6.キアオラの確保と、ワンちゃん
エドは確信を得ている。
(エドが言うなら決まりね)
(いや、僕たちは二人で捜索しているんだ。オリヴィーにも確認して欲しい)
わたしは大きいので、小屋には近づけないので、大きく回り込むように風下に移動して、草むらに伏せて潜みつつ鼻に神経を集中させる。
目を瞑って視覚情報を遮断し、風が小屋を撫でる音や草を揺らす音も気にならない程に鼻に集中する。
森からのニオイも意識して排除する。
窓やドア・壁の隙間から、筋のような空気の流れに乗って運ばれてくるニオイは、二人? の人間のニオイと一匹の犬のニオイ。
お酒と干し肉らしきニオイ。少し腐った臭いもするわね。
でも……このニオイのなかのキアオラ臭は極薄い。
風がふわっと揺れると、来た!
猛烈なキアオラ臭! 戻しそうになるほどの濃密なニオイ!
目を開き、懸命にニオイの出所を探す。
ニオイを嗅ぎつつ、小屋に目を凝らす……
(低いところから出ているわね……地下?)
(そう! おそらくあの小屋には地下があって、通気口からキアオラのニオイが漏れている)
(エドは通気口の場所も分かった?)
(うん。気絶するくらいの臭いがしていたよ……)
あのニオイをモロに嗅いだのね……ご愁傷様。
とにかく、エドに続いてわたしも確信を得たわ。
地面に降ろしていたエドとお互いに目を合わせて頷く。
エドの首を咥えたわたしは、音をたてないように、見つからないように、来た方向へ引き返す。
普段の捜索時には、けっして戻る動きはしなかったのだけれど、今回は戻る。
鬱々とした森を引き返していると……
まだ距離の残る遠くの巨木の陰から、シドが現れて、彼も周囲を窺いながら近づいてくる。
シドと目が合った気がするので、頷いて見せる。
勘付いてくれるといいのだけれど……
「殿下、オリヴィア様」
シドが喋った! 初めて声を聞いたわっ!
これまで、エドと話しているらしき姿は見ていたけれど、ついぞ聞く事の無かったシドの声!
アンと、どんな声色なのだろうと盛り上がっていたシドの声!
低いわけではないけれど、落ち着いたいい声ね。
「進展があったのですね?」
普段と違う行動を取ったわたし達の意図を読み取ってくれたのね?
地面に降ろしたエドもわたしも、シドに頷いて見せる。
「このまま“隠れ家”に戻りたいところでしょうが、間も無く時間です」
時間とは、もちろん変身の解ける時間……
シドは、背負っている袋からシーツのような大きな布を三枚取りだすと、一枚を地面に敷いて「オリヴィア様はこちらの上にどうぞ」とエスコートしてくださる。
「ありがとう」と頷いて布の上に進む。
犬だけどね!
エドは男性だから、草むらのまま。少しでもシド達の荷物を軽くする為に、敷物は断わっていた。
そして、もうひとりの護衛から瓶のお酒を二本受け取り、わたし達の足元へ丁寧に置いてくれる。
瓶を手渡した護衛の姿はもう見えなくなった。
「失礼します」
シドがそう言うと、残りの布を開いてわたしとエド、それぞれにふわっと被せる。
この状態で変身が解けるのを待つの。
解けたら、足元のお酒を自分でかけて、また犬に戻る。
けれど、今回はエドか私、先に解けた方がシドに伝える。「見つけた」と……
じっと時を待っていると、わたしの方が先に変身が解けた。
まずは、布に隙間ができて、外から見えていないか確認。
だって、裸よ? 見えていたら恥ずかしいじゃない?
……大丈夫。隙間は無い。
「シド? 聞こえますか?」
……返事がない。聞こえていないのかしら?
「……はい」
良かった! 聞こえているわね。
「この先の小屋に地下があって、そこにキアオラもいるわ」
「……はい」
「では、ワンちゃんになりますね?」
「……はい」
ワンテンポ遅いわね! 返事!
わたしがお酒を浴びていると、今度はエドの変身が解けたようね。
フワッと犬になって布から顔を出すと、エドは布を腰に巻いてシドに話しかけるところだった。
男性っていいわね? 上半身が露わになっても、それほど気になさらないものね……
それにしても、エドはお洋服を着ているとスラットして見えるけれど……結構胸板が厚いのね。
見ていない振りをして、横目で堪能する。……役得ね!
