7.首謀者
エドの聞き方が良くって、ブッチは呪術本を持ち出した人間のことを思い出してくれた。
そうよね。キアオラが長年肌身離さず持っていたくらいだから、本にはニオイが染み付いているわよね。
(ブッチー! 凄い凄い!)
(そ、そうか? えへへっ!)
尻尾の振り幅も凄いことになってる……
(エドもありがとー)
(それほどでもないよ。元々はオリヴィーの発案だし、貢献できてよかったよ)
冷静な言葉とは裏腹に、エドの可愛い尻尾もピョコピョコと振れている。――かわいいっ!
けれども、ブッチは人間のニオイは覚えているけれど、言葉では表現できないみたい。
(小屋にいつもいる連中とは違う臭さの奴)としか言えないって……
どんな“臭さ”か聞くと、(オリヴィアとかエドワードとか、ここにいる人達みたいな臭さ)だって。
わたし達のニオイって、そういう表現になるんだ?
またもやショック!
でも……なんとなく貴族じゃないかなぁ、って気がする。
ブッチは、嗅ぐと判ると自信たっぷりに言っていたので、わたし達は変身が解けてから陛下に報告。
また王都内散歩作戦をする事を提案して、了承して頂きました。
そして一晩休んで、再び散歩作戦。
今回は、ブッチも加わる。
それよりも……アンが嬉しそう! 口元が綻びっ放し。
あれ? シドもなんとなく……。前回よりもアンのことを見ている気がするわ。
いよいよ、ワンちゃん変身呪術の核心に、解決に近づいているって感じがする。
だから、首輪もリードも我慢するわ!
今回は、アンとシドの間を歩くなんて野暮な事はしない。
ブッチと並んで、二人を先導する。
隣り合って歩いているアンとシドが、ときおりお互いの手が当たって、照れたりしている……
進展しているのはいいのだけれどねぇ? デートではありませんことよ?
ブッチは何でも楽しいみたいで、常に尻尾をブンブン振っている。
隣で歩くわたしにビタビタ当たるのよねぇ……
(ブッチ! それ……何とかならないのかい?)
アンの持つバスケットから、エドが身を乗り出してブッチの尻尾振りに注文をつける。
ブッチの尻尾タッチにやきもちを焼いてくれているの? なんだか嬉しい……
当のブッチは、(なに? なにが?)と、気付いてすらいない。
捜索の方はといえば――
ブッチが本を持ち出したニンゲンのニオイを捕まえた!
(あっちだ! クンクン……うん。絶対あそこだよ!)
なんと王城方面――というか……王城!
(エド、王城だって……)
(王城に登城している人間の中に首謀者がいる?)
王城は、陛下とそのご親族が住まう王宮を守る様に聳えている。
謁見の間や会見の間、庭園、王家主催行事用ホール等といった設備の維持運営の人員の他に、陛下や殿下方の政務を補佐する人間――いわゆる要職に就く貴族とその補佐の貴族達が働いている。
実際の実務は、城下に庁舎が設けられていて、そこで行われるので、王城内に首謀者がいるというのは、概ね貴族が主犯であることを示唆するのだ。
二人で目を合わせていると、様子を察したシド。
「一旦戻りましょう」
そうね。
「えー。もう戻るのですか?」
(ふぁ? 散歩はもう終わりか? もっと遊びてぇーのにぃ!)
アンとブッチは不満げ……
変身が解けたわたし達は、急遽陛下やお父様にいらしていただき、事の次第を報告。
今日の内に王城内を捜索する事に。
まさか、何者かも知られていないシドが、我が物顔で王城内を犬連れで歩くわけにはいかないので、シドに代わってバートン殿下に出張ってもらう。
エドも、人目を避けている今、エドワード王太子として場内に姿を現すのもマズイしね……
「殿下のお手を煩わせて申し訳ございません」
「バートン。手伝わせて悪いな……」
わたしとエドの言葉に、バートン殿下は恐縮しきり。
「何をおっしゃいます、兄上、お義姉さん。僕も協力させていただけるなんて光栄です」
バートン殿下と、衛士の恰好をしたシド、メイド服のアンの三人で、三頭の犬をつれて場内を歩いてもらう。
『バートン殿下のわがままで、犬を連れ込んだ』という体。
わたしは、パーティーで目撃されているのでバレないかドキドキだったけれど、バートン殿下や人懐っこくうろつくブッチの方に注目が集まってくれて、何とかなりました。
そして場内を散歩――捜索する事、小一時間……
(オリヴィア! ついでにエド! ニオイがしてきたよっ!)
