第13話 外道はどっちだよ?
「遅い! 全くあのバカ共は、たかが奴隷のガキ一人に何を手間取っておるのだ!」
手下たちを下の階に行かせてから、もう既に十分。一向に連絡が来ないことに痺れを切らした商人は、ブツブツ文句を垂らしながら、しきりに後甲板を行ったり来たりしていた。
「あれは吾輩の獲物だ。大金を叩いてまで買い取った娘を、そう簡単に逃してなるものか……ええい、役立たずな男どもめ――」
商人がそこまで口にしたところで、俺は奴の耳元へささやくように、声を掛けてやる。
『……なら、自分で捕まえに行ったらどうなんだ?』
「なっ――何者っ⁉」
奴が振り返った刹那――
「やぁあああああっ‼」
いつの間にか、商人のすぐ背後に迫っていた少女が、持っていた短剣を振りかぶり、刃先を商人の片腕目掛けて振り下ろした。
噴き出した鮮血と共に、四本の指が宙を舞う。
「わっ……わわ、吾輩の指があぁああああっ‼」
商人は切り落とされ床に転がった指を見て発狂し、痛みのあまりその場に膝を突いた。指輪で発動させていた首輪の魔法も、主人の体を離れてしまえば、もう使い物にならないようだ。
『よう、商人さんよ。よくも俺の船で好き勝手にやってくれたな』
「だっ……誰なんだ? 一体どこから話しかけておる?」
商人は混乱するように周囲へ視線を投げる。目の前には短剣を持った少女しかいないというのに、俺の声が聞こえることに驚きを隠せないようだ。
『俺は今、アンタが乗っているこの船そのものさ。部外者であるお前らが好き勝手に俺の中を歩き回るもんだから、腹が立ってお前の手下全員……手にかけちまったよ』
「そ、そんな……吾輩の部下たちは――」
『あぁ、下へ行って見てみるといいさ。奴らの骸が全員分転がってるからよ』
「ひっ………」
商人は顔を真っ青にして後退る。待ち呆けている間に、下の階で地獄絵図のような殺戮が行われていたとも知らずに、呑気な野郎だ。
「ゆ、幽霊船め……死の世界から召喚された冷酷な化け物め! わ、吾輩まで呪い殺そうというのかっ⁉」
やれやれ、今度は幽霊船呼ばわりか。幽霊船なんておとぎ話だって言ったのは、どこのどいつだったよ?
『ふん、何とでも言いやがれ。……でもまぁ、そんな呪われた船に乗り込んだからには、それなりの覚悟はできてるんだろうな?』
俺の威勢に合わせるようにして、短剣を握り締めた少女が、じりじりと商人の方へにじり寄ってゆく。
「こっ、この鬼畜め……貴様の思い通りになどなるものか……呪われた幽霊船など、吾輩の手で沈めてやるわっ‼」
商人はそう叫ぶと、片腕を高く掲げた。
すると、それを合図として、隣に横付けしていた商船アプセット号の右舷砲門が一斉に開き、大砲が押し出されたのである。
『しまった! 商船にまだ手下が残ってたのか!』
アプセット号に隠れて待機していた商人の手下たちが一斉に立ち上がり、船に積まれた大砲を動かして、こちらに狙いを定めていた。応戦しようにも、こちらには大砲を動かす人手もない。相手の砲は三門程度だが、横付けされた至近距離から撃たれては、例え数発食らっただけでも致命的なダメージを負ってしまうことは明白だ。
「ふははははっ! 吾輩の怒りの鉄槌を食らうがいいっ!」
『くっ―――』
こちらが手も足も出ない中、商人の腕が振り下ろされようとした、そのとき――
ザバァアアアアッ‼
それまで穏やかだった湖が、突如として大きく波打ち、水面下から水しぶきを上げて巨大な影が現れ、俺と商船との間に割って入ったのである。
その影は、俺が以前からずっと餌を与え続けていた、あの恐竜親子だった。巨大な体を持つ親の方が、商船の横腹に何度も体当たりを食らわせ、小型な船はひとたまりもなく斜めに傾いた。泡を食った商船の乗組員たちは、何もできないまま傾斜した甲板を転がり、湖に落ちてゆく。そこをすかさず、腹を空かせた恐竜の子どもが飛び掛かり、湖に落ちた餌に食い付いた。湖に落ちた手下たちは悲鳴を上げ、水面が瞬く間に血で赤く染まった。
