第21話 修行の始まりは床磨きから
彼女を一人前にすると約束してしまった次の日。俺は再び、朝早くからラビを甲板へ連れ出した。
『それじゃあ、まずは質問だ。修行始めたばかりのヒヨッコが初めにやらされることと言えば、何だ?』
「えと……師匠への奉仕ですか? お茶出しとか、肩叩きとか」
『まぁ……正解と言えば正解だな。答えは床磨きだ! お前は今から、俺の船内の全甲板をピカピカになるまで磨いてもらう。それが終わったら、今度は大砲だ』
「あの……私が持たされているこの石は何ですか?」
ラビはそう言って、手に持った四角い石を不思議そうに眺める。
『それは「聖なる石」と呼ばれる床磨き用の道具だ。それを使って甲板を磨くんだ』
「石で床を磨いて綺麗になるんですか?」
正直、俺も初めて知った時は驚いた。図書室にあった「図解 魔導帆船大全 ~完全版~」には魔導船の動かし方だけではなく、帆船に関するありとあらゆる情報が記されていてとても役に立っていた。帆や大砲などの知識を得たり、甲板掃除のやり方を知ることができたのも、この本のおかげだった。
『さて、それじゃあさっそく床磨きに取り掛かって――』
「あ、あの、ちょっと待ってください!」
俺が指示を出そうとすると、ラビが口を挟んでくる。『どうした?』と俺が問いかけると、彼女は恥ずかし気にもじもじしながら自分の着ている衣装の裾を指でつまんだ。
「……あの、どうして私、こんな格好しなくちゃいけないんですか………」
ラビはそう言って恥ずかし気に顔を赤らめた。
ラビが着ていたのは、赤いスカーフがワンポイントとなり、広い紺色の襟に白の三本ラインが走った白いシャツ。そして下には同じく紺色のプリーツスカート。脚には黒のソックスに茶のデッキシューズ……
そう、彼女は俺が転生する前の世界でいう「セーラー服」姿で、掃除用具一式を持たされ俺の甲板の上に立っていた。シャツの裾、スカート丈ともに短く、屈んだり脚を上げるだけでも、ヘソやパンツが見えてしまいそうだ。
『どうしてって……これぐらいしか、お前に着せられそうな衣装が船長室の衣装棚に無かったんだよ。いつまでもあんな薄いキャミソール一枚だけで過ごすのは嫌だろ?』
「そうですけど、これもこれでどうかと……もうちょっとマトモな服は無かったんですか?」
いや、そんなジト目で俺に迫られても困るんだが……
一応船長室の衣装棚を見てみたけれど、煌びやかなドレスやガウンばかりで、作業向けじゃないものばかりが詰め込まれていた。唯一作業向けな衣服があったと思えば、こんな露出の多いコスプレ衣装だけ。一体この船の前の持ち主はどんな趣味してたんだ? ……てか、何で転生した世界にセーラー服なんてあるの? 神のイタズラか? さては、俺を転生させた神様はセーラー服フェチなのではなかろうか?
考え出すと疑問が止まらなくなってしまいそうなので、俺は雑念を振り払うようにコホンと咳をして、ラビに向かって答える。
『馬鹿、これも修行の一環だ。パンツ見られたくらいでいちいち赤くなってたら、アウトローな女になれないだろうが』
「なっ、なるほど……こんな破廉恥な服を着させるのも、己の精神を鍛えるためなんですね!」
案外あっさり納得したな……まぁ、納得したのならそれでいい。大体、この船にこんな露出の多いコスプレ衣装しか置いていないのが悪いのであって、それを着させた俺には何の罪もない。ましてや女の子のパンツを覗こうなどという卑しい下心なんて俺の中には微塵も存在しないのであって――
『……ま、まぁとにかく、それで作業も少しはやり易くなるだろ? 分かったらさっさとバケツに水汲んで来い』
「はい師匠!」
純粋な蒼い瞳をキラキラと輝かせ、フンスと鼻息立てて意気込みながら下へ降りてゆくラビ。そんな彼女を見送りながら、俺は邪な考えを隠そうと苦し紛れに言い訳を考えていた自分に心底ウンザリしていた。これは、俺自身にとっても色んな意味で修行の日々になりそうな予感がする……
○
こうして、ラビは俺の船の全階層全てのデッキを磨き始めた。……が、修行をするとは言っても、いきなり彼女に無理をさせて体を駄目にさせては元も子もない。そこで、多少の無理も効くように、俺は図書室で魔術教本を開き、複数の魔術スキルを習得した。
【スキル「身体能力上昇:Lv1」が解放されました】
【スキル「精神力上昇:Lv1」が解放されました】
【スキル「腕力上昇:Lv1」が解放されました】
【スキル「治癒(小):Lv1」が解放されました】
いわゆる「バフ」と呼ばれる、相手のステータスを一時的に上昇させるスキルだ。ラビが魔法を使えないとなれば、こちらが上昇系スキルを使って彼女の持つ能力を引き上げてやるしかない。自分の力でやらせることが一番なのだが、彼女だけの力ではどうにもならないとき、これらのスキルが役立つだろう。あと怪我したときのための治癒魔術も一応覚えておいた。
しかし、俺が手助けをせずとも、ラビはしっかりと働いてくれた。短いスカート丈を気にしながらもひたすら床を石で磨き、時折疲れて腰を上げては、目元に伝う汗を拭っていた。
そうして彼女はふと、空を見上げて蒼穹の中に高く伸びるマストを遠目で見ていることがあった。きっと、いつか過去のトラウマを克服して、あのマストの上に立ちたいと思っているのだろう。
『――おいラビ、手が止まってるぞ』
「あっ、ご、ごめんなさい!」
再び床を磨き始めるラビ。ここ数日間は、ずっと床を磨くだけの日々が続いた。その間、ラビは俺に対して何も文句を吐かなかったが、俺が出すテールラットの肉だけは相変わらず好きになれないようで、食べる際はいつもどこか物欲しそうな顔で俺を見てきた。よっぽど嫌だったのか、時には自分で手製の釣り糸を作り、湖に垂らして魚を釣ろうとしていることもあった。
……ちなみに、船の錨についてだが、あの恐竜親子に引き上げてもらったのは良かったものの、ラビを修行させる間、湖に留まらなくてはならなくなったため、風を受けて知らないうちに変な場所へ移動してしまわぬよう、船を再固定しておかなくてはならなかった。
そこで、再びあの恐竜親子の力を借りて船を押してもらい、湖の中で最も浅瀬な場所に移動した。最初に自分が投錨されていた場所は湖の中でもかなり水深の深い場所で、念動スキルを使って引き上げることができなかったのだ。
しかし、念動スキルの効果範囲内である浅瀬であれば、自分の力で錨を上げ下げすることも可能だ。念動スキルも気付けばLv8になっており、重い錨ですら軽々と持ち上げられるようになっていた。ここ最近の明らかな急成長ぶりに自分でも驚いている。このまま地道にスキルアップを続けていけば、空へと繰り出した後も、色々と役に立つスキルを得られるだろう。
こうして、ラビと俺だけの修行生活は、色々と問題を抱えながらも順調に過ぎていった――