30.予想外の来客
翌日。エイヴリルはなぜか離れの洗濯室にいた。目の前には洗い立てほかほかのシーツがある。それに真水をかけて流していく。
「エイヴリル様、ディラン様に今日は大人しくしていろと言われていませんでしたか?」
「ええ、そうなのだけれど……。母屋でのお手伝いも終わってしまいましたし、何だか暇で。お洗濯をしているぐらいでしたら問題ないかと」
じゃぶじゃぶしながら問いに答えれば、グレイスはメイドキャップを目深に被り直した。
「本来、エイヴリル様はこのようなところにいてはいけないお方のはずです。バレたら大変ですよ」
「だからグレイスはついてきてくれたのですよね。ありがとうございます」
今日、ディランから与えられた手伝いは意外と量が少なかった。あっという間に与えられた業務を終えてしまったエイヴリルは暇を持て余すことになったのだ。
ディランに指示をもらおうと思ったが、午前中は面会の予定がびっしり入っていて会えず、午後になればどこかへ出かけてしまったようだ。
夕食は一緒に取れるようなのでそう遠くへ行ったわけでないのはわかるが、行き先は誰も教えてくれない。ということで、体を動かしたくて仕方がなかったエイヴリルは洗濯をしにきたのだ。
(それに、悪女の私は遠巻きにされていますから)
母屋の使用人たちは皆、エイヴリルがとんでもない悪女だと思い込んでいるままだ。ディランはあまり納得していないようだが、前公爵に絡まれたくないエイヴリルは嬉々として悪女を演じていた。
悪女になりきるのは楽しいが、使用人たちがあまり話してくれないことだけは寂しかった。
回想を終えると、さらにグレイスがこそこそと問いかけてくる。
「エイヴリル様、今朝、お部屋に届けられた朝食の食器を戻すときにお手紙を添えていらっしゃいましたよね? あれは回収しました」
「まあ……なぜでしょうか?」
「悪女はお礼の手紙なんて書きません。たとえ内容がどんなに偉そうだったとしても、丁寧なお礼状をつけた時点で使用人は驚愕します」
「まあ。至らない悪女で申し訳ないわ、グレイス」
「いいえ。旦那様も協力している様子でしたので、私もお力添えを」
王都のタウンハウスでも似た振る舞いをした覚えはある。王都の使用人たちは悪女になんと寛容なのか。感動しているところで、グレイスが顔を引き攣らせる。
「ですが、エイヴリル様がここで遠巻きにされているのは、悪女だからというよりは不思議がられている可能性もあるのではと」
「不思議……? 一体どのへんがどのように?」
どういうことだ。身に覚えがなさすぎるエイヴリルが聞き返したところで、エイヴリルとグレイスだけだった洗濯室にジェセニアが現れた。
「あっ! クラリッサ、ちょうどいいとこにいたわ! あんた何でもできそうよね? 貴族出身だし、もしかして上級使用人みたいな振る舞いもできちゃう?」
「ええ、まあ……できるといえばできるような?」
上級使用人とは、家令や執事など特権を持った使用人のことである。ランチェスター公爵家では品位を保つために貴族出身の教育が行き届いた人間が選ばれていた。
ジェセニアが主人の身の回りの世話をする侍女も上級使用人に入れているのだと察したエイヴリルは、戸惑いつつ肯定する。すると、ジェセニアの表情が一気に明るくなった。
「よかった! 今日は少し面倒な来客があるのよ。洗濯はいいからそっちを手伝いに行ってくれない?」
「……はい?」
(一体、どうしてこんなことになっているのでしょうか……)
数十分後。洗濯や厨房用のメイド服ではなく、主人の身の回りの世話をする侍女用のお仕着せに着替えたエイヴリルは、離れのサロンの端っこで小さくなっていた。
テーブルの上にはティーセットが準備されていて、さっき厨房ではたくさんのお菓子が焼かれていたようだった。
(どうやら、これからこの離れに重要な来客があるようですね。私はそのおもてなしの『人数合わせ』として呼ばれたようです)
基本的に、離れは前公爵が引きこもって暮らすためのものだ。エイヴリルが領地入りしてからというもの、前公爵は離れにある自分の部屋で過ごすか誰か愛人の部屋で過ごしているようだった。
もちろん、洗濯メイドの中でも下っ端の“クラリッサ”が前公爵に遭遇することはない。
(母屋からふさわしい振る舞いができる上級使用人を呼ぶのが嫌なのだと思いますが……どなたがいらっしゃるかはわかりません。ここで静かにしていましょう)
すんとして気配を消そうとすれば、隣でキョロキョロしていた一人のメイドが不思議そうに話しかけてくる。
「あなたは?」
「……新人のメイドで給仕のお手伝いを。人数合わせでお呼びいただいたようです」
「あー! “救世主で猛獣使い”ね!」
まさか二つ名がこんなに進化しているとは聞いていない。しかし、テレーザ・パンネッラが猛獣扱いされているのは納得するところだった。
(やはり、直接お世話をされている方々の情報網は素晴らしいですし当たっていますね……)
話しかけてきたメイドは目を輝かせて続ける。
「すごいわね。あなた、着任してわずか数日で旦那様のおもてなしの場に呼ばれたのね? このまま洗濯メイドから昇格するんじゃない?」
「いえいえ、そんなそんな」
(……って、旦那様?)
ニコニコと笑っていたエイヴリルは、話題に挟まれた不穏な言葉に首を傾げた。
「あの。これは、大旦那様をおもてなしする会なのでしょうか?」
「違うわよ。今日こちらにいらっしゃるのは旦那様。代替わりしてまだ数年のお若い公爵様がこちらに顔を出すというから、皆がこんなに張り切って準備したのよ」
「……なるほど」
ぱちぱちと瞬いて固まる。
(つまり……これからここにいらっしゃるのはディラン様だと。いいえ、大旦那様でないだけありがたいのですが。まぁ、そういうことですね……)
そういえば、今日は与えられた仕事が終わったら部屋で大人しくしているようにと言われていたことを思い出す。
気まずさしかなかった。




