第10話 奴隷の少女
商人たちが向かったのは、俺の最下層――船倉だった。メインマストの柱が伸びる船体の中央。そこにまるで墓石のように据え置かれた黒いモノリスを見た彼らは、目を見開いて驚きの声を上げた。
「こっ、これは……!」
「こんな大きさのフラジウム結晶は見たことがないですぜ、お頭!」
「うむ……吾輩もこれまで、世界各地を回ってきたが、これほどまで巨大な結晶を見たのは初めてだ……」
どうやら、俺の船倉にあるフラジウム結晶の大きさに驚いているようだ。確か、「世界マテリアル図鑑」に記されていた説明には、フラジウムは世界各地の岩石にふんだんに含まれてはいるものの、フラジウムを抽出して結晶化させる手法は、第二等級以上の魔術師か、第一等級錬金術師でないと会得できないほど困難な技術だと記されていた。
「王国のフリゲートでも、結晶は水晶球くらいの大きさしかねぇってのに、こいつぁその倍以上……魔力なら大砲百四十門の戦列艦……いや、それ以上にも匹敵するんじゃねぇか……」
は? そんなにすごいの? 俺は内心キョトンとしてしまうが、奴らの驚き方と解説を聞く限り、この大きさの石は本当に希少で、強大な魔力を発生させることができるようだ。
正直言って、持ち主である俺が一番これについての知識が浅いのではなかろうかと思う。……というか、そもそもなんでそんな希少なものが俺の中に置かれているのか、それすらも謎なのである。
「……くく……ふははははっ! 素晴らしい! これはなんという幸運の巡り合わせなのだ! これだけの大きさがあれば、きっと想像以上の高値が付くはず。魔導船オークションに出品すれば、大金貨五百枚は固い!――いや、オークションなどでは生温いな。いっそのこと、国王への献上品とすれば、相当な額の報酬を与えてもらえるはずだ! どうやら、幸運の女神は吾輩に微笑んでくれたようだぞ!」
すると、唐突に商人が声を上げて笑い、そんなことをほざき始めた。どんなときも自分の利益のことしか考えないこの男にとって、俺のモノリスはもはや金の塊にしか見えていないらしい。俺はいい加減にウンザリしてきた。しかも、このモノリスを奪われてしまえば、空を飛ぶための魔導船として必要な機能まで失われてしまうことになる。ふざけるのも大概にしてほしい。これは俺の物で、断じてお前らの物なんかじゃない。金にしか目の無いお前らに、俺の夢を奪われてたまるか! 心が汚れてるお前らなんかに微笑む女神がいたら見てみたいわ!
そう叫んでやりたかったが、俺の言葉が奴らに届くはずもなく、能天気に喜び合う商人たちを、俺は歯噛みしながら見ていることしかできなかった。
「そうと分かれば、今宵は宴だ! 吾輩の船に積んである酒樽をこの船へ運び込め! 久々の大収穫を祝って、皆で祝杯を挙げようではないか‼」
乗組員たちは商人の言葉を聞いて歓声を上げた。図々しい奴らだ。他人の船に我が物顔で乗り込んだかと思えば、今度は俺の船で祝杯を挙げるだと? ふざけんな。もし俺に手足があれば、今すぐにでもこいつらをつまみ出して湖に放り投げてやりたかった。
『クソったれめ……』
このイライラとした感情――異世界へ転生される前も、こんな感情にしょっちゅう襲われていた。上から目線な上司、自己中な先輩、舐めくさった後輩……そんな奴らから何かいちゃもん付けられる度に、俺の心は怒りに打ち震えていた。
けど、そんな理不尽な世界で一度死に、人間ではあらずとも転生してここへ来て、何もかもが初めてなこの異世界で暮らし始めて、これまで抱いてきたドス黒い感情ともおさらばできる――
そう、思っていたのに………
○
それから陽が落ちて夜になり、星のまたたく夜空の下で、商人たちはランタンに照らされた俺の船上に、商船から運んできた酒樽を並べ、杯を交わし始めた。
俺が不快な気持ちを抱きながら監視しているのもつゆ知らず、商人たちはベロベロに酔っぱらい、歌を歌い、拍子を取り、ゲラゲラと卑劣な笑い声を上げながら宴に興じていた。
そんな中、頬を赤くした商人が膝を打ってヨロヨロと立ち上がり、声を上げる。
「そうだ! せっかくの宴だ、数日前にサザナミ大大陸の奴隷市で買ったあの奴隷を連れて来い! さっそく酌としてこき使ってやるわい! お前らも其奴に酒を注いでもらえ」
「えっ? でもお頭、良いんですかい? あの奴隷はお頭の召使い用に買った上物ですぜ? 随分と値が張ったと聞いてたんですが……」
「別に構わん! どうせ奴隷とて消耗品だ。せいぜい可愛がってやるといい。吾輩もあれを存分に味わってやるわい。しっかりと粧し込ませておけよ!」
商人の言葉に、手下の一人が下劣な笑みを浮かべて頷き、商船へと戻ってゆく。
――しばらくして、商船の方から鎖の音と共に、一人の少女が、俺の甲板デッキの上へと連れて来られた。
その少女は、見た目からして十五、六歳くらいだろうか? まるで南の海のように美しいサファイアブルーの髪を腰まで伸ばし、切りそろえられた前髪の下には、まだ幼さの残る無垢な碧眼が、長いまつ毛の下に光っていた。
ハッキリ言って、めちゃくちゃ可愛かった。通りがかる者誰もが目移りしてしまうくらいに鮮やかな青の髪は、幼い彼女の可憐さを存分に引き立ててくれていた。きっと、かなり手入れされているのだろう。見た目からして、良家のお嬢様といったところだろうか?
