5.いるね……
「エド? 今日からキアオラの捜索ですけれど、段取りは大丈夫ですか?」
「ああ、陛下とも入念に打ち合わせたし、僕たちも時間に気をつけつつ頑張ろう」
これまでは“王家の隠れ家”という、これも王都郊外の大きな山荘風のお家に集まっていましたが、キアオラ捜索は王都中心部から始めることに。
中心部は、言わば貴族の邸宅が連なる区画なので、カークランド家の屋敷を拠点にする事に。
敷地にあった小屋を改装して、その中で変身します。
小屋は殺風景で、入ってすぐの広いスペースと奥に、今回の為に設えた小部屋が二つだけ。
わたしとエドは、小さく区切られた仕立て屋のフィッティングルームのような小部屋に分かれる。
着用していたドレスを脱いで肌着になると、侍女のアンが手際よくドレスを片付ける。
「よろしいですか? お嬢様。いきますよ?」
「ええ、お願い」
肌着姿で、低い姿勢になったわたしの背中に、アンが強いお酒をドバドバとかける。
「申し訳ございません! お嬢様」
アンは実験の間もわたしにお酒をかける担当だったのだけれど、いつも抵抗感を持っていて、毎度わたしに謝りながらかける。
こんな事、アンにしか頼めないの。あなたに辛い思いをさせてごめんなさい……
ドクドクと背中にお酒がかかり続ける。
お酒がかかり続けている間は変身しないということが分かって、お酒を飲むよりかける方が効率がいいという検証結果に基づいたもの。
効率って……
瓶のお酒が全てかかり終わる。
「お嬢様……ご無事で」
ヒュウ!
フワッ!
初めて犬になった時から不思議だったけれど、変身に使われたお酒は、匂い諸共消えて無くなるの。
「お嬢様……」
「ウォン!」
(変身完了!)
わたしが重い鳴き声で変身完了の合図を送ると、隣の小部屋から「キャンッ」(僕も)と返事。
アンと小部屋を出て、みんなと合流する。
『みんな』とは、家主のお父様、心配で見に来たお忍び姿の陛下、アン、そしてもうひとり……陛下の手の者の『シド』。偽名でしょうね……
アンがいるのは当然として、なぜシドなる者がいるか?
まさか街中を犬だけで歩くわけにはいかないので、散歩を装うのと、護衛も兼ねてのこと。
アンとシドで、使用人“若夫婦”が主人の犬のお散歩をしているという体裁をとる。
だから、彼女は普段のメイド服ではなく、シドと一緒に小綺麗な身なりに整えている。
シドは、引き締まった身体に中背で、濃いブルーの髪にミントガーネットのような透明感抜群の瞳。しかも物凄いイケメン!
イケメン過ぎて目立ってしまうからと、前髪で目を隠してもらって、何とか注目は浴びないようにしてもらっている。
「シ、シド様。よろしくお願い致します」
アンが頬を染めて上目遣いでシドに挨拶すると、彼は黙って頷く。
彼女ったら、シドのお顔が好みど真ん中なので、舞い上がっちゃってるの!
アン。あなた……相当な面食いだったのね?
わたしはエドの方が可愛――かっこいいと思うけれどね!
さて、それはさておき、次にするのは気の進まない作業。
シドが真新しい清潔な革袋から、キアオラの弟子から預かっていたキアオラ翁のローブを取り出す。
……下着じゃないだけよかったけれど、見るからに臭いを放っていそうなローブなのよねぇ。
シドが、子犬のエドの高さに合わせてローブを差し出す。
すでに臭いは小屋に漂っているけれど、エドと二人で嗅ぐ。
やっぱりクサイィィッ!
クラクラするほどの、刺激臭と言ってもいいほどのおじいさん臭!
わたしはすぐに顔を背けたけれど、エドは鼻までくっつけてクンクンしている。
さすがエド。仕事には手を抜かないのね……
(エド? 大丈夫?)
(あ、ああ。でも……強烈だね)
(無理しないでね?)
「覚えたか?」
陛下の問いに、わたしもエドも吠えて答える。
やっぱりわたしの声が太くてエドの声が可愛いなんて、理不尽!