ブッチがニオイを捉えて、(こっち!)(あっち!)と引っ張って行った先に見えてきたのは――
宰相執務室。
宰相――
パーティーで、エドにお酒を浴びせてしまったリーシアのお父上……キャナガン・バクスター侯爵。
まさか……。いいえ、彼の補佐官とか、関係者なだけかもしれないわ……
エドをチラッと見やると、目を見開いて茫然としている。
さらに近付いて行くにつれて、ブッチが確信を持つ。
(このニオイだよ! この中のニンゲンだ! ――ん? “地面の下の奴”のニオイもするなぁ)
(本当? 間違っていないって言える?)
(うんっ!)
私も鼻の神経を澄ませる。
中にいるのは一人……
でも、それが宰相だとは限らないわ。
それに、ブッチの言う通り、キアオラのニオイも微かに感じるわ。本もあるかも!
どうしましょう……
ここでエドと相談しても、吠え声で気付かれたり怪しまれてしまいそう。
せめて、わたし達の変身が解けて、陛下達に報告するまで、出入りを見張って欲しい!
ここはシドの勘の良さに賭ける!
申し訳ないけど、バートン殿下のリードは無視させてもらって、宰相執務室を見張れる柱の陰にシドを頭で押して行く。
そこにお座りをして、低く唸って見せる。
「……見張れと? 出入りを見張れという事ですか?」
正解っ! さすがシド! 嬉しくて尻尾が振れてくるわ!
わたしが頷いて見せると、シドはエドにお伺いを立てる。
エドも事情を察して、彼に頷いて見せる。
エドもさすが! わたしを信頼して下さるのね?
「承知いたしました」
シドが何やら手で合図を送ると、キアオラ捜索時に彼と護衛に就いてくれていた者が現れて、見張りの任に就いた。
わたし達はそのまま宰相執務室を通り過ぎて、王城を出て、追跡されていないかを厳重に確認しながら公爵邸の小屋に戻った。
今日二回目の変身が解けた頃には、多くの官吏が下城する夕刻が迫っていた。
今日はお忍びで午前中から屋敷に滞在なさっている陛下に、エドと二人で報告にあがる。
「キャナガンが?」
「バクスター卿の執務室だと?」
陛下もお父様も一様に信じられぬといった表情。
「“執務室にいる人間”です。宰相と決まったわけではありません」
離れの小屋では、シドが執務室の見張りの交代要員を送る度に、出入りの有無を確認し、エドに報告に来ていた。
人の出入りはあるが、入室した者が退出し、中の“ひとり”は変わっていないらしい。
「今日、ここまでの進展があったのです。この好機を活かしましょう!」
「僕も微力ながら兄上に協力致します。ですから陛下、どうかご裁可を」
エドとバートン殿下の熱意で、陛下の裁可が下った。
今回は陛下もバートン殿下も宰相執務室に乗り込むと言って聞きません。
危険があるかもしれないと言っても、「シドがいる」と言って、聞く耳を持って下さいません……
シドってそんなに強いの?
結局、陛下と王太子のエド、更にバートン殿下が護衛のシドを伴って、宰相執務室に行く事になりました。
わたしはワンちゃんの姿で一緒に行きます。
エドや陛下達は、危ないかもしれないと引き止めるけれど、ブッチの呪術本捜索の通訳というか、意思疎通係は必要だものね。
王族専用通用口を使って王城に入ったのは、多くの貴族や使用人が下城を済ませた時刻でした。
複数の馬車で乗り付けるのは不自然なので、一台に同乗した客車内は狭かったですわ……お馬さんも大変だったと思うわ。
わたしとブッチは、皆さんの足元にうずくまって移動。尻尾や脚を踏まれないかヒヤヒヤしていました。
御者として馬車を駆っていたシドが一番ゆったりしていたんじゃないかしら?
「宰相の執務室には動きがありませんが、中にいるのはバクスター宰相ご本人だと確認が取れました」
見張りからの報告に、陛下は落胆なさった。
しかし、陛下は取り乱すこと無く、侍従を通じて城の封鎖を指示する。
わたし達の集団はそのまま進んで……いよいよね。
シドが宰相バクスターの執務室ドアをノックする。
「入れ」
部屋に入ったのが陛下や殿下方だと気付いたキャナガン・バクスターは、執務机を立って出迎える。
わたしとブッチは、すぐには入室せずに嗅覚で室内を窺う。呪術本のニオイを完全に捉えたら、吠えて合図する手筈。
「陛下! それに殿下方まで! このような所に何用でございましょう」
まさか呪術のことが露見しているとは思っていないのか、彼は平然としている。
森の小屋が襲撃されてキアオラが連れ去られたことは知っていてもおかしくないけれど、バクスターまで辿られるとは考えていないのかしら?