しかし、そんな彼女の身に着けているものといえば、豪華絢爛なドレスやガウンなどではなく、薄い布地の白いキャミソール一着のみ。それは衣服としてというより、もはや完全に見る者の情欲を煽るための飾りという方が相応しかった。それに、細い首には無骨な鉄の首輪がはめられ、口には猿ぐつわまではめられている。
こんな綺麗な少女まで奴隷なのかよ……俺は胸を締め付けられるような思いに駆られた。
彼女の身に何があったのかは想像に難くない。おそらく元は良家出のお嬢様だったのだろうが、何か不幸があって今は奴隷に落ちぶれてしまったのかもしれない。俯く少女の瞳に光は無く、その表情は虚ろだった。
「ほら、さっさとこいつを持って、空いた杯に酒を注いで回るんだ。早くしろ」
そう言って、手下の一人が少女に無理やり酒瓶を押し付ける。しかし、彼女は何も答えないまま、ただふるふると首を横に振った。
「あぁ? 奴隷のくせに主人の言うことを聞けねぇってのか?」
見下すように問い詰める手下に対し、少女はふるふると首を横に振り続けている。
「やれやれ、どうやらお前の置かれている立場が理解できてないようだ。……そんな奴には、お仕置きが必要だな」
商人がそう言って左手をかざす。その手の薬指には指輪がはめられていて、指輪に付いた小さな宝石が赤く光った。すると、少女に付けられた首輪も指輪と連動するように赤く光り始める。
「――う"っ!……ぐぐっ……ぐぅうっ!」
途端に、彼女は胸を押さえて膝を突き、苦しみ始めた。
「元レウィナス公爵の令嬢である貴様には高い金を支払ったんだ。それ相応のもてなしをしてもらわねば困るのだよ」
「ぐっ……ううっ……うぅ……」
少女は苦しみに耐えかねたように床に倒れ、口元からよだれを垂らし、うなじに爪を立ててのたうつ。彼女に付けられたあの首輪は、きっと主人の言うことに逆らえば苦痛を与える魔法のかけられたアイテムなのだろう。
「苦しいか? どうなんだ? 何か言ってくれなきゃ分からんぞ? 口が利けぬというなら、態度で示してもらわんとな。ほら、嫌だというなら吾輩の前で懇願するがいい」
猿ぐつわをはめられ、苦しさに悲鳴を上げることもできない少女を前に、商人とその手下たちは、嘲るように彼女を見下していた。それまで抵抗していた少女も、とうとう苦痛に耐えられなくなり、這いつくばって商人の元へ行くと、足元で縮こまって額を床に付けた。
「そうそう、それで良い。分かったのなら、皆に酒を振舞ってやれ。夜も更けたら、吾輩が貴様を存分に可愛がってやろう」
そう言って、商人は下品な笑みを浮かべていやらしく舌なめずりした。
――一連の様子を傍で見ていた俺は、マジで吐き気を催しそうだった。はらわたが煮えくり返るほどの猛烈な怒りに、胸が圧し潰されそうだ。
なぜこれほど感情的になってしまうのだろう? ひどい扱いを受けているとはいえ、相手は身内でもなければ、どこの誰かも知らぬ少女だ。見知らぬ相手に同情しようと思うほど、俺はお人良しではない。そんな俺が、なぜここまでにも激情を抱いてしまうのだ?
『………ちっ』
――そうだ、俺も転生前は、同じ会社の上司や先輩から、彼女と同じような扱いを受けていた。奴らは権力にものを言わせて、若手だった俺に給仕の役を押し付けた。好きでもない奴のグラスにビールを注いでは、そいつの説教に付き合ってやらなくてはならなかった。分からないのに知ったような口をきく奴らを前に、腹の底では怒りが煮えたぎっていたが、感情を押し殺して無理やり作り笑いを浮かべ、顔に張り付けた。少しでも歯向かえば、いつ今の地位を引きずり降ろされるか分からなかった。
怖かった。俺は自分を脅かす存在を前に、媚びへつらうことしかできなかった。そんな自分が憎らしかった。
今抱いている怒りは、商人の奴らに対するものだけではない。理不尽な扱いを受けてもなお、何もできない少女に対する怒り。――そして何より、不当な差別が行われている中、端で見ていることしかできない自分自身への怒りも含まれていた。
……当時の俺なら、見て見ぬふりをするしかなかっただろう。
だが、今は違う。昔の腰抜けな俺は電車に轢かれて死んだ。今の俺は、もう昔の俺じゃない。それを分からせてやる――
『あいつら全員、ブッ殺す―――』




