第24話 久々の上陸
それから、俺は発狂して逃げ出そうとするラビを引き止めるのに必死で、どうにか彼女を説得させて、船底をキレイに掃除させた。途中、天井から落ちてくるウィークスラッグに何度も背中を這われて悲鳴を上げていたが、叫び過ぎて喉が潰れてしまったのか、彼女は次第にものを言わなくなり、黙々と手下の死体を運んでは、床を磨いていた。
こうして、最初こそは嫌がっていたものの、ラビは一週間もの間、あの暗くて臭い船倉に閉じこもり、船倉の床を隅々までピカピカに磨き上げたのだった。
○
掃除を終えた次の日の朝。作業を終えて船倉から出てきたラビは、泥とウィークスラッグの吐く粘液で身体中ベトベトだった。あの美しかった蒼い長髪も、長い間汚水に浸かっていたせいですっかり色あせ、作業中ほとんど食べ物を口にしていなかったために、顔は酷くやつれて、虚な目を乱れた前髪の隙間から覗かせていた。彼女が、かつて貴族領主の娘だったと言ったところで、一体誰が信じるだろう?
『おい、ラビ』
「……怖くない、怖くない、ナメクジなんて怖くない、怖くない、ナメクジは友達、ナメクジちゃんは私のお友達……あはは、お友達いっぱいできて、私とっても嬉しいな♪」
俺はラビに声をかけたが、彼女の目はどこか遠くを見つめたままで、何やら訳の分からないうわ言までブツブツつぶやいてる。……やはり、今回も少しやり過ぎだったかもしれない。
『お〜い、ラビ?』
「ふふ……あら? とうとうナメクジちゃんの声まで聞こえるようになっちゃったわ♥……ふふふっ、あははははっ」
『ラビ! いい加減戻ってこい!』
「――はっ! 私今まで何を………あ、師匠」
『大丈夫か? さっきから変なうわ言ばっかりつぶやいてたぞ』
「なんだか、ずっと嫌な夢を見てたような気が……最後には大きなナメクジに耳元で話しかけられて――」
……いや、それ俺が呼んだ声だから。勝手に声が脳内変換されるとか、かえって相当なトラウマを与えてしまったかもしれないな……
しかし、俺の必死な説得があったとはいえ、あんな肥溜めみたいな場所をここまでキレイにさせることができたのは、彼女の不屈な努力のおかげだ。ここは彼女をしっかり称えるべきだろう。
『ラビ、よくやったな。お前は立派に試練を乗り越えたんだ。誇っていいんだぞ』
「あ、ありがとう、ございます……」
『お前の努力に免じて、今日は一日お前の自由に過ごしていい。何をしたい?』
「えっ? いいの?」
『ああ、お前のやりたいことを言ってみろ』
そう俺が言うと、途端に少女の目は鮮やかな蒼い光と輝きを取り戻した。
「私……陸に上がってみたい」
ラビは、湖畔に広がる緑一杯の草原地帯へ目を向けた。なるほど、確かにこれまでずっと船上での生活だったから、地上が恋しくなってしまうのも無理はない。
『分かった、行ってこい。気をつけるんだぞ』
「はいっ!」
ラビは元気に返事すると、船腹にあるはしごを伝って湖に下り、陸地まで泳いでいった。船を離れる瞬間、俺は鑑定スキルでラビのステータスを見てみる。
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【名前】ラビリスタ・S・レウィナス
【種族】人間 【地位】なし 【天職】錬成師
【HP】50/50
【MP】0/0
【攻撃】30 【防御】40 【体力】70
【知性】80 【器用】120 【精神】95
【保持スキル】錬成術基礎:Lv1、剣術:Lv2、鉱物学基礎:Lv1、裁縫:Lv2、歌唱:Lv3、宮廷作法:Lv2、以心伝心:Lv1、騎乗:Lv1、掃除上手:Lv5、ゲテモノ喰らい
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ラビも少しずつではあるが、ステータスが上がっている。ここ最近は彼女に船内の清掃ばかりさせたせいで、「掃除上手」なんてスキルも手に入れていた。しかもわずか数日でラビの手持ちスキル内で最も高かった「歌唱」を追い抜いている。これは恐るべき飛躍だ。そして最後の「ゲテモノ喰らい」は……まぁ、テールラットの丸焼きを毎日食っていれば当然嫌でも獲得するスキルだろう。とても貴族のお嬢様が持っていいスキルとは思えないが……