確かに、人間の繋がりから探れば不可能だったかもしれないけど、わたし達が使ったのは犬の嗅覚。
色々すっ飛ばして、貴方に辿り着いているんです!
キャナガンは肥えた身体を揺すりながら、「ささっ、どうぞお掛け下さい」と、陛下方をソファへと導く。
わたしは、ドアの付近に立ちキャナガンの動向に目を光らせているシドの陰から、室内をのぞき見る。
「キャナガン。卿が呪術紛いのことをしていると耳にした。まことか?」
バクスターの眉がピクリと動くが、さすが海千山千の宰相――
「はて? 呪術というのは……いにしえの物語に出てくるようなモノですかな?」
「……そうだ」
「はっはっ! 陛下、我らは現実の世界の住人です。その様なモノがあるわけございませんぞ?」
陛下やエドが、キアオラの名を出したり、翁の証言をもとに問い詰めていくが、バクスターはのらりくらりとかわしている。
(ブッチ? 本のニオイは捉えた?)
(うーん……ニオイはするけど、どこからだろ?)
わたしもキアオラのニオイは感じる。ニオイの元が分からないという事は、書棚ではなく箱や引き出しに納められているのでしょう……
書棚の下段の扉付き収納か、執務机……どこだろう?
なかなかニオイの元にたどり着けないでいると――
知らぬ存ぜぬを貫いていたバクスターが、反撃に出る。
「陛下方、このような夢物語のような事、迂闊に口になさいますな。『変な迷信に傾倒している』と思われて、プレアデン家による統治基盤が揺らぎますぞ」
事ここに至っても、絶対の自信は崩れていない様子で、半ば挑発の混じったような物言いにも聞こえる。
たしかに、王権はプレアデン家にあり、その一族が代々引き継いで統治しているが、実際の国内各領土を収めているのは、その地を安堵された大小様々の貴族達である。
有力貴族が十でも結託して反旗を翻せば、その統治基盤は大きく揺らぐ。
普段ならば、このような発言をした時点で反逆の意思を問われかねない言葉遣いである。
「だが、この部屋にキアオラの呪術本が持ち込まれているとの情報がある」
「ふっ! まだ仰いますか? それで? この部屋をひっくり返して家探しでもしますか?」
そういった問答を繰り返している中、私とブッチは必死に嗅覚を研ぎ澄ませている。
(腹、減ってきたなぁ……)
(もうブッチ! もうちょっとだから我慢して探して)
(うん。……でも腹――)
(――! ブッチ……わたし、見つけたかもしれない)
(え? どこどこ?)
バクスターの執務机からだけれど、それにしてはニオイの量が少ない。
よく確かめたい!
だから……
ウオンッ!
大きく吠えるのは、陛下達への合図。
「なっ! 王城に犬ですと?」
急に大きな吠え声がして驚くバクスターだけど、陛下方は落ち着いたまま。
「シド、“彼女ら”を入れなさい」
その言葉と同時に、私とブッチは執務机に駆け寄って、再び吠える。
「キャナガン。そういった類の物がないというなら、机を検めさせろ」
「な、なにゆえそうせねばならぬのですかな?」
バクスターに、若干動揺の色が見えた。
「そこな茶色の犬は、キアオラの囚われていた小屋の番犬らしくてな。呪術本のニオイを覚えているようだ。それがそこにあると……」
「はは! 一国の王族たるものが犬の鼻なんぞを信じるので?」
その後も、王国の機密情報があるのどうのと渋るが、「国王に機密も何もあるまい」と至極当然の指摘を受け、ようやく引き出しの鍵を開ける。
バクスターは明らかに動揺している。
でも……諦めているような感じではない?
エドやシドによって、机の捜索がなされるけど、出て来ない……
ニオイはするのよねぇ……
でも、濃さがそれほど変わっていない。
引き出しにも無いし……
もしかして! 隠し部屋? 隠し棚?
(ブッチ! 机の裏も嗅いでみて!)
(ええ? 腹ぁ……)
(あとでいいお肉あげるから!)
(おう! まかせてっ!)
そして――
(あったぞ! 濃いニオイが染みてる!)
(お手柄よっ! そこを引っ掻いて!)
わたしはシドに吠えて知らせる。
気付いてくれたシドが、ブッチの引っ掻いている場所を机ごと蹴り壊すと……
発見。鍵付きの大きな本。
「な……」
「キャナガン……あったではないか」
キャナガンは、肥えた身体を支えていた膝から崩れた。
次回最終話――完結です。