「シド。オリヴィーが言った通りだ。確実にいる」
「はっ! すぐにキアオラ確保の検討に入ります。殿下、帰路は馬車もこちらに向かわせますので、途中まではご足労願います」
「わかった」
なぁに? シドったらスラスラ話せるじゃないのー!
わたしの時の返事の遅さは何だったの?
そして、エドもワンちゃんに戻って、足場の悪い中わたしの前に来て、ちょこんとお座り。
首を咥えてもらいたくてウズウズしている。
……かわいい!
渋々シドから予備の酒樽を首に着けられて、帰路に。
街道沿いの植物を掻き分けて進んでいると馬車が到着し、シド達が周囲の耳目無しの確認をするのを待ってから乗り込んで“隠れ家”へ帰る。
「お嬢様、殿下。お帰りなさいませ。……シド様も」
“隠れ家”にはカークランド家の馬車も待機しているので、二台に分かれてわたしの家の小屋に向かう。
途中で人間に戻っちゃうから、エドと同じ馬車に乗れないのは残念……
アンもシドと馬車が分かれるので残念そう。
そうだ! シドの声を聞いたことを伝えてあげなくちゃ!
うちの敷地の拠点に帰ったわたし達は、エドが陛下に報告をし、キアオラ翁の確保作戦の立案と実行をお任せする事にして、その日は解散となりました。
わたしがいくら作戦に参加したいと言っても、足手まといになるだけでしょうから、控えましょう……
数日後、極秘裏に作戦が決行され、キアオラは無事に確保された。
首謀者が不明の為、王城や牢獄に連れて行った場合、情報漏洩や隠滅のおそれがあるので、やはりカークランド邸の拠点に連れてくることに。
キアオラの他に、小屋にいた二人の内ひとりは激しい抵抗の末に死亡、もうひとりは確保して“隠れ家”に連行されているそう。
拠点の小部屋がキアオラの拘留場所に充てられた。
そして、あの小屋にいたワンちゃんも連れて来られていました。
エドと同じ種類っぽい成犬だけれど、毛色はやや濃いわね。
とても人懐こそうなワンちゃんで、尻尾をブンブン振る子。
キアオラの取り調べの為に、エドとシドは毎日こちらに来るので、わたしは嬉しい。
ついでにアンも嬉しそう。
隠れ家に連行された男は、幾重もある下請けの下請けのような末端の人間で、この男から首謀者に辿り着くのは不可能みたい。
なので、より一層キアオラからの情報は大事になる。
「オリヴィーもここにいて、聞いていてくれないか? 気付いたことがあれば、遠慮なく言って欲しい」
わたしも出来ることをしたいと思っていたし、エドの希望もあって、わたしも小屋に入って、取り調べの様子を聞いている。
わたしの隣には、人懐こいワンちゃんが大人しく伏せている。
このワンちゃん、小屋に近づく者への番犬的役割で、母子二代に渡って、あそこで飼われていたとキアオラが言っていた。
あまりにいい子だから、うちで飼っちゃいたいくらい。
なぜだかエドにはそれほど懐かないけどね……
取り調べで、キアオラは――
十年ほど前に何者かに攫われて、呪術の行使を迫られた。
まだ研究段階だと断ったのだけれど、研究を進めるように脅され、あの小屋の地下に監禁されて現在に至る。
これまでに二回、呪術の行使をさせられたとのこと。
わたしとエドね。ある意味被害者が少なくて良かったわ……
呪術では、人間を完全に動物に変えたかったそうだけれど、上手くいかなかった。
二度の失敗も、当初は研究を続けさせてもらえていたが、とうとう呪術本を取り上げられたので、“殺される”と思っていたそう。
おそらく、パーティーでエドが消え、わたしが犬に変身したのを目撃したか、聞いたかして、首謀者はキアオラの処分を思いとどまったのね……
いやいや! その首謀者は誰? ってことよ!
「エド? 誰が黒幕か判ったの?」
「それが……」
キアオラは高齢のため、視力が衰えていたところに、暗い地下での監禁で更に目が悪くなっていて、誰が誰だか判らないそう……
シド達も、別方向――監禁小屋の所有者等――の捜査も並行して行っているけれど、進展はないみたい。
「オリヴィー、何かないかい?」
何かって……
貴族の教養と、王太子妃教育を受けているだけのわたしが、何か思いつくかしら?
頼みのキアオラも、ほとんど物も人面も見えていない状況だったし、呪術本? も取り上げ――! それよっ!
「エド! 呪術本の線は?」
「それも誰に取り上げられたか判っていないし……」
エドは眉を下げ、困り果てる。
「エド? 人間の視点で考えるから、詰まるのよ! キアオラ翁の捜索と一緒! “ここ”を頼りましょ?」
敢えて笑顔で明るくエドの鼻にツンツンと人差し指を当てる。
思い詰めても上手くいかないときはいかないもの。だったら明るく乗り越えましょう?
「オリヴィー……。そうだね!」
気を持ち直したエドと、シドやアンも加えて、どうしようかと相談。
呪術本を探す事にしたけれど、肝心の本のニオイは分からない。
「でも、キアオラ翁が始終持っていたなら、彼の臭いが染み付いているでしょう?」
「そうだけど……。本は人間と違って、本棚とか引き出しとか狭い所に収納できるからね……。箱に厳重に入れられていたら追えないよ」
……やっぱり、人間を追うしかない。けれど、その人間はわからない、か。
結局振り出しに戻る?
クーン……
ワンちゃんがわたしに甘えてきて、頭をナデナデしてあげる。
「――そうよっ!」
思わず立ち上がってしまったわたしに、みんなが驚いてこちらを見る。
「どうしたんだい? オリヴィー」
「本を持って行った者を見たのはキアオラ翁だけではないわよ?」
「小屋にいた男かい? 下っ端すぎて、繋がるとは思えないよ」
「違うの! この子よ」
クーン?
犬に聞ける訳ないだろ? なんてことはこの場では通じません!
だって、犬になれるんですもの!
犬に変身しちゃうことが、難問突破の糸口になるかもしれないなんて、思ってもみなかったわ……
まあ、キアオラ翁を確保した時点では、もう一度ワンちゃんになるなんて考えもしなかったのだけれどね。
キアオラに見聞きされるといけないので、公爵邸の母屋にワンちゃんを連れて移動する。
何時間も犬に変身する必要は無いので、三〇分ほど変身していられそうな量のお酒を用意すると……
わたしにばかり負担はかけられないと、エドも犬になってくれるそう。
エドも一緒に聞いてくれるなら、安心だし、その後の動きも早くなるでしょうから、いいわね。
別室に分かれて変身して、さあ、ワンちゃんに聞いてみましょう!
(ハッハッハァ! あれ? お姉さん、俺みたいになってる! ん? このちっこいのは……ここのリーダーのやつか?)
ワンちゃんのいる部屋に入るなり、この子は気さくに話しかけてくる。尻尾をブンブン振りながら!
(なに? なに? 遊ぶ? 遊んでくれるの? ハッハッハッ! あれ? お姉さん、俺の母ちゃんみたいな感じするな? 気のせいかな。アハッ)
……グイグイ来るわね
(ちょっ! ちょっと待ってねぇ? 落ち着こうか)
ようやく話せる位にはなったわね。
遊び相手が来たと思ったこの子を落ち着かせるのは大変だったわ……
シドやアンには吠え合っているようにしか聞こえなかったでしょうけど、苦労したんですからね!
変身時間、大丈夫かしら?
(改めて、ご挨拶から始めましょう。わたしはオリヴィアよ)
(僕はエドワードだ)
(デカイのがオリヴィアで、ちっこいのがエドワードだな!)
ちょっとショック……
(あ、あなたは?)
(俺か? 何だろうな? 知らねえや)
(知らない? 人間にはなんて呼ばれてたの?)
(ニンゲン? ああ! 一緒にいた臭い奴らか。奴らは俺を『イヌコロ』とか『ダケン』とか言ってたな?)
――ひどい! こんなに可愛い子を、何て呼び方しているのよっ!
わたしとエドで、この子に『ブッチ』と名前をつけた。
この子……尻尾を千切れそうなくらい振るんですもの。ブチって……
ブッチにキアオラの事を聞いたら、(地面の下にいる奴だろ?)だって……
確かに地下だけどね。
キアオラは、ブッチが生まれる前から地面の下にいたそう。
小屋には基本的に二人の人間が滞在していて、交代を考えると全部で十人近い人間が出入りしていたとのこと。
肝心の呪術本や、それを持ち出した人間のことを聞くと(ん? 本って何だ?)状態。
わたしがガックリ項垂れていると、エドが言葉を変えて聞いてくれた。
(えーっとね? 地面の下の奴と同じニオイのなにかを持って出て行ったニンゲンを知っているかい?)
(地面の下の奴と同じニオイ……かぁ。――あっ! 覚えてるよ!)
エドぉ! お手柄よっ!
ブッチも、覚えているなんて……いい子!
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