戦闘では要を成さないものばかりではあるけれども、裁縫や掃除ができ、宮廷作法もあるのなら、邸宅の使用人くらいにはなれるかもしれないな。
それから、ラビは岸まで泳ぎ着くと、辺りをキョロキョロと見回して誰も居ないことを確認してから、着ている服を脱ぎ始めた。どうやら汚れた体を清めるために湖で沐浴をするようだが、恐らく周りの目が気になったのだろう。誰もいないことに安心して、無警戒に裸を晒してしまうラビ。
――ふん、だが残念だったな。お前の姿は俺のスキル「遠視」によって丸見えなのだ。お前のあられもない姿を、ここから存分に観察してやることも容易い――のだが………いやいや、俺はあくまでラビが逃げないか監視しているだけであって、何もやましい気持ちを抱いてなど……
『……はぁ、最低だな、俺』
己の下心に完敗してしまった自分にあきれながらも、岸辺で体を洗い、一糸纏わぬ姿で泳ぐラビを、俺は遠くからずっと見守り続けていた。
〇
それから、ラビは沐浴を終えると、砂浜に広げて乾かしていた服を着て、草原の上を駆け回り始めた。
草原の中には、古代の神殿跡らしき遺跡が残っていた。ラビが恐竜親子に連れられて目撃したという遺跡というのも、これのことだったようだ。昔はこの辺りにも、大きな町が栄えていたのだろうか? 草原の中に巨大な石灰の白い柱だけが残されたその遺跡は、まるで古代ギリシャの神殿跡を見ているようだった。
ラビは遺跡の周りを探索してから、柱の前で花を摘み始めた。昨日まで泥だらけになって働かされていた彼女も、身を清めて一人草原の中で花を摘む姿は、正に清楚で可憐なお嬢様のイメージそのものだった。これまでに大変な苦難を乗り越えてきたからか、彼女の表情に少し凛々《りり》しさが見えてきたようにも思える。
『成長したな、ラビも……』
まるで娘の成長を見守る父親のようなことをつぶやきながら、ラビの姿を見守っていると――
遺跡のある丘の向こう側で、何やら小さな影が動いているのが見えた。
最初は小動物か何かかと思っていたのだが、それは、緑色の肌をした顔の醜い化け物たちの群れだった。数は六体ほどだろうか。背は低く手脚は短くて、腰や肩には動物の毛皮を巻き、手にはこん棒や石の斧など原始的な武器を手にして、飛び跳ねながら湖の方へ向かって来る。俺は鑑定スキルで奴らのステータスを見てみた。
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【種族】ゴブリン
【HP】30/30
【MP】0/0
【攻撃】45 【防御】15 【体力】30
【知性】9 【器用】8 【精神】10
【保持スキル】警戒:Lv1、夜目:Lv2、棍棒術:Lv1
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やっぱりゴブリンか! あの醜い外見からしてそれらしいとは思っていたのだが……たしか、図書室にある「イラスト付きでよく分かる! 世界生き物図鑑」には、ゴブリンは知性が低いため、基本的に同族以外には敵対心を示す生き物だと記載があった。つまり、仲間以外なら敵とみなして襲いかかる蛮族ということなのだろう。らしいといえばらしいのだが。
しかし、遺跡で花を摘んでいるラビは、近くにある柱が死角になってしまっていて、近付いて来るゴブリンたちの姿が見えていないようだ。
『おいラビ、聞こえるか? ゴブリンの群れがそっちに向かってるぞ。すぐに戻って来い。……おいラビ! 聞こえないのか⁉』
俺はラビに向かって声を投げるが、スキル「念話」の効果範囲外らしく、こちらに気付く気配がない。
(これはマズいな……)
こんなことになるなら、彼女に武器を持たせて行くべきだったか。ただでさえ魔素拒絶体質症候群で魔法が使えず身を守る術もないというのに、このままだとゴブリンたちにどんな酷い目に遭わされるか分からない。
『くそ、早くラビを呼び戻さないと――』
何か良い手段がないか考えていた矢先、ふと閃いた。そうだ、俺はこんなときのために、ラビに命じて全ての大砲に弾を込めさせておいたじゃないか。今こそ、それを使うときだ!