32.
「ランチェスター公爵様はどのような方なのでしょうか?」
マルティナと名乗った令嬢は興味津々に切り出した。話を聞くと、彼女はランチェスター公爵家とはあまり付き合いがないロンサール伯爵家の令嬢だった。
美しく巻かれたブロンドヘアに、はっきりとした色づかいのメイク。華やかで自信を感じられる外見が眩しい。
この場に予告なく割り込んで来られたということは、家格も含め、次期国王の立場を考えるアレクサンドラにとって無視できない存在なのだろう。
けれど、それでもアレクサンドラは嫌悪を隠さない。
「エイヴリル様とお茶がしたいと押しかけたはずなのに、いきなり夫のことを聞くなんて面白い方ですわね」
「そ、それは……私はまだ結婚しておりませんが、ここにはアレクサンドラ様とランチェスター公爵夫人の二人がいらっしゃるのです。となると、話題は大体そういうことでしょう? や、やはり華やかな公爵家のご事情は気になりますし」
話し始めた彼女の姿を見て、すぐに印象が変わる。自信満々すぎる外見とは裏腹に、何だかしどろもどろだった。
けれど、アレクサンドラは全く容赦しない。優美な笑みを浮かべながらも、ぞくりとするような声音で告げる。
「実はね、噂がありましてよ。今後行われる王太子指名の結果を予想して、ランチェスター公爵家に近づこうとする家が出てくるのでは、とね。正当な形ではなく、色恋を使ってディラン・ランチェスター公爵閣下の懐に入り込もうとする不届きものが出るのではと」
「わ、私はそんな……」
マルティナは絶句した。
エイヴリルも絶句した。
アレクサンドラだけはどこ吹く風で紅茶を飲んでいる。
(色恋を使ってディラン様に近づく……!)
この国では褒められたことではないが、当主に妾がいることはそこまで珍しくない。
ディランの父が好色家で有名になってしまったのは、妾を囲いすぎたうえにあちこちで醜聞をまき散らしたからだ。
そして、ディランが次の王太子候補とあちこちでまことしやかに囁かれているのは、王宮内の空気や、ここのところランチェスター公爵家への訪問者が増えていることからも知っている。
これまで、王族との繋がりを深めるためにはローレンスや王族だけに気を配っていればよかったのだが、急に風向きが変わったらしい。
今までの家の立ち位置によっては、今後王太子となるかもしれないディランが主であるランチェスター公爵家に取り入る必要がある家もあるのかもしれない。
そして、最も強い縁が婚姻である。ディランはすでに結婚しているため、それならば娘を妾にして、縁を強くしようと考える者が出てきてもおかしくなかった。
そして、いつかディランが王太子になり、娘が産んだ子供が玉座につけば最高の結果になる。
(すでにいろいろなところで駆け引きが始まっているようです)
エイヴリルはあらためてマルティナを見た。ぶるぶると震えている彼女は、挙動不審と言えなくもない。
(そういえば)
マルティナが着ているドレスの露出が結構多いことに気が付く。
そして、はっきりした色使いとしか認識していなかったマルティナのメイクだが、もしかしてこれは悪女を意識したものではないだろうか。
目尻から大幅にはみ出すほどに切長に引かれたアイラインに、不自然なほど黒い下まぶた、ぽってり赤い唇。正直なところ、彼女の控えめな顔立ちにはあまり似合っていない。
側で控えている侍女を見上げてみると、なんだかおろおろしている。明らかに主人を心配している人のそれだ。エイヴリルは察した。
(なるほど。お家からの指令で、ディラン様の愛人になりなさい、そのために情報を収集してこいと言われたのでは……?)
自分にも覚えはある。突然悪女を演じなければいけなくなった日の困惑は、昨日のことのように覚えている。となれば、同情するのは必然なのだ。
「あ、あの……」
とにかく、エイヴリルは事情を聞き出そうとマルティナに話しかけようとした。けれど、マルティナの方がわずかに早かった。
彼女は自分で自分に困惑している様子で、精一杯言葉を紡ぐ。
「仮面舞踏会って、どうやって参加すればいいのでしょうか……」
「……」
答えがわからないエイヴリルは絶句した。
今度はアレクサンドラも絶句した。
(仮面舞踏会って、あの仮面舞踏会ですよね……)
義妹のコリンナが遊び相手を探すために好き好んで参加し、家が没落するきっかけになった仮面舞踏会。
エイヴリルも任務で参加したことはあるが、うっかり出会ってしまったコリンナの遊び相手を撒き、チェス大会に参加しているうちに舞踏会は終わっていた。
つまり、全貌は分からずじまいだった。その程度の知識なので、どうやったら参加できるのかなんて知るはずもない。
(あれは、コリンナがどこからか予定を仕入れて参加していたものなのですよね)
「……ディラン様の伝手を辿っていただければ、招待状のようなものが手に入るのでしょうか?」
黙したまま、マルティナの意に沿う方向で真面目に答えを考えていると、アレクサンドラが呆れたように顔を引き攣らせた。
「エイヴリル様、真面目に考える必要はなくってよ」
「あっハイ」
