27.ふたりの夜①
その日の夜、エイヴリルの滞在する客間の扉が叩かれた。顔を覗かせると、そこにはディランがいた。シャツにスラックスというラフな格好に、手にはブランデーのボトルとホットミルクがのったトレーを持っている。
「ディラン様! そのトレーは私がお持ちしますわ」
「エイヴリルはまだ実家での癖が抜けないのか。これは俺が自分で持ってきたんだ。その必要はない」
「!」
(またやってしまいました……)
婚約者らしく振る舞えていなかったことに気がついて恥ずかしくなる。
「本当は、これからディラン様のところにお伺いしたいと思っていたのです」
「俺のところへ? それはちょうどよかったな」
なぜかディランは上機嫌になる。窓際に置いてあるサイドテーブルにトレーを置くと、長椅子へと腰を下ろした。
エイヴリルはというと、どこに座ろうか少し迷った末に向かいのベッドの上に座る。長椅子の隣に座ってもいいが。少し距離が近い気がしたのだ。
ディランの言葉はすっかり砕けているし、自分のことを『俺』と呼んでいる。今日の仕事を終え、完全にプライベートな時間なのだろう。
少し薄暗いオレンジ色の灯りのなかに浮かぶ彼の顔には疲れが見えた。それもそのはず、久しぶりの領地での仕事は分刻みのスケジュールのようだった。
(時間があるのならお休みになるといいのに……わざわざ時間を作ってくださるなんて、ありがたいことです)
そんなことを考えながら眺めていると、ディランは思い出したように笑う。
「今朝は驚いたな。まさか前公爵を転がすとは」
「私もディラン様が悪女のお手伝いをしてくださったのに驚きました」
「あの男の前でカップを投げたのも、あの男が尻もちをついているのを見たのも、初めてかもしれないな」
それは、今朝、二人がディランの父に仕掛けた『悪女のふり』の振り返りだった。改めて思い返してみると、なかなかよいコラボだったのではないか。エイヴリルが愉悦に浸っていると、ディランはさらに続ける。
「あの男には関わりたくないから、ああいう感情的なやり取りは極力避けてきたんだ。だが、カップを前にぷるぷると戸惑う君を見ていたら、途端にあほらしくなった」
(……あほらしく?)
それは褒めているのだろうか。ほんのちょっと複雑な気持ちでディランの顔を覗き込めば、咎める様子は全くなくとても楽しそうである。これは『褒めている』で問題なさそうだった。
「ディラン様は本当に悪女がお好きだったのかもしれませんね」
「……それは……まあ、そうだな……」
『悪女のふり』から新境地を開いたらしいディランに安心したところで、エイヴリルは今日の報告を始めた。
「ディラン様。今日、メイドとしてテレーザ・パンネッラさんとお会いする機会がありました」
「! 例の彼女か」
「はい」
「俺も落ち着いたら会いに行こうと思っていたところだ。様子はどうだった?」
「それが……ちょっとおかしな様子がありまして。前公爵様からの贈り物をご紹介くださるということでお部屋のクローゼットの中を見せていただいたのですが、中に隠し扉のようなものが」
「そうか。もし麻薬取引と関わりがあるのなら、そこに何かが隠されているのだろう。……よく気がついたな」
「最近読んでいた悪女が活躍するミステリー小説に同じような仕掛けが」
ついわくわくして答えれば、ディランは苦笑してグラスを置く。
「仮面舞踏会の準備のためにダンスを習ったときといい、君はいつも本当に楽しそうだな」
「ディラン様はお忙しいですから。私は私にできることを精一杯頑張るだけです」
「できることの範囲の広さが異常なことに加えて、頑張るの意味が人とは少し違うようだが」
「まぁ。そうでしょうか?」
記憶力の良さはわかっているし使用人としてのスキルがあることも自分ではわかっているが、まさか頑張るの意味が違うとは。首を傾げたところで、ディランは真剣な表情になる。
「いくら代替わりしたと言っても、実情から言えば離れは前公爵のものだ。どんな口実で調査しようか考えていたんだがその必要は無くなりそうだな」
「国の名前を出した瞬間にテレーザ様は証拠を隠されるかランチェスター公爵家を巻き添えにする方向に動かれる可能性がありましたものね」
「ああ。今日の段階ではまだなにも警戒していなかっただろう。エイヴリルがメイドとして潜入していたからこそのお手柄だ。さすがだな」
めいっぱい褒められてしまったエイヴリルは、ほんの少し気まずさを感じつつにっこりと微笑む。
(ただ、間違われただけだったのですけれどね。これは内緒です)
紛らわしいクリーム色のドレスと、お嬢様の白魚のような手とはかけ離れた自分の手、なかなか話を聞いてくれないジェセニア、そして重曹に感謝したいところである。
エイヴリルが空になったホットミルクのカップを置くと、ちょうどディランのグラスも空になったところだった。随分と話し込んでいたことに気がついて立ち上がる。
「……グレイスが全然来ませんね。いつもなら、とっくに寝る支度のお手伝いをしにきてくれているはずなのに」
「気を遣っているんだろう」
「……なるほど?」
もしかして、グレイスは重要な任務の報告をしていることを察してくれているのだろうか。なんというできたメイドなのだ。エイヴリルが感心しているうちに、ディランはあるものに気がついたようだった。