多分、最近餌を与えていなかったせいで、相当腹を空かせていたのだろう。親の方は苛立ちを露わにするように船を揺すってひっくり返し、剝き出しとなった船底に何度も頭突きを食らわせていた。この恐竜親子、本気になったらここまで気性を荒くするのか……やはりあのとき、餌付けしておいて本当に良かった。
「そ、そんな……吾輩の船が………」
横転して沈んでゆく自分の船を見て、商人は顔を真っ青にさせた。やがて船底の竜骨が完全に水面下に沈んで見えなくなると、レイクザウルスの親は長い首を持ち上げて、商人の方をギロリと睨み付けた。
「ひぃっ! たた、助けてくれっ‼ 金ならいくらでも払う! お前の欲しいものなら何でもくれてやるから、命だけは助けてくれっ‼」
商人は甲板の上に這いつくばり、目の前に立つ少女の足元で、額を床に擦り付け懇願する。金さえあれば何だってできる。全てを金で解決してきた奴の言うセリフは、どうしてこうも無知で愚かに聞こえてしまうのだろう? 俺はあきれながら鼻で笑う。
『何でもくれてやるって? 生憎だが、俺はお前が汚い手を使って稼いだ金なんて一銭も欲しくはないね。――だが、ちょうどいい。そこにいるレイクザウルスの親は、かなり腹を空かせてるみたいなんだ。そいつの餌になってやってくれ。そうすりゃ、あいつも少しは腹の足しになるだろうよ』
「ひっ……こ、この外道がっ! 我を侮るでないっ! 我の力を持ってすれば、こんなボロ船などすぐに沈めて――」
ガッ!
そこまで言ったところで、唐突に少女が持っていた短剣の柄を振り上げて商人の頬に叩き付けた。鼻の折れる音がして甲板に血が跳び、商人は痛みのあまり悲鳴も上げられず、呻き声を上げてのたうち回る。
(ほう……この子、まだ小さいのに意外とやるじゃないか)
少女の突拍子もない行動に、俺は少しばかり感心する。多分彼女も、この商人に対する鬱憤が溜まりに溜まっていて、一発殴らないことには気が済まなかったのだろう。
「……外道はあなたの方よ。これまで私が受けてきた苦しみを、あなたも味わうといいわ」
少女はそう言って、相手を見下す目で、床に転がった商人を睨み付けた。商人は充血した目を見開き、赤く腫れた口をかっ開いて、少女に怒りの咆哮を上げた。
「こっ、このクソガキがぁああああああっ‼ 貴様も、この船に呪い殺されるがいいわ――」
ガブッ!
しかし、負け犬の遠吠えが最後まで続くことはなく、レイクザウルスの巨大な口にかじられ、怒声はプツリと途切れた。そして、レイクザウルスは蛇のようにその長い首を持ち上げると、ゴクリと喉を鳴らし、商人の体を丸ごと一飲みにしてしまった。太って脂が乗ってるから、さぞかし旨かったことだろう。
それまで商人の立っていたところには、脛より上を千切られた足のみが残されていた。それを見た少女は、ずっと止めていた息を吐き、持っていた短剣を床に落としてその場に座り込んだ。
『おい、どうした?』
「こ、怖くて足がすくんでしまって……あんな奴とは、もう二度と会いたくない」
どうやら商人と面と向かっている間も、彼女はずっと伸し掛かる恐怖に耐えていたようだ。今回の作戦で、彼女にはかなり怖い思いをさせてしまったかもしれない。だが、俺自身を商人の手に渡さないためにも、多少の恐怖や苦痛には耐えてもらうしかなかった。
それから少女は、床に散らばった商人の指から、あの指輪が付いたものを探して踏み潰した。途端に魔法が解けて、少女の首に付いていた首輪がカシャンと音を立てて外れる。
一方、商人の手下を残らず平らげたレイクザウルスの親が、長い首をもたげて少女へ近付いた。しかし、彼女を食べるようなことはせず、まるで懐くように少女の傍らへ巨大な頭を寄せてくるだけだった。
「この子、どうして私を食べないのかしら?」
『俺が知るかよ。……まぁ、こいつ頭が良いみたいだから、だれが敵か味方かくらい、分別が付いてるんじゃないのか?』
「そうなんだ……よしよし、えらいえらい」
少女はそう言って、微笑みながらレイクザウルスの目元をそっと撫でてやっていた。