケケッ!」
「こ、来ないで……来ないでっ!」
くそ! こんなときに魔法が使えないなんて! ただ見ていることしかできない俺は、ラビの危機を前に何もできない自分を悔やむことしかできなかった。
と、そのとき――
シュッ!
「グゲッ!」
突然、真上から一本の矢が飛んできて、ラビに襲いかかろうとしたメタルビークの頭部に突き刺さった。
『⁉︎ 一体どこから――?』
俺は咄嗟に頭上へ目を向けると、森の切れ目に広がる青空の上に、音もなく飛んでいる一隻の船影が見えた。
そして、その船の船頭には、弓を持つ一人の女性の姿。見た目は二十歳くらいだろうか。褐色の肌に、太陽の光を受けてまぶしく光る金色の長髪。その金髪は後ろで一つに束ねられ、赤い二つの瞳がこちらを見下ろしていた。
俺は彼女のこめかみの下を見てハッとする。頭の左右から飛び出すように生えた尖っ耳。あの耳の形――間違いない。
『エルフ? いや、褐色肌だからダークエルフか?』
「うっわぁ、今のはマジでヤバかったぁ〜。女の子一人を群れで襲うとか、どんだけ腹空かしてんのよあいつら」
エルフの女はそう言うなり、十メートル以上の高さがある船からひょいと飛び降りると、宙でくるりと回転し、メインマストの上に軽々と着地。そして、帆桁から別の帆桁へぴょんぴょん飛び移りながら弓を引き、ラビの周りを取り囲むメタルビークの頭部を次々と射抜いていった。可憐に宙を舞いながら矢を放つその姿に、俺は目を奪われてしまう。
そして、わずかな時間の間に帆桁に留まっていた奴も含め、全てのメタルビークを射落としてしまったそのエルフは、俺の甲板上に鮮やかに着地を決め、後から射抜いたメタルビークの死骸が彼女の周りにドサドサと落ちた。
「いや〜危なかったね~。君一人だけで怖かったっしょ? でも、お姉ちゃんが来たからには安心して大丈夫だよ」
褐色肌の女エルフは、少し抜けたようなソフトな声でラビに向かって話しかける。しかし倒れたまま起き上がらないラビを見て、彼女は異変に気付いたようだ。
「えっ、何、君怪我してるの? うっそ、怪我した状態であいつらとやり合おうとしたわけ? うわ〜マジ有り得ないんですけど」
……このエルフ、何だか態度がやけに砕けていて、話し方はまるでギャルのそれである。この異世界にギャルなんていたの?
倒れているラビに近寄り、傷の程度を見た女エルフは、あきれたようにため息をついて言う。
「はぁ、君ってさ〜、死亡願望でも持ってるの? 一応治癒掛けとくけどさぁ、無茶も大概にした方がいいよ」
なんだか妙に癪に触るような言い方をするその女エルフは、火傷跡のあるラビの背中に手を当てると、小さな声で「”治癒(大)”」と呪文を唱えた。
すると、途端にラビの背中が光り始め、背中の傷痕がみるみるうちに小さくなってゆく。
(このエルフ、高度な治癒魔術を使えるのか? しかも呪文が省略されているぞ)
俺は女エルフのステータスを「鑑定」してみた。
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【名前】ニーナ・アルハ
【種族】妖精(ダークエルフ族) 【地位】船長 【天職】治癒師
【HP】250/250
【MP】800/800
【攻撃】350 【防御】160 【体力】180
【知性】275 【器用】210 【精神】240
【保持スキル】詠唱破棄、治癒(大):Lv6、剣術:Lv6、弓術:Lv9、鷹の目:Lv8、陰密:Lv5、魔力視認:Lv2、体力中上昇:Lv2、物理防御力上昇:Lv4、魔法防御力上昇:Lv4、風魔術応用:Lv5、気配感知:Lv4
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やはり思った通り、彼女はダークエルフだった。天職が治癒師だったのか。それなら、高度な治癒魔術が使えるのも納得だ。豊富な保持スキルを見る限り、相当な弓の使い手でもあるようだ。さっきの空中で矢を射る技術なんて、並大抵の奴ができるような芸当じゃない。
治癒魔術で怪我を治してもらったラビは、起き上がって閉じていた目を開けると、目の前にいる女エルフを見た。
「……あ、あなたが、助けてくれたのですか?」
ラビの無垢な蒼い瞳を前にした女エルフは、「ふぇ」と呆けたような声を出し、頬を赤くして固まってしまう。
「あ、ありがとうございます! 私、雷に打たれてしまって……それで、もう死んじゃうんじゃないかって、怖くて……」
涙目で感謝を訴えてくるラビを見た女エルフは、赤い頬を更に紅潮させて吐息を漏らし、両手で顔を覆う。相手の様子がおかしいことに気付いたラビが、首を傾げてしまっていると――
「………きゃ」
「きゃ?」
次の瞬間、女エルフはいきなりラビに飛びかかり、両腕で彼女をギュッと抱きしめていた。
「きゃわわ~~~~~~~っ‼ この子マジきゃわたんなんだけど~! うはは~~~っ!」
変な雄叫びを上げながら抱き付いてくる女エルフに、ラビは「えっ? えっ?」と完全に困惑してしまっている。……この女エルフ、ステータスではかなり上級のくせに、性格は少し――いや、かなり変わっているようだ。
「髪さっらさら~~! おまけに超いい匂いするし、ほっぺプニプニ! あははっ、か~わ~い~い~♥!」
「ひょっ、ほっへはをそんらにひっはらないへふははい……」
……いや、むしろラビのような女の子を遊び物にして喜ぶようなド変態と言った方が適当かもしれないな。
「あ、あのっ! あなたは一体誰なんですか?」
嫌がるラビが女エルフの手を振り解いてそう尋ねると、彼女は「ああ、そういや紹介まだだっけ?」と気を取り直したように立ち上がる。
「私はダークエルフのニーナ・アルハ。天職持ちで、職業は治癒師。船乗りもやってて、あそこにいる『カムチャッカ・インフェルノ』号の船長やってま~す。よろよろ~」
自己紹介してから、くるりと身を翻して「ぶいっ!★」とピースサインを決めてみせるニーナ。そのあまりの砕けた態度に、俺とラビは暫しの間、言葉を失っていた。