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「あ、お兄様」
サミュエルの声に振り向くと、少し離れたところでフェルナンが貴族たちの輪の中にいるのが見えた。
王宮では令嬢たちに囲まれている姿を見ることが多いが、今日はいつもと違った姿だ。ランチェスター公爵領の音楽祭を訪れたのと同じように、今日は後継としての役割を演じているのだろう。
それを見つめたエイヴリルは、プレイボーイとしての彼を知っているのに感心する。
「今日はブランドナー侯爵家主催の夜会です。お家を継がれるフェルナン様はお忙しいことでしょうね。お顔の使い分けが見事です」
「はい。いつも、こういう日はほとんど兄上とお話しする機会がありませんでしたし、あまりにも表情が違うので、兄上が二人いるのではと思ったことが何度もあります」
「サミュエルのお兄様は少し不思議な方ですよね……」
初対面の日以来、いろいろとフェルナンに絡まれ続けてきたエイヴリルだったが、実は最近、少し印象が変わりつつあるのだ。
(ここのところ、ほぼ毎日フェルナン様に遭遇するのですが、初対面のときと少しイメージが違うのですよね)
その所感の説明には、ここのところのエイヴリルを取り巻く状況の変化も関係していた。
先日、マルティナが乱入したティータイムで実感したように、ランチェスター公爵に近づきたい者が増えているのは事実だった。そして、それはアレクサンドラの話し相手として王宮に出入りしているエイヴリルにも自ずと関わってくる。
現に、王宮内を歩いていると、ランチェスター公に悪女は相応しくないと教え諭されることが出てきていた。誰からの依頼で動いているのかまではわからないが、何らかの思惑に巻き込まれそうになっていることは確実だった。
加えてサミュエルの推察によると、悪女なのに次期王妃の話し相手に抜擢されたエイヴリルは女官たちの目の敵になっているようだ。それもまた、状況を面倒にしていた。
(お気持ちはわかります。王妃陛下のように特別な方の話し相手というのは、長い下積み期間を経て主人に信頼され、やっと手にできる地位であることも少なくありませんから)
ぽっと出のエイヴリルが恨まれるのは仕方がないことだとは思う。
けれど、実家で家族から冷遇されていたエイヴリルに、王宮勤めの女官たちの上品で遠回しな嫌がらせはあまり効果がないのも事実だった。ここで、フェルナンが登場するのだ。
この前も、アレクサンドラの部屋での勤めを終え、王宮を後にしようとしたエイヴリルの前に数人の女官が立ち塞がった。
「こちらの門は王族方専用の門です」
と言って、昨日は問題なく使えたはずの門を封鎖されてしまい、エイヴリルとサミュエルは素直に別の門を目指したのだが、次に辿り着いたほかの門も「部外者の方にはお使いいただけません」と封鎖されてしまった。
にやにやとこちらを見つめる女官たちの中、「それなら、またほかの門を探します、部外者でも通れる門をアレクサンドラ様に伺ってきましょう」と微笑んだところで、あっさり形勢逆転である。
エイヴリルが泣くか喚くかすると思っていた女官たちの、戦慄と困惑を感じたところで、偶然フェルナンが通りかかった。
女官たちに囲まれるエイヴリルを見た彼は、状況をすぐに察したらしい。彼女たちに親密な距離感で話しかけ、女官たちが頬を染めてくすくすと笑った数秒後、部外者のためには開かないはずだった門があっさりと開いたのだった。
去っていく女官たちに手を振り終えたフェルナンは苦笑する。
「――この門、部外者でも使える門のはずなんだけど」
「はい、そのようですね。私も登城した際に通りました」
微笑んで答えると、フェルナンは意外そうに目を瞠る。
「それなら、どうしてそれを言わない? 明らかに君への虐めじゃないか」
「サミュエルを巻き込んでしまったことは申し訳ありません。ですが、どうせここで戦ったとしても、結局門は開けていただけないでしょうし、加えて私が騒ぎ立てることは、彼女たちの思い通りになるわけではあるのですよね……それなら、受け入れてほかの手段を探したほうがいいです」
エイヴリルの言葉に、フェルナンは感心した様子だった。
「君は見かけによらず、結構策略的なんだね」
「今のランチェスター公爵家の立ち位置を考えたら、こういったことがエスカレートする前にアレクサンドラ様からお話しいただいて諦めていただくほうがいいのかと。虎の威を借ることは好きではないですが……それがあの女官の方々にとっても利益になりますから」
彼女たちの職場での立ち位置まで考えての振る舞いだったことを示すと、フェルナンは本気で驚いたようだった。
顔を引き攣らせてこちらを見てくる。
「……もしかして、音楽祭であまりにも絡んでくる私に、君が演奏をさせるように仕向けたところまで全部計算済みだった?」
「え?」
王宮に閉じ込めて帰さない構えの女官たちに対して考えをめぐらせたのは事実だが、音楽祭でのエイヴリルはさすがにそこまで余裕がなかった。ただ、女主人としてあの場がなんとか収まるよう必死で流れに身を任せただけである。
けれど、勝手に納得したらしいフェルナンは笑った。
「そうか。さすが、あのディラン・ランチェスターが夢中になるだけはあるね。周囲を振り回す悪女でありながら、賢く聡明だ」
「いえ、あの?」
どうしていきなりこんな話になったのか。困惑するエイヴリルに、フェルナンは一歩近づこうとする。すると、サミュエルが間に立ち塞がるのだった。
「兄上、ランチェスター公爵夫人にそれ以上の距離感で接してはなりません」
「ん?」
視線を落としたフェルナンに、サミュエルはきっぱりと告げる。
「エイヴリル様は僕が仕える公爵家の女主人です。誤解を生むような、必要以上の親密さでお話しすることは控えてください」
(サミュエル……!)
一緒に過ごして半年近くもすれば、サミュエルの行儀見習いとしての姿も板についてくる。成長を目の当たりにして感無量だ。
そして、それは末弟のサミュエルと十年間を過ごしてきたフェルナンにとっても、うれしい出来事のようだった。末弟に視線を合わせた彼は、慇懃に謝罪をするのだった。
「これは、申し訳ございませんでした」
回想を終えたエイヴリルは、フェルナンへの印象について考える。
(フェルナン様は、悪い方ではないのですよね。サミュエルにとってはいいお兄様のようですし。女性との距離の取り方がおかしいだけで……私を助けてくださることも多いです)




