62.エピローグ
――それから数週間後。
エイヴリルとディランはアレクサンドラ・リンドバーグの招待を受けてリンドバーグ伯爵家に遊びに来ていた。
「コリンナ。モップをかけるときは、まず最短ルートを頭の中で計算するのですわ」
「うっさいわね。あんたって本当に余計なことばかり考えてるのね!?」
「短時間でお仕事を終わらせるための知恵だと言ってくださいな。リンドバーグ伯爵家はアリンガム家とは比べ物にならないほど広いですから、工夫しないと日が暮れてしまいます。まずお手本を見せますのでそのモップを貸してください!」
「嫌よ! 冗談でもやめて? そんなことをしたら堅物アレクサンドラ様に蹴り飛ばされるわ!」
サロンから見える廊下を掃除する妹・コリンナにエイヴリルはアドバイスを送るが、全く聞き入れてもらえる様子がない。残念である。
エイヴリルとコリンナの様子を眺めながら、ディランはアレクサンドラに問いかける。
「コリンナ・アリンガムは君の侍女として雇い入れたのではなかったのか?」
「少し厳しく指導をしましたら、十日もしないうちに音を上げましてよ。仕方がないから掃除メイドに降格したのですけれど、それでも全然使えませんのよ? 衣食住を奪って追い出さないだけ褒めていただきたいですわ」
「……アレクサンドラ・リンドバーグを敵に回してはいけないという社交界の噂は本当だったようだな」
「あら。エイヴリル・ランチェスター公爵夫人の足元にも及ばなくってよ?」
「……否定はできないな」
コリンナに掃除の手本を見せることを諦めたエイヴリルは、サロンに戻ってディランの隣に腰を下ろす。苦笑いで迎えてくれるディランと視線を合わせて微笑むと、それを見ていたアレクサンドラが満足そうにお茶を勧めてくれる。
「エイヴリル様。そういえば、キャロルとかいうメイドはどうしたのかしら? 最近姿を見ないようだけれど」
「旧アリンガム伯爵領でいいお仕事が見つかりましたので、暇を言い渡しましたわ。ご家族の側で暮らしていると手紙が届きました」
「それはよかったですわね。ご実家の没落に関しては私が言ってはいけないことでしょうけれど……混乱が少なくて本当によかったですわ」
アレクサンドラの言葉通り、コリンナがエイヴリルと入れ替わろうとした後、アリンガム伯爵家は没落した。
多額の借金が返済しきれなくなったことに加えて、法で認められた割合以上の領地を借金の担保にしていたことが明るみに出たのだ。しかも、件の結婚式には王太子・ローレンスが臨席していた。王家を欺こうとした罪は重かった。
けれど、シリル・ブランドナーが用意周到にしておいてくれたおかげで混乱は少なくすんだ。旧アリンガム伯爵領は担保の分だけリンドバーグ伯爵領となり、残りは王家のものとなった。
それから程なくして、エイヴリルの父親と継母は離縁した。
父親は旧領地の町外れにある小さな家に一人で暮らし、継母はコリンナを頼って王都に出てきているらしい。
美貌を利用して高齢の貴族の妾や第二夫人の座を狙っているという噂が流れていたが、アレクサンドラが手を回したようだ。いつの間にか、品のない噂は聞かなくなってしまった。
回想を終えたエイヴリルを前に、アレクサンドラは妖艶に微笑んだ。
「改めて行われるお二人の結婚式をとても楽しみにしていますわ」
「ありがとうございます。実家の没落などで一年も空いてしまいますが……アレクサンドラ様のお力添えもあって、準備がスムーズに進んでいます」
「ふふふ。誓いの口づけは頬や額ではなくて唇にするものでしてよ。大丈夫かしら」
「……!?!? そ、そんなことわかって、」
アレクサンドラからの思わぬアドバイスにエイヴリルは絶句した。
そして、隣ではディランが吹き出す気配がする。この件に関してはいろいろと申し訳ないエピソードがあるのだ。居た堪れなくて縮こまったエイヴリルを庇うように、ディランの手が自然と肩に回る。
「アレクサンドラ嬢、それ以上は勘弁してくれるか。うちのかわいい悪女にはまだ早すぎる話のようだ」
「は、早くは……!」
慌てて否定しつつ、隣のディランを見上げた。まるですべてを見透かすようなとびきり優しい視線に囚われて、だめだった。心臓が跳ね上がって息が詰まる。
「〜〜〜〜〜〜!」
「……これは無理ですわね」
「だろう? 温かく見守ってくれ」
アレクサンドラとディランの会話を頭の片隅で聞き流しつつ、エイヴリルは漸く息が吸えた。
自分を愛してくれる人の存在にやっと気がついたエイヴリルの幸せな毎日は、まだ始まったばかり。
一章はここでおわりです。
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