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無能才女は悪女になりたい~義妹の身代わりで嫁いだ令嬢、公爵様の溺愛に気づかない~(WEB版)  作者: 一分咲
五章

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39.

 笑い 続ける紳士の姿に、ガラス扉越しの大広間の中の人々も気がつき始めたようだ。


「だ、大丈夫でしょうか……? 何かお飲み物を」


 むせそうな勢いの紳士のためにサミュエルに目配せをする。かわいい付き人がバルコニーから大広間内に戻ろうとしたところで、紳士はやっと手すりから顔を上げた。


「ありがとう。だが大丈夫だよ。君なら気がついているかもしれないが、マルティナは野心あふれる義理の息子――娘の夫によって差し向けられた刺客だったんだ。あのおっとりとしたマルティナには向いていないからやめろって止めたんだけどな」

「なるほど?」


 相槌を打ちながら、エイヴリルは頭の中にマルティナのロンサール伯爵家周辺の家系図を呼び起こした。


(ロンサール伯爵夫人は王家の血を引くお家の出だったはずです。ええと、家名は……ゴンドラン公爵家ですね? ゴンドラン公……えっ!)


 目の前の紳士の正体がやっとわかってしまった。今日、ディランが目的としている王位継承権を持つ王族の一人である。


 ぱちぱちと目を瞬くばかりのエイヴリルに、ゴンドラン公は威厳のある笑みを見せた。エイヴリルが自分の正体に気がついたことを把握したのだろう。


「あの王太子夫妻は切れ者なんだが、何を考えているかわからなくてね……。向こうも私のことなど歯牙にも掛けないだろうから、流行病での疲弊を理由に王位継承権を辞退したんだが、義理の息子はキャンキャン騒いでかわいいマルティナに悪女のふりをさせようとするし、ほとほと困り果てていたんだよ」


 彼の説明からは、一旦王位継承権を辞退したものの、マルティナの父親の振る舞いに困っているということが伝わってきた。と同時に、ローレンスとアレクサンドラの人間性を計りかねているのもわかる。


 事態をすべて把握したエイヴリルは首を傾げた。


「では、もし王太子夫妻が信頼に足る人物なら、王位継承権を辞退する必要はありませんよね……?」

「ああ。そういうことになるかな、それで、噂の悪女さんに実際のところはどうなのか、話を聞こうと思ってこの夜会に参加したんだ。……君も似たようなものだろう、ディラン・ランチェスター公爵閣下?」


 唐突に呼ばれた夫の名前に、エイヴリルは振り向く。そこには、夫の姿があった。上品で笑い上戸の紳士の正体を知ってしまえば、クリスが呼んできてくれたのだとわかる。


「ゴンドラン公、ご無沙汰しております」

「堅苦しい挨拶はなしだよ。私は今日はお忍びでの参加だからね」


 茶目っ気のある笑みに、ディランが恭しく会釈をした。けれど、ゴンドラン公は片手でそれを制する。


「せっかく来てもらったところだけど、もう話は終わったんだ」


(何ということでしょう⁉︎ せっかくこんなにたくさんの説得の時間があったのに、私が気づかなかったばかりに……!)


 顔がわからない相手で、しかも平服に近い服装、名乗ってももらえない。この情報で彼が誰なのか導けたら凄すぎる域ではある。けれど、またとない機会を逃してしまい、凹むしかないエイヴリルに紳士は言った。


「わざわざ噂の悪女さんに話を聞きに来たのは、マルティナのお茶会での話を聞いて、王太子夫妻――新国王夫妻には見所があるかもしれないと思ったからなんだよ」


 神妙に話を聞いていたディランの表情が変わる。


「それは――」

「王位継承権の返上については、もう一度国王陛下と相談する。マルティナのように、ランチェスター公に無理やり近づかされる淑女を減らすためにもね」

「「!」」


 エイヴリルとディランは同時に息を呑んだ。


(つまり、王太子への指名について、ゴンドラン公に再考していただけるということでしょうか?)


 感動するエイヴリルの前、紳士はバルコニーの手すりを離すと、大広間の会場内へと戻っていく。目立たない平服なのに、どこか目を引く高貴さはここへ来たときと全く変わらない。


 そしてバルコニーを完全に出る直前で、思い出したようにエイヴリルを見てクスリと笑う。


「マルティナもだけど、君も悪女には向いてないと思うよ」

「え」


 初めてそんなことを言われてしまった。少なからずショックを受けているエイヴリルに、ゴンドラン公は笑って続けるのだった。


「君は悪女には向いてないけど、傾国にはなれそうだね。すぐに王太子になることは避けられても、ランチェスター公爵家に王位継承順位が振られることは変わらない。まあ、とにかくいろいろ大変だろうけど頑張って」

「……はい?」


 ゴンドラン公を見送るエイヴリルは、ぷるぷると震えながらディランを見上げる。


「私が、悪女に向いていないと……?」

「ショックを受けるのはそっちか」

「向いていないのは何となくわかっていましたが、誰かに言われたのが初めてで動揺がすごいです」

「大丈夫、俺とサミュエルはそんなこと思っていないよ」


 その言葉に、弾かれるようにサミュエルを見る。かわいい行儀見習いは、力強く頷いてくれた。気を遣っているとは思いたくない。


 そこで、一歩引いて一部始終を見ていたクリスが囁くのだった。


「エイヴリル様とサミュエル。悪女としもべではなく、家庭教師と生徒みたいでしたね」

「⁉︎」


 エイヴリルの間抜けな声は、夜空に溶けていったのだった。


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