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2.露見からの逃走

 

「あらぁ? オリヴィア様ぁ?」


 殿下を追うわたしの背中に、声がかけられた?

 若い女性の声。わたしに声をかけられるほどの貴族令嬢はいないはず……


 振り向くと、そこには顔を赤らめた学友のリーシアがいた。

 彼女が持つグラスには、果実水とは違う色の飲み物。

 リーシア? あなた、お酒を飲んで……もう酔っているの?


 彼女は、宰相閣下のバクスター侯爵の令嬢。

 たしか……要職に就いている方々の中に、エドやバートン殿下に近い年代の令息がいらっしゃればご招待していたのでしたっけ。


「オリヴィア様ぁ、お久ぶりですわねぇ?」


 リーシアがわたしに向かって歩いてくるけど、足元がおぼつかないわ。

 危ないわ! それに、お酒のグラスもゆらゆら揺らして……本当に危ないわっ! エスコートの男性はいないの?


 彼女のいた辺りを見ると……いた! 彼女の婚約者の侯爵子息!

 でも、青い顔になって、突っ立ったまま!

 リーシアの行動に頭が真っ白になってしまったみたいね……

 それでも、何とかしてもらわないとわたしが危ないわ! 彼女はお酒を持っているのよ?


「エドワード殿下はどちらぁ?」

「リーシア……」


 彼女は、ふらつきながらも足を止めない。ああ! 危なっかしい……


 リーシアは、わたしと殿下と同学年のご学友。


 彼女は、物心がつく前からこの国の宰相を務める父親に「絶対にエドワード殿下の婚約者になれ」と発破をかけられていたようで……

 学園では、殿下と婚約していたわたしを目の敵というか、ライバル視していた。


 直接的な嫌がらせなどはありませんでしたが、陰口を叩いたり「私の方が殿下の婚約者に相応しいのに!」と触れ回っていましたね……


 その時は、なるべく刺激しないように――相手にしないように――していたけれど、今日もそうしましょう!

 先を歩いていたエドも、ついて来ていない私に気付いて、こちらを見ました。


 リーシアには軽く声をかけて、すぐに殿下の元へ行こうと考えたのだけれど……

 彼女の気弱そうな婚約者が、ようやく引き止めに動いた。


「リ、リーシア! 失礼にあたるから、一旦戻ろう? ねっ?」


 そう言いながら、彼女の腕を掴んで自分の方に引き寄せようとする。


「えー? ちょっとご挨拶するだけですぅー」


 でも、酔っ払っている彼女が無理矢理彼の手を振りほどいた。

 ――その時、リーシアは勢い余って逆の手に持っていたグラスまでをも振ってしまった!


 あっ! いけない!

 グラスから放り出されたお酒が、弧を描きながらわたしに向かって飛んでくる。


 心臓の鼓動が速まるけれど、不思議とスローモーションに見える……

 人が死ぬ瞬間って、こうなのかしら?

 いいえ! 死なないし、走馬灯も見えていないわ!

 社会的には死んだも同然になるだろうけど……


 そんな事を考えていたら、後ろから声がかかった。


「オリヴィー!」


 これは、殿下が私と二人きりの時にお呼びくださる呼び名……


 その瞬間、私は背中のドレスを強く引かれて後ろへ倒れ込みそうになる。

 でもドレスを掴んだ手は、そのままパッと背中に添えられ、殿下がわたしの目の前に現れてそのままわたしを抱きしめる。


 あっという間だったけれど、殿下がわたしを引っ張って(たい)を入れ替えてくれたみたいで、ダンスの決めポーズのようになりました。

 おかげでわたしは転ばずに済んだのだけれど……


「エド!」


 次の瞬間にはエドの首から背中にかけて、お酒がかかった。

 殿下が私の代わりにお酒を受けて下さった? 

 わたしはワンちゃんにならずに済んだのね? 

 ……よかったぁ。


「エド! ありが――」


 ヒュウ!


 わたしがお礼を言い終わる前にエドは急に目の前から消え、残されたテールコートや蝶ネクタイが彼の形を解いて、ふわっと床に落ちた……


 えっ? エド? どうなっているの?


 フワッ!


 ――この音って!?

 慌てて下――殿下の礼装を見る……っ!


 ええーーっ!?


 エドが犬になってるーっ!

 わたしじゃなくて、エドが犬になってるーっ!

 しかも子犬になってるーっ!

 プルプルふるえてるーっ!



「えっ? 王太子殿下は?」

「エドワード殿下が……消えた?」

「何が起こった?」

「殿下が……」


 エドが礼装だけを残して忽然と消えてしまい、辺りは騒然となる。

 けれど私の眼には、テールコートの下で、プルプルと震える子犬がしっかりと映っている。

 エドの髪色と似た金色の毛の子犬。黒いテールコートの陰で、まだ人目についていない……


 なんで?

 犬になっちゃうのは、私ではなかったっけ?

 みんな犬になる? いや、それは違う! 

 それに……わたしは大きい犬なのに、エドは子犬? かわいいし!


 そんな事がわたしの頭の中を駆け巡っているうちに、少しずつ騒ぎが大きくなる。


「で、殿下?」


 お酒をかけてしまった形のリーシアも、婚約者の腕の中で茫然自失としている。


 どうしよう!

 礼装ごと犬のエドを抱えてここから逃げる?


 いいえ! エドが服を残して消えてしまった衝撃は大きい。

 この話が広まるだけでも殿下のお立場が……


 あ~、まだプルプルふるえてる! かわいいっ!


 いや、この際かわいいどうのこうのは置いておいて……

 これ以上の衝撃で、打ち消すしかない! 皆さんの衝撃を上書きするしかないわ!


