37.
一方 、先日王位継承権を辞退したスミュール公に声をかけたディランだったが、思わぬ伏兵に苦戦していた。
それは、スミュール公が連れていた孫娘である。スミュール公と話がしたかったのだが、孫娘はなぜか二人の側を離れず、一心にディランに話しかけてくる。そして、スミュール公もかわいい孫娘の一生懸命な姿に目を細めるばかりだった。
「先ほど、奥様――ランチェスター公爵夫人をお見かけしましたわ」
「そうですか」
上品な笑みで応じるディランに、社交デビューしたばかりと思われる孫娘は、年齢に似合わない意地の悪い笑みを浮かべた。
「ブランドナー侯爵家のフェルナン様と何やら親密にお話になっていましたわ。お名前もファーストネームで呼び合って」
「ああ見えて、妻は社交に慣れていますから。信頼して任せています」
正直なところ、まだ少女としか呼べない彼女の言動に不快さは感じる。けれど今はそれどころではないとわかっているディランは、完璧な笑みを浮かべるだけだ。
すると、孫娘は頬を染めてため息を吐く。
「奥様が社交に慣れているというお噂はお聞きしておりますわ。ディラン・ランチェスター公爵様がそれを許して、あまつさえそのような女性が好きだというふうに振る舞って差し上げていることも知っております」
スミュール公も孫娘の振る舞いを咎めることはなく、むしろ肯定するように頷く。
「実は、孫娘はランチェスター公爵の評判に胸を痛めておりましてね。見目麗しく名声も上がりつつある美青年が、『悪女を好きだ』と言われていることが悲しいようですな。ははは」
「……なるほど」
目の前の、どうしようもない自分の父親より一回りほど年上に見えるスミュール公に、ディランは引き続き社交の笑みで応じる。この孫娘をものすごくかわいがっていて、目に入れても痛くない様子に気が遠くなりそうだ。
(この場で、彼女の振る舞いを止められない、むしろ止める気もない……となると、ローレンスは彼に王位継承権がある状態にしておきたくない、が正解なんだろうな)
元々、スミュール公が切れ者だという評判を聞いたことはない。けれど、それなりに教育を受けてふさわしい場所で育ってきていれば、自ずと立場に追いついた人間になるはずだ。
しかしその上でこれだ。ローレンスは彼に対して『完全に資質に欠ける』と判断したのだろう。そもそも、この彼が王位継承権を返上することを自分で思いつき決断するだろうか。その段階から、逆な気がした。
(国王陛下が返上させた、が正しいか)
ランチェスター公爵家は社交嫌いで知られる家柄だ。ディランもエイヴリルと出会うまでは、必要最低限しか社交の場には出なかった。今初めてスミュール公の真実の姿を目の当たりにし、困惑するばかりである。
(あのローレンスだって、徒に争いの種を蒔くことは避けたいはずだ。となると、他の二人の候補者も似たようなものなのか)
頭が痛くなってきた。そのついでに、また孫娘からの余計な言葉が聞こえてくる。
「ブランドナー侯爵家のフェルナン様と奥方様、本当にお似合いでしたわ。プレイボーイと王都を騒がせる悪女ですものね。……ねえ、ディラン様も少し遊ばれてはいかがです? 私、お相手になって差し上げても……」
社交モードでどんなことがあっても揺らがない仮面を被っていたはずなのに、あらゆる面で苛立ったディランはつい本音を溢してしまうのだった。
「その悪女を一番愛しているのは私だ。勘違いしないでいただきたいな」
「……っ」
これまでの人生でほとんど叱られたことがなかったであろう目の前の少女が、一瞬で顔を白くして息を呑むのが見える。
尚、スミュール公はそのことにすら気が付かなかった。
◇
一方、ディランともフェルナンとも離れたエイヴリルは、涼むために出たテラスで不思議な紳士と会話を弾ませていた。
相手は、ディランの父ブランドンと同じぐらいの年齢の紳士である。ブランドンと決定的に違うのは、彼からは清潔感と上品さが滲み出ていることだろう。
けれど、不思議なことに彼はこの会場にいる皆のように盛装をしていない。せいぜい街へ食事に出かけるとき程度の服装で、グラスを片手に穏やかに話している。
なぜこんなことになっているのかというと、彼は、エイヴリルが連れているサミュエルに目を留めて声をかけてきたのだった。紳士は上機嫌でグラスを呷る。
「そこの、お噂の悪女さんが連れているのはブランドナー侯爵家の五男、サミュエル殿かな?」
「はい。私の大切な友人……ではなく、しもべですわ」
「しもべかぁ。はっはっは」
悪女として扱ってもらったので、ディランからもらっている助言の通り、その通りに振る舞ってみたのだが豪快に笑われてしまった。けれど、彼はそれでもどこか上品だ。
快活で高らかに笑っても、ここが繁華街のバーとは思えない。どうしたって、大広間で開催される格式高い夜会なのだ。
(この方はどなたでしょうか……)
いつもお読みいただきありがとうございます!
『このライトノベルがすごい!2026』で本作も投票対象作品になっています。
一人十作品の投票が可能ということなので、もし本作をお楽しみいただけていたら、その中の一つに入れていただけるとうれしいです。
投票はこちらから↓
https://konorano2026.oriminart.com




