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「昨日、あんたが行方不明になったのは、大部屋を与えられたことが不満だったんだろう? それなら、五階の一番奥、女帝専用の部屋を与えてやるよ。客引きや、余計な業務はしなくていい。サロンに顔を出す必要もない。だから、お願いだから稼いどくれ。この通りだ」
「いえ⁉︎」
つい数秒前まで殺されるかもしれないと思っていたエイヴリルは目を瞬くばかりだ。
(私はこの一日、ただお掃除と洗濯と厨房の手伝いをしていただけなのですが、なぜこんなことになったのでしょうか……⁉︎)
全く心当たりがないエイヴリルだったが、ロラは諦めない。
「すっとぼけても無駄だよ。今朝、新聞を配ってくれたんだろう? それぞれの訛りにあわせて、複数の地方紙まで選別して配り、手紙も親展以外は開封して、重要度順に並べて置いただろう。ここにはそんな気遣いと教養を持った人間はいないんだよ。それを見てあたしは確信したんだ。さすがお貴族様の教養を持つ悪女だ、ってね」
「いえ、私は」
もうほとんどまともに喋ることすらできないエイヴリルに、ロラはだめ押しする。
「頼んだよ。この『ベル・アムール』もこう見えて経営が楽じゃないんだ。……ただ、好きにさせてあげるけど、逃げたら殺すからね。逃げなければ好きにしていい、それだけの話だ」
ロラは本気で頼み込む姿勢を崩さなかったものの、最後はものすごく物騒な言葉で締め、奥のバックヤードへと入っていってしまった。
あらゆる誤解と不運が絡み合っている。自分の身に起きたことが信じられない。
(もう何もわかりません……⁉︎)
呆然としているエイヴリルに、話を聞いていた一人の娼婦がくすくすと微笑む。今朝の大部屋では見なかった、特に質の良いドレスを身に纏った淑女である。
「五階の一番奥、ね。とんでもない新人さんが入ったものだわ。お手なみ拝見といきましょうか?」
「え……?」
彼女はたおやかな所作で近づき、小声で教えてくれた。
「五階はね、この『ベル・アムール』でも特に人気の高い高級娼婦に与えられる個人的な私室なのよ。五階に部屋を持つ娼婦は、一晩で下級貴族の一ヶ月分の収入を稼ぐこともあるわ」
「⁉︎ 一晩で一ヶ月分……⁉︎」
「そう。期待してるわね」
彼女はエイヴリルの肩をぽんと叩いて去っていく。軽やかで上品な身のこなしが眩しい。
きっと、ここでの『高級娼婦』とは彼女のような存在を指す言葉なのだろう。しかし、エイヴリルには無理だ。何もかも無理である。
そうこうしているうちに、呆然としているエイヴリルの元へ金色の鍵が届けられてしまった。何やら豪華な形をしたその鍵は、明らかに他の部屋の鍵と違う。特別なものなのだと一目でわかる。
(本当に、私にここで……大人の恋愛を……⁉︎)
鍵の重さが恐ろしく、震えるばかりだ。こうなったら、殺されるのを覚悟で、高貴そうな客に身元を明かし、助けてもらえることに賭けるしかない。
エイヴリルがここで提供する大人の恋愛については満足してもらえなくても、エイヴリルがうっかり築いた財産と、この娼館に出入りしていたことを口止めする約束を引っ提げて土下座すれば、誰かが助けてくれるのではないだろうか。そう信じたい。
そんなことを考えているうちに、気がつけば時間が経っていた。
いつの間にか、エイヴリルは『ベル・アムール』専属の髪結い師に髪を整えられ、濃いめのメイクを施され、淡いピンクのドレスを着せられていた。
ヘアメイクで元々の顔立ちがよくわからなくなってはいるが、意外なことに、ドレスの露出はあまり多くなかった。せいぜい夜会で着るドレスと同じぐらいのものだ。
これなら、落ち着いていられるかもしれない、と安堵する。誰が選んでくれたのかと思えば、洗濯室で一緒になった同僚だった。
そのうえ、彼女は「訳ありっぽいのに突き出してごめん。でも、あたしも殺されたくないからさ」と言いながら、少し開きすぎたデコルテの生地を詰めて、エイヴリルの胸元を隠すのを手伝ってくれた。ありがたい。
(とんでもない場所に売られてしまったのですが、それでも悪い人ばかりではないですね)
洗濯室での出会いに感謝していると、外は夕暮れになりつつあった。
娼館に売られて二日目。
こうして、エイヴリルはしぶしぶ、営業が始まったサロンへと顔を出すことになってしまったのだった。




