9.
今日3回更新するうちの2回目です。
そうして、レジスは十一区で働く女性たちのあまりにも酷い労働環境を説明してくれた。
女性の多くは十代半ばでここに売られ、過酷な労働環境と職務内容を原因とした病にかかり、命を落とすことが多いこと。
また、女性たちの行動は全てが管理されていて、外出はおろか買い物、医者に診てもらうことまで娼館を通さないとできないこと。レジスもルイーズのために医師を何度も手配しているが、その度に法外な報酬を吹っかけられ、定期的な治療が難しいらしい。
その価格は市価の三〜四倍。店から借りられるドレスは一枚だけで、着替えや身の回りの品は全部自分で揃えないといけない。そのため、どんなに稼いでも借金を完済することはほぼ不可能であること。
あるいは無事に自由の身になれたところで、安定した職業につくことが難しく、生きてはいけず同じような世界に再び入る女性もいるらしいこと。
どれもこれまでにエイヴリルが決して知ることはなかった、過酷な事情だった。
レジスの話の後、絶句したエイヴリルを見てルイーズは「あんた、本当に何も知らないでここで働いてるのね? 事情があってここに来たんだとは思うけど、びっくりだわ」と目を丸くした。
その言い方は、エイヴリルを馬鹿にしているものではなかった。彼女は、何か眩しいものを見るような、優しく、けれど同情しているような眼差しを向けてくる。
それから儚く笑う。
「私、ここしばらくずっと働けなくなっているけれど、この部屋にもお金を払ってるのよ。借金がいくらに膨らんでいるのか考えるのも嫌なくらいだわ。でも、ロラさんはこの赤い斑点が消えるまでは店に出るなって脅すし」
「赤い斑点?」
「そうこれ」
ルイーズが指さしたのは、体のあちこちに見えている赤い斑点だった。
「ここで働く娼婦がかかる赤い斑点が出る病気には二種類あるのよ。一つは、そのうちただ体が弱っていくだけの病。もう一つは、いつの間にか人としての自分を失ってしまう病。……私はどちらなのかしらね」
こわばった表情に、彼女が抱えている恐怖を知る。エイヴリルは十一区のことは何一つ知らなかった。
それでも、この部屋と、手付かずの朝食と、痩せこけて真っ青なルイーズの顔を見たら、この世界が思っていた以上に暗いことは容易に想像できた。
黙り込んでしまったエイヴリルを見て、隣で話を聞いていたレジスは気遣うように笑う。
「ルイーズのことは、僕がなんとかしたいんだけどな。前に、ここから出して愛人にする話をしたら、こっぴどく振られてしまったよ。ここから出さえすればいくらでも治療を受けられるのに」
「残念だけど、私はあなたよりもずっとずっと好きな人がいるの。そのお方が私を買い上げたいと言ってくださるまでは店に復帰し続けるわよ」
「いつもこの調子で振られてしまう。……だけど、その調子だ」
レジスは苦笑を浮かべると、ルイーズのおでこにキスをした。隣でそれを見つめるエイヴリルは、何だか不思議な気持ちになる。
エイヴリルにも少しだけ覚えのある親愛のキス。ディランが同じことをしてくれるときは、自分はこの人に愛されているのだ、と幸せを感じるものだ。
(でも、他に好きな人がいるという、ルイーズさんの言葉は本当なのでしょうか?)
僅かに潤んだ瞳で同じキスを受け入れるルイーズ。
儚げな彼女が浮かべている優しい表情は、エイヴリルの母親によく似ている気がする。母とは別人だとわかっているのに、彼女が幸せでいてほしいと自然に願ってしまう。
エイヴリルには、ルイーズにはレジスよりもずっとずっと好きな人がいるようには、決して見えないのだった。
その日。レジスが早々と帰っていくのを見送ったエイヴリルは、厨房に入って芋を揚げ続けた。
途中でコリンナがまた今日一番の売上を叩き出したという話が飛び込んできたが、今日は無邪気に称賛する気にはなれない。
ざわざわとするベル・アムールの空気を感じながら、余ったパンとミルクを使ってルイーズにパン粥を作り、暇ができたのを確認してこっそり従業員用の宿舎へと向かう。
ベル・アムールは営業中ということもあり、宿舎内に人の気配はなかった。
「ルイーズさん、失礼いたします」
扉をノックして部屋に入れば、ルイーズは横たわったまま僅かな明かりで本を見つめていた。
「……ルイーズさん?」
「……あら、あんた」
弱々しい視線をこちらに向けたルイーズは、手を伸ばしてベッドサイドの明かりを強めた。
「また来たの?」
「はい、パン粥を作ってきました。余ったパンと半端野菜を使っているので、食材が減っていることは気づかれないと思います。だから私がロラさんに叱られることはありませんので、安心して召し上がってください」
ニコニコと笑い、エイヴリルは部屋の中に入った。
ベッドサイドの椅子に座り、パン粥の器を差し出せば、戸惑っていたように見えるルイーズはゆっくりと体を起こす。あまりにも頼りない様子に、あわてて体を支えた。
(軽いです……)
細く軽すぎる体に、かつての母の姿が蘇った。
(お母様の背中をこうして支えたことがあった気がします。もちろん、幼い私の手では足りませんでしたが)
大好きなあの背中をもっとしっかり支えてあげたかった。
大きくなった今ならばできるのに。
そんなことを考えていると、ルイーズはゆっくりとパン粥を食べ始める。
「ありがと……いただくわ」
彼女は見るからに衰弱していて、食事がとれなくてもおかしくないぐらいに見える。
このパン粥もそれを予想してかなり柔らかく煮込んである。それでも、ほとんど食べられなくても仕方がないと思っていた。
けれど、意外なことにルイーズは時間をかけてしっかりと全部食べ切ったのだった。
じっと見ていたエイヴリルは、目を瞬く。
(以前、物語で読んだことがあります。病の人にとって、食べることは生きる意思に違いないと)
エイヴリルの母も、何時間もかけて食事をとっていたことを思い出す。母に似ている。そう思うと、この人を放っておけないという強い感情が湧いてくる。
自然とその考えは浮かび上がってきた。
(私がここを脱出できたら、ルイーズさんを助けられるでしょうか)
次話は今日の21時に更新します。