 わたしもワンちゃんになる覚悟を決めました。

 そして、わたしは心の中で家族に謝りながら、近くで茫然としている方々の手からグラスを奪い取る。

 一杯では変身時間が不安なので、ふたつ。


 よし! と、心の中で気合を入れてパシャパシャと自分にかける。


「あ! オリヴィア嬢!」

「何をなさる?」


 周りから声がかかるけれど、もう遅いわ!

 ……わたしはエドの側にいられなくなるかもしれないけど、エドは助ける!


 お酒のかかったわたしは、ドレスもコルセットもペチコートも、下着も! 脱げて大きな白い犬になった。

 ワンちゃんになったわたしに、オペラグローブがふわりとかかるけれど、ブルブルと身震いして振り払う。


「えっ?」

「きゃー」

「オリヴィア嬢?」

「犬に……なった?」



 周囲の事など気にせず、急いで自分の下着とペチコートを咥えてエドのテールコートに顔を突っ込む。

 ああ! エドの匂いが満ちている……


 キャン!?

(犬!?)


 バウ?

(えっ?)


 子犬の甲高い鳴き声……のはずなのに、何を言っているのか理解できる!

 エドがしゃべったの? 

 ううん。今はそれどころではないわ! 一刻も早くこの場を抜け出さなくては!


 わたしは自分の下着を咥えた上で、エドの首根っこにかぶり付いて咥え込む。


 勢いよく立ちあがると、エドの上着も飛んで行き、視界が開ける。


 わたし達の服の周りには、一定の距離を置いて、人集りができている。

 どうやって逃げよう……

 犬になったとはいえ、わたしはレディー。まさか男性方の股をくぐっては行けない。


 通り抜けしやすそうな場所を見つけて、一気に突っ込んで行く。


「うわー! こっちに来た!」


 身構える人々を尻目に、フットワークを効かせてするすると間を抜けて行く。


「何か咥えてなかったか?」

「え? 見えなかったわ」

「ペチコートみたいでしたわ」


 人々の間を抜けながら聞こえてくる声を効く限り、わたしがエド――子犬――を咥えている事には気付かれていないみたい……



 参列者の間を縫い、時には女性のドレスの裾を踏んでしまって脚を取られて転びそうになりながら、目的地に繋がる出口に向かう。

 王城の中でエドが自由に使える部屋で、且つ施錠されていなさそうな部屋の内、一番近いのが“第一王子応接室”の待機室!


 ……転びそうになったけど、手(前脚)も使えるって、安定するわね。

 こんなに機敏に動けるなんて、思わなかったわ……ちょっと気持ちいい!


 ホールの出口は扉の無いアーチだけれど、常に衛兵二人が脇を固めている。

 けれど、今のわたしなら抜けられると思う! 大きいけど犬だし!


 わたしとエドがいた辺りには、未だに人集りができているけど殿下の従者や陛下の執事達が慌てた様子で向かっている……

 礼服やドレスは彼らが回収してくれるでしょう。


 無事に衛兵の間を巧みに抜けて、直角に曲がって待機室に向かう。

 すると……わたしの口元から、キャンキャンクーンと子犬殿下の声。


(オリヴィー! オリヴィー! き、聞こえるかい?)


 バア? ア、アウ!

(へっ? は、はい!)


 エドと下着を咥えながらだから、上手く発声できない……


(よかった! 聞こえていたら、僕の執務室に向かってくれ! 鍵は空けてあるし、衛兵にも扉を少し開けたままにしてもらっているんだ)


 執務室! わたしもお伺いした事があるけれど、ここからだとちょっと遠いし階段も登る……。でも、エドは自分が犬になる事を知っていた? 今聞く限り、万が一の時に逃げ込む準備をしていたみたいね。


 アウ! ウオン!

(はい! 行きます!)


 王城の通路を駆け抜ける。

 時折出会う王城の使用人や文官達は、わたしを見ると「どうしてここに犬が?」といった顔でたじろいだり後ずさったりしたので、邪魔にはならなかった。


 息を切らしながら階段を上り、曲がった先からエド専用のフロアとなっていて、その奥にエドの執務室かある。

 それぞれの扉前には衛兵が立っているが、エドが前もって「たとえ犬が来ようが動揺するな」と言っていた? ようで、みんな一瞥する程度で、すぐに視線を前方に戻していました。


 エドの言う通り、執務室の扉は少し開かれています!

 わたしの経験上、エドが浴びたお酒の量では、そろそろ変身が解ける可能性がある!


 スムーズに扉から執務室に駆け込めるように、走るルートを調整。


 心の中で、「扉か壁にぶつけちゃったらごめんなさい!」とエドに謝りつつ、自分の頭を扉の隙間にねじ込む!



 シュルッと抜ける事ができ、安堵で口からエドを離してしまい、彼もわたしの下着も床に落ちてしまう。

 エドはパッと起きて、とてとてヨタヨタと、今入って来たばかりの扉に向かう。

 かわいいっ! 


 ひょこひょこ揺れるお尻も小さな尻尾もかわいいっ!


(エド? どうしたの?)


 発声の良くなったわたしが聞くと、エドが甲高い鳴き声で答える。


(扉を閉めたいんだ)


 扉? ――おおっ! 扉の取っ手に縄が括りつけられている!


 エドが縄のところまで行くけれど、彼では少し届きにくい高さに縄の端があるので、後ろ足で立って懸命に咥えようとしている。


 かわいいっ!


 やっと咥えることができたけれど、体重の軽い子犬のエドは、ただぶら下がるだけになってしまう。


 ……かわいいっ!


お読み頂きありがとうございます。

中編小説です。

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良きところで評価して頂ければ幸いです。

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