そして、いよいよ外に出る為の準備だけれど……これも気が進まない。
その準備とは、首輪!
もう一度言うわ。首輪!
散歩という体なので、仕方ないと自分に言い聞かせて我慢我慢。
「お嬢様……申し訳ございません」
アンが申し訳なさそうに、わたしの首に輪を装着する。
……アン。あなたが気にする事ではないわ。でも、ありがとう。
せめて目を瞑って我慢するわ……
無事に? 首輪が装着されて、ついでにリードまで……屈辱!
泣くなわたし! 耐えるのよ!
エドはと言えば、アンが持ち歩く小さなバスケットの中。
柔らかい布が敷かれていて、その上にちょこんと座っている。
いいなぁ……キリっとした表情なのだろうけれど、かわいいし。
「ではエドワード、オリヴィア嬢。今日からのキアオラ捜索、頼むぞ。」
「オリヴィア、殿下にご迷惑をお掛けするんじゃないぞ?」
陛下とお父様の見送りを受けて、いざ捜索開始!
表門は開閉の段階から目立つので、カークランド公爵邸の裏門から、ひっそりと出て行く。
まずは鼻で大きく空気を吸う。
風は王城方面から吹いてくる。
風上からの空気にはキアオラのニオイは混じっていないわ。
捜索場所の決定権はワンちゃんになったわたし達にあるので、必然的に風下側に進路を取る。
リードを引かれて歩くのは嫌なので、わたしが先導しようかとも思ったけれど……
シドの隣で歩くアンが、無口な彼をチラチラ見ながら嬉しそうにしているのと、バスケットの中にいるエドのことを無意識だろうけれどずっとお触りしているので、イタズラ心が湧いてお二人さんの間に身体をねじ込む。
エドも、アンのなでなでに気持ちよさそうにしつつ、鼻をクンクンしている。
(エド様~? アンの手がお好きなのですか?)
(ん? ――ハッ! オリヴィー! そ、そんなことはない!)
わたしの呻き声に我に返ったエドは、アンの手から逃れた。
アンも察しが良くて、「す! すみません。お嬢様! 私ったら、つい……」と、手を引っこめてくれた。
ワンちゃんに変身していると、無意識に犬の習性みたいなものが出てしまうことがあるのよね……
(さ! 早くキアオラを見つけられるように、頑張りましょう?)
(あ、ああ)
わたし達は、数日かけて広大な王都の城壁内を捜索したけれど、成果はなかった。
余談だけれど、シドの無口さには驚いたわ……
数日間一言もしゃべらないの! アンの問いかけに頷いたり首を振ったりはするけれど、ついぞ声を発しなかったわ。
エドに聞いても、「言葉を話せないわけではないよ。職務上、そういう風に訓練されているのさ」とのこと。
嫌われているのでは? と、気落ちしているアンを宥めるのに苦労したわ……
今度は、拠点を“王家の隠れ家”に移して、王都外の捜索。
散歩を装う必要が無くなったので、わたしとエドだけで動く。
アンは隠れ家で待機。シドも別のお役目に。
ちょっと残念そうにしていたわね……アン。
首輪を外す代わりに、万が一変身が解けてしまった場合に備えて、首にはお酒を入れた小さい樽を括りつけたスカーフを巻かれたので、実質首輪をされているのと変わらないわ……
当初は、アンが持っていたバスケットにエドも樽も入れて咥えて移動する案もあったけれど、重いのとブラブラしてバランスが悪いので、こういう形になった。
(さあ、行きますよ、エド?)
(うん。頼む)
エドはちょこんとお座りして、わたしに咥えられるのを待っている。ウズウズしている。
首根っこをわたしに咥えられると――
(ああ! やっぱり安心感があるな……)
(……)
アンが開けてくれているドアを通って、二人で外へタッタッと駆けて行く。
人通りのある街道には向かわずに、草むらや畑など、人目につかないように捜索を始める。
(スンスン。ついて来ているね)
(ええ)
道なき道を行くわたし達の後を、追うように付いてくる人間のニオイがふたつ。
ひとつは、わたしを散歩に連れて行ってくれた――違う違う! わたし達と捜索していたシド。
いけない……すっかり犬の思考に陥るところだったわ。
そして、もうひとりは彼の同僚ね。“隠れ家”に居る時から微かに嗅いでいたニオイ。
おそらく、ずっと警護に付いてくれていた人。
この二人が、一定の距離を保ちながら付いてくる護衛兼時間伝達係。
変身の限界時間が迫ったら、懐中時計を持ち歩いていないわたし達に笛で知らせてくれる。犬笛で!
それが聞こえたら、わたし達は本当に人目のない場所に隠れて、変身解除に備える。
それにしてもこの二人は、よくわたし達を見失わないわね。
凄いわ……
そして数日後――
“隠れ家”から馬車で数時間――王都からなら丸一日近く――移動した先の、鬱蒼とした森での捜索。
王都からも“隠れ家”からも遠くなってきたので、この辺りがダメだったら、そろそろ別の拠点を探さなければと相談している。
森は街道から離れていて、尚且つ小高い岩山の陰になる形で、街道からは一切視認できなかった。
背の高い植物の群落を掻き分け、岩山を越えて森の境界へ辿りついた。
(オリヴィー。ここは人の手が入っていないように見えるけど……)
(はい。……そう装っていますね)
(人間のニオイも微かにある。……あやしいね)
(ですね。……エド、行きましょう)
(うん。足元に気をつけてね)
後ろを振り返ると、岩山の辺りからシド達の気配。
ちゃんと付いて来てくれている。
樹海とも言えそうな森に足を踏み入れる。
巨木がそびえていて光のほとんど届かないそこは、土の上に湿った落ち葉が積み重なっていて、とても歩きにくい。
土や落ち葉の腐ったニオイ、小動物の腐乱したニオイ等がむせ返るほどに充満している……
時折顔をのぞかせている大きな石や岩には苔が覆っていて、湿度が高くて苔も草もまるで行く手を阻むように身体に張り付いてくる。
それでも足元に注意してゆっくりゆっくりと進む。
すると、木の本数が減り、少しずつ森がひらけてきた。
人の手によって計算された伐採みたい。
光も差し込むようになり、完全に拓けた場所に出る。
小屋がひとつ。一見、低く刈り揃えられた草はらに囲まれた猟師小屋の裏……
でも違う。
小屋を囲う草はらには、ぐるりと人が歩いた跡がついている。
定期的に見回りをしているみたい……
鼻で大きく空気を吸う。エドもそうする。
エドを下ろして、わたしも伏せて小声で話す。
(エド。したわね?)
(ああ。当たりだ……)
キアオラ翁のニオイはする。他に複数の人間や犬のニオイもする。
けれど、小屋の中に彼がいると断定できるほどのニオイの強さではない……
他の人間のニオイの方が、強く漂ってくる。キアオラ翁が、中にいるかは判断できない。
その点をエドと相談していると――
(僕が確かめて来よう)
(エド! 危険よ! 見晴らしが良いぶん、見つかりやすいわ)
(だから僕が行くんだ。小さい僕なら見つかりにくいだろう?)
(でも……犬もいそうよ?)
大きな身体のワンちゃんなはずのわたしの耳は、不安で垂れている。
そんなわたしを、ちっちゃい身体のエドが優しく言い含めてくる。
(大丈夫だよ。僕にはオリヴィーがいる。その後ろにはシド達もいる。僕だけだったら、そんなことはしないさ。でも、君が見守っていてくれる。だろ?)
(う、うん)
(だから、僕が行くよ。もしもの時は……頼りにしているよ?)
(わかった。……気をつけてね? 無理しないでね?)
エドがカサカサと草に紛れて小屋に向かう。
わたしは、そのお尻を見送る。
万一の時は、いつでも飛び出せるようにと、伏せつつも動きやすい体勢で待機しておく。
エドが小屋に向かってしばらくすると、小屋の中から『ヴオンッ! オン! ウォン!』と野太い吠え声がした。
小屋の中の人間から「うるせえ!」と一喝されたその吠え声は、腹に響く重厚な鳴き声の割に(誰だい? 遊びに来たの?)だった。
それでもエドのことが心配になって、迎えに行って一緒に逃げようかしら? とか考えていたら、カサカサと彼が戻ってきた。
(絶対に居るね)
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中編小説です。
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