33.
エイヴリルが頬を染める一方で、マルティナは食い下がった。
「で、ですが、どんなに愛する人がいても、お一人では満足されないケースも多いと」
「そ、そうなのですか……?」
初耳だった。ショックを受けて思わずマルティナに問いを返せば、彼女は神妙に頷く。
「はい。父がそんなことを言っていましたわ。毎日同じ顔を見ていれば飽きるものだ、と。新鮮さを求めるそうです。」
「まあ……」
前公爵、父親、コリンナの遊び相手たち。そしてさっき会ったフェルナンの顔が思い浮かぶ。
言われてみれば、そういうものなのかもしれない。思えば、エイヴリルも音楽祭で似たようなことを実感したのだ。ディランが愛人を持たないのは恵まれたことではないのか、と。
エイヴリルは蒼くなった。
「そのお考え、納得するところではあります。先ほどお会いしたフェルナン・ブランドナー様はたくさんの恋人がいらっしゃると伺いました。婚約者がいらっしゃって、その上でほかの方とも遊びたいと」
「ということはやはり、私にもまだ望みはありますでしょうか……?」
「たぶん……?」
マルティナの言葉に思わず首を傾げると、サミュエルが遠慮がちに聞いてくる。
「エイヴリル様、濃いめの紅茶かレモンを絞った果実水をリクエストしましょうか。気分がすっきりして、頭の中がクリアになりますよ」
「大丈夫です、サミュエル。私は正気ですから」
「かしこまりました。では、スパイスが効いたお菓子にしましょう。僕が厨房に伺っていただいてきますね」
「それがよさそうね。なるべく早くよ」
サミュエルが付き人らしく頷いて椅子から下り、アレクサンドラが顔を引き攣らせてそれを肯定したところで。
「――私の妻は何の話をしているんだ?」
頭上で響いた低く甘い声に、エイヴリルは目を瞬いた。
「ディ、ディラン様……⁉︎ どうしてここに!」
「予定が早く終わったから、迎えに来たんだ。……アレクサンドラ嬢、妻が何かご迷惑をおかけしましたでしょうか」
王宮に到着した後、別行動していたはずのディランがなぜかいる。エイヴリルの肩に手を置き、アレクサンドラに向けて謝罪をするディランに、この場の主はにっこりと微笑んだ。
「いいえ。ちょうど、ものすごく楽しませていただいていたところでしてよ。この王宮にいると毎日退屈ですの。けれど、エイヴリル様をお呼びすると飽きることがなくていいですわ」
一方、お菓子をもらいに行こうとしていたサミュエルは、ディランを見てほっとした様子でまた席に着く。それからおずおずと報告をはじめた。
「旦那様。エイヴリル様に、もう少し説明をされたほうがいいかと存じます。プレイボーイの兄に影響されてしまい……その上、次期王妃陛下がお相手では歯が立たず……申し訳ありません」
謝罪を述べるサミュエルを目の当たりにしたディランは、苦笑を浮かべた。
「アレクサンドラ嬢。あまり妻を揶揄わないでもらいたいな」
「「妻」」
エイヴリルとマルティナの声が重なった。頭の上から降ってくるディランの声音がなんだかものすごく甘い。その響きを聞くだけで、頬が熱を持つのを隠せないほどだ。
ディランはマルティナに視線を向ける。
「私は、このように妻の掌の上で転がされているだけの存在だ。こんなに愛しているのに、彼女はつかみどころがない。飽きる暇などないな」
「は、は、はっはい……」
ディランから漏れ伝わる色気がすごい。初対面にも関わらず、それをしっかり浴びてしまったマルティナは、顔を真っ赤にしてぶるぶる震え、目を潤ませている。ちなみに、エイヴリルも似たようなものだった。
とうとうマルティナは席から立ち上がると、震える声を絞り出す。
「も、も、も、申し訳ございませんでしたっ……!」
「マルティナ様……⁉︎」
おろおろとする侍女を伴い、走り去っていく彼女をエイヴリルは呆然とした気持ちで見つめる。
このわずかな間に、マルティナとエイヴリルの間には同志のような感情が芽生えていた。正直なところ、ディランの色気に対抗する仲間がいなくなってしまって、心細い。
(ディラン様にこんなふうに言っていただけてうれしいですが、あらためて言葉にされると心臓がもたないような)
ドキドキとうるさい心臓を両手で押さえていると、その姿を見ていたアレクサンドラが楽しそうに笑った。
「新婚のランチェスター公爵夫妻には、貴重な時間を奪ってしまって申し訳ないと思っていましたの。ですが、その結果いつまでも初々しい様子で、こちらの気持ちが洗われますわ」
「私のことも揶揄わないでもらいたい。これでも苦労している」
ディランは否定の言葉を言い片手で頭を抱えているものの、それでもどこか楽しそうだ。
アレクサンドラから借りた恋愛小説を見つかってしまい、『ディランの苦労』に心当たりがあるエイヴリルは、目を泳がせるばかりである。
「エイヴリル様、紅茶のお代わりをどうぞ」
「あっ、ありがとうございます、サミュエル」
あわあわとするエイヴリルに、サミュエルがティーポットから紅茶を注いでくれる。こういうときはお茶を飲んで落ち着くのが一番だ。
十歳の行儀見習いの少年の手助けでエイヴリルが心を落ち着かせる一方で、ディランとアレクサンドラの会話は違う方向に進んでいくようだった。
「私にも推した責任はありますけれど……あの腹黒男のせいでランチェスター公爵は今後大変そうですわね。今のご令嬢は赤子みたいなものだったからよかったですけれど、社交界には本物の性悪もおりましてよ。警戒されたほうがよろしいかと」
「それは肌で感じている。周囲が鬱陶しいな」
「ええ。王太子になる可能性があるランチェスター公爵とお近づきになりたい家がたくさん出てきていますわね。エイヴリル様の本来の姿を明らかにするのはまだ早いかもしれませんわ」
二人の会話を聞きながら、エイヴリルは首を傾げる。
「ディラン様は悪女がお好きだという噂はそのままにしておくべきだと……?」
「邪な目的で近づいてくる家を選別することができますし、そもそも、そんな噂を真に受ける方々は関わるに値しませんわ。……それに、エイヴリル様が悪女で居続けることで、思わぬ副産物がある可能性もあります」
「確かに。クラウトン王国の面々しかり、言えているな」
苦笑するディランを横目に、エイヴリルは頷くのだった。
「承知いたしました。では、社交界では噂を訂正せずに悪女のままで過ごしたいと思います……!」
「ええ。それでいいわ」
「「……」」
含みを持たせながらもにっこりと笑うアレクサンドラに、心配そうなディランとサミュエル。
ランチェスター公爵家の立ち位置に大きな変化が訪れる中、とりあえず、今後の方向性が決まったのだった。




