6.契約結婚、大歓迎です
そこには、驚くほどに容姿が整った青年が立っていた。エイヴリルよりも四~五歳年上だろうか。月光のような輝きを放つ銀髪に、淡く引き込まれそうな水色の瞳が美しい。
精悍な顔立ちと高い身長。決してがっしりとしてはいないのによく鍛えていると思われる体格は、これまでの人生でエイヴリルが会ったどの人にもなかったものだ。
そういえば、ランチェスター公爵領は暖かい地域にある。そこの海は、きっと彼の瞳のように透き通った水色なのではないだろうか。
(行ってみたい……)
エイヴリルが一瞬だけ意識を飛ばすと、目の前の美貌の男はごほんと咳ばらいをして声色を変えた。
「……噂通りだな」
「はい?」
「素行が悪いと聞いている。まぁ、だからこそ君を選んだのだが」
(いけないわ。南の島の海のことを考えていたら、ご挨拶が遅れてしまったわ)
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。エイヴリル・アリンガムと申します」
そう告げると、エイヴリルは淑女の礼をする。
いつしか家庭教師は来なくなってしまったけれど、エイヴリルの境遇に同情したコリンナの先生が「将来、あなたにはきっと外で活躍する機会があるわ」とこっそりいろいろなことを教えてくれた。
(ありがとうございます、コリンナの家庭教師・ハンナさん)
心の中で手を合わせていると、目の前の青年は『悪女・エイヴリル』の仕草にわずかに瞳を揺らしてから、自分は名乗らずに告げてきた。
「……話がある。このままついて来るんだ」
「……はい」
(この方は……このお屋敷にお勤めの方、かしら? いいえ、違うわ……)
違和感を覚えたものの、エイヴリルは大人しく従うことにした。
そうして、案内されたのは応接室だった。
メイドによって湯気の上がらないお茶が注がれるのを確認してから、エイヴリルはにっこりと微笑む。
「初めまして、ディラン・ランチェスター公爵閣下」
エイヴリルの言葉に、目の前の男は鋭い視線を向けてくる。そして、口の端だけを上げて不敵に笑った。
「……どうして私が公爵本人だと思った」
「はい。まもなく社交シーズンに入りますが、この時期ランチェスター公爵領では狩猟が解禁されます。狩猟がお好きな一族とお伺いしておりますので、致し方なくしぶしぶ嫌々止むを得ず、王都にいらっしゃる方が公爵家の主かと」
「……なるほど」
「社交は重視されないお家柄と聞いていますが、公爵家の品位を保ち王家の顔を立てるためのものでしたらお出ましになりますわよね」
「……君は話し好きだな」
「あら、ごめんなさい! つい」
エイヴリルはふふふ、と口元を押さえた。この物怖じしない性格を奥ゆかしさが足りないとする人間もいるけれど、自分では悪くないと思っている。
微笑みついでに、南の島の海の色をした瞳をまっすぐに見つめてみる。意外なことに鋭かった眼差しは消え、好奇を含んだものに変わっていた。
「そうか。……君は随分勉強したうえでやってきたのだな」
「ええ、まぁそのようなものです」
本当は元々知っていたことだけれど、目の前の公爵様の様子は聞いていたものと随分違う。必要以上は話さない方がいい気がして、エイヴリルは曖昧に相槌を打つ。
(辺境の地に住む好色家の老いぼれ公爵閣下、と伺っていたけれど、少なくとも老いぼれでも辺境の地でもないわ)
正直なところ、エイヴリルは噂通りであることを大いに期待していた。
さっきは華やかな王都に大興奮してしまったけれど、ずっと暮らしていくなら落ち着いた田舎町が好きだし、山も海も川も虫も動物その他不便さも大体問題はない。
好色家……外に愛人がいる父親ですっかり慣れっこだし、もしそれが『老いぼれ』ならただのラッキーでしかなかった。
(さようなら……私ののんびりした第二の人生……いえ、まだチャンスがあるのかしら)
実は、明日にでも辺境の地へ連れて行かれるのかもしれない。しかし、公爵様が控えめに見てもほぼ同世代なことは確定してしまった。そのほかの噂が本当なら、脱走一択である。その場合、支度金すらいらないかもしれない。
「思ったよりも話が通じそうで安心した」
「それはよかったですわ」
(公爵様は私が噂ほどではなくてよかったと安心しているみたいだけれど、私は噂通りの方でもよかったわ)
いつ脱走すべきか。エイヴリルの頭の中はそれだけで埋め尽くされている。だから、目の前の公爵様――ディラン・ランチェスターが告げてきた言葉を一度では信じられなかった。
「……これは、契約結婚だ」
彼は今何と言ったのだろうか。目を瞬くエイヴリルに、ディランは重ねて告げる。
「君には申し訳ないが、これは契約結婚だ」
「……契約結婚、でしょうか」
「君にはこの契約書に書いてある内容を履行してもらう。中身を要約すると、私と君は形だけの夫婦になる。そして、三年後には離縁する。その後は一生暮らしていけるだけの資産を譲るから、好きにするといい」
「……!」
(なんて素敵なの……!)
エイヴリルは思わず立ち上がった。
「はいありがとうございます!」
「……は?」
瞳をキラキラに輝かせたエイヴリルの反応があまりにも予想外だったのだろう。美しい顔立ちに困惑の色を浮かべるディランに、エイヴリルはさらに満面の笑みを向けた。
「その契約結婚、喜んでお引き受けいたしますわ」