閑話・ディランとクリス
ディランがうっかりエイヴリルの部屋で朝を迎えてしまい、その後も一日ずっと一緒に領主として仕事をした日の夜。
その日最後の予定の面会を終え、書斎に戻ったディランにクリスが告げてくる。
「ディラン様、今日はとてもよく捗ったかと。やはりエイヴリル様はさすがですね。ディラン様がご不在の際には領主代行を安心してお任せできるのでは」
「そうだな。能力だけでなく、周囲の人間にも愛されるタイプだ。実家で認められてこなかったのが本当に信じられないな」
「前公爵様がどう出るかは心配なところでしたが、最初の面会であれを演じられては、さすがの前公爵様も警戒されていることでしょう」
「「…………」」
二人は、前日の前公爵とエイヴリルの面会を思い出した。エイヴリルを値踏みしつつあわよくば引き入れようとする前公爵に対し、なぜか張り切って悪女を演じはじめたエイヴリル。
ディランは心配しつつ見守っていたものの、あまりにもありえない初手で躓いたのをみて助けずにはいられなくなったのだった。
このランチェスター公爵邸に妾たちが暮らす別棟がある限り、ディランは領地に落ち着く気はない。これまでのように年に数回は領地へ滞在するつもりでいるが、エイヴリルのことは王都で待たせる予定だった。
(前公爵に深くかかわらせる気はない。今回の滞在だけ面倒なことにならなければそれでいいはずだったんだが)
しかし賢い婚約者は、あのわずかなやり取りを見て父子の間にある確執が想像以上に根深いことを理解したのだろう。代替わりしたことも考え実権はこちらにあると周囲に印象付けるため、あの暴挙に出たのは想像に難くない。
ところが躊躇わずにカップを人に投げつけられるタイプではなかったので、あんなことになってしまった。ちょうどクリスも同じことを考えているようだった。
「……エイヴリル様、今回もミラクルを起こされていましたね。あの場面だけ切り取ってみれば、見事な悪女でした」
「前公爵が尻もちをついているのを見て少しだけ笑いたくなった。あの男に対してそんな気持ちになったのは初めてだ」
「いい兆候じゃないですか。ディラン様にお仕えするようになって、私も初めて聞きましたよ。ついでに、朝までお部屋で眠ってしまうとは。ディラン様が安らげる場所ができて本当に喜ばしいことですね」
「…………」
クリスはさらりと話しているが、ディランとは子どもの頃からの付き合いだ。事情をよく知る旧友からの言葉に、ディランはごほんと咳払いをする。
「前公爵については、エイヴリルは離れで何か聞いたのだろうな。でないと絶対おかしいだろう」
「そうでしょうね。……離れといえば、今回の滞在の目的からすればとっとと離れの人間一人一人から話を聞き、金の流れを洗いだせばいいはずですが、どうしてこんなに回りくどいことを?」
「……いや、初めはそのつもりだったんだが」
「が?」
わかっているくせに、あえて聞いてくる年下の側近が憎たらしい。けれど結果的に白状することになってしまう。
「彼女がとても楽しそうだったから、つい」
「あはは。ディラン様は本当にエイヴリル様に甘くていらっしゃる」
「それはお前たちもだろう? ここの使用人もじきにそうなるはずだ。前公爵がよりつかなくなりさえすれば、エイヴリルも悪女のふりはやめるだろう」
「だといいですけど。これまで、ランチェスター公爵家でエイヴリル様に絆されなかった方を知りませんね。……前公爵様が例外であることを祈るところです。面倒なことにならなければいいのですが」
それはディランも懸念するところだった。
「……とりあえず、明日、私1人で離れに顔を出す。領地入りしているのに、向こうにだけ行かないわけにいかないからな。エイヴリルにも明日は大人しくしておくように伝えておく。優秀な新人メイドの正体が次期公爵夫人だと知られるのはまだ早いだろう?」
「それがいいでしょうね。ご本人はもう離れに行かないつもりでいらっしゃるようですが、ここでの滞在はもう少しだけ長くなります。お姫様の楽しい時間を奪ってはかわいそうですから」




