10.
今日3回更新するうちの、3回目です。
ディランがエイヴリルを見つけてくれれば、エイヴリルはランチェスター公爵夫人に戻れる。そうすれば、ここに医師を手配し、ルイーズを助けることができるだろう。
(でも、それでは根本的な解決にはならないですね。彼女を、そしてここで働く女性たちを助けるにはどうしたらしいのでしょうか)
グラスに水を注ぎルイーズに渡すと、彼女はゴホゴホと苦しそうに咳をしてから、一口飲んだ。それから、何か聞きづらいことをためらうような、微妙な間を置いて聞いてくる。
「さっきの、男……。どう思った? 優しくていい人でしょ?」
「はい、とても」
エイヴリルが頷くと、ルイーズは不思議な顔で笑った。まるで涙を堪えていそうな笑みに、言葉が出てこない。
「あの方と出会ったのは十年前かな。それ以来ずっと客として通ってくれていたんだけど、最近では、私がこんなことになってしまったから、なかなか会えなくて。だけど、それでも顔を見にきてくれるのよね」
「……ルイーズさんのこと、すごく心配しておいででしたね」
「ふふ。優しい人なのよ。この世界に慣れていない女の子を見つけると、心配になっちゃうみたいで。十年前、私のこともそれで見つけてくれた」
「ですが、先ほどここでお話ししているレジスさんとルイーズさんは特別な関係に見えました」
そう告げると、ルイーズはうれしそうに笑う。
「十年来の同士よ。そう見えるかもしれないわね」
部屋は薄暗く、ベッドサイドの明かりだけが頼りの状態だ。けれど、その中でも、不健康に痩せているはずのルイーズの頬は幸せに染まって見えるような気がした。
さっき見た、レジスと一緒にいるときのルイーズも全く同じ表情をしていなかっただろうか。となると疑問が湧いてくる。
(ルイーズさんに、他に好きな人がいるというのは本当なのでしょうか)
さっきの二人の会話では、レジスがルイーズを愛人にするため、ベル・アムールから買い上げようとしたことがあるということだった。
しかし、ルイーズは他に好きな人がいるという理由で、申し入れを断ったのだという。
(ですが、このお二人の関係で、それはおかしなことのような気がします)
浮かんだ疑問を打ち消せず、困惑するばかりのエイヴリルがどんな疑問を持っているのかルイーズは察したらしい。観念したように力のない笑みを浮かべる。
「あのお方は、商家の跡取り息子なの」
ルイーズの言葉で、全ての辻褄があった気がした。レジスの世間体を考えて、彼女は本音を隠しているのだろう。エイヴリルは静かに微笑んだ。
「……人当たりが良くて、気配りができる素敵なお方ですね」
「彼、七年前に結婚して、すぐに離縁したと聞いたわ。家のために資産家の娘と結婚するとき、もう会えなくなるかもしれないと言われた。実際に、結婚している間はここへこなかったけれど、離縁したらすぐにまた通ってくれるようになった」
レジスのことを話すルイーズは饒舌だ。ついさっきまで体を起こすのもやっとだったとは思えないほどに楽しげで、二人がどんな関係なのか、詳しく聞かなくてもわかってしまう。
「ルイーズさんは、レジスさんのことを」
問いかけると、彼女はとうとう儚げにつぶやく。
「好きよ。愛しているわ」
その横顔は悲しいほどに美しい。けれど、後にどんな言葉が続くのかは想像がついた。
「あの方は家のためにいつかまた結婚しなければいけないというのに、私が愛人として買われて、何になるというのかしら。彼が結婚していたたった数ヶ月の間ですら、私はおかしくなりそうだったのに……彼の本妻と同じ家で暮らせるはずがないわ。だから断ったの」
「ルイーズさん……」
どんな言葉をかけたらいいのかわからず、エイヴリルは彼女の手を握った。細く華奢な手には骨が浮き出ている。
(ランチェスター公爵家で前公爵様が所有していた『別棟』の解体に伴い、たくさんの愛人の方々が家を出ていくことになりましたが、あのときは大きなトラブルはありませんでした)
その理由は、ブランドンの愛人たちが皆完全に割り切っていたからだ。
皆、別棟で暮らすことをいわば職業のようなものだと割り切っていて、ブランドン本人にもランチェスター公爵家の財産にも執着しなかった。
それは、愛人たちの性質もあったのだろうが、ブランドンが遊び上手であまり依存されないように計算していたことも理由にあるような気がした。
だが、今回の話はそういうことではないようだ。
「だから、他に好きな人がいると嘘をついているのですね」
「ええ。それに、どうせ病気だもの。今すぐにどうこうはならないだろうけれど、お金もないしお先は真っ暗だわ。もし正気を保っていられるほうの病だったとしても、私と彼は別世界の人間なの」
「……」
そんな悲しいことは言わないでほしい、なんて言葉はエイヴリルには軽々しく言えなかった。
ほぼ部外者の立場にいて十一区の実情すら知らず、ただ大人しくディランの助けを待っている自分が何を言っても、それは綺麗ごとなのだ。
(ルイーズさんと、ここで働く皆様の状況を変えるにはどうしたらいいのでしょう)
考え込んでいるエイヴリルが、返す言葉もないのだと勘違いしているらしいルイーズは気遣うように笑う。
「でもね。たとえもし、病気が治ったとしても、私たちに行くところはないのよ。愛人生活を受け入れることにしたとしても、その男に捨てられたら終わりだもの」
「こちらで働く皆さんは、美貌のほかに教養もあると伺いましたが」
暗に、捨てられても自力で生きていく手段があるのでは、と問いかけると、彼女は息を吐く。
「それも他の店に比べたらの話。読み書きができるのは半分、外で別の仕事につける可能性があるのはその中の一握り。それはもちろん私じゃない」
「……」
ルイーズの言葉を聞きながら、エイヴリルは傍らの空になったパン粥の皿を見る。
きれいに完食された食器。こんなに弱っているのに、どれだけ大変だったことだろう。
それは、ルイーズが本心を言っていないことを物語っていた。
シリアスなシーンをまとめて投稿してしまいたかったので、今回は1日に3回更新しています。
次話は明日(1/6)の20時に更新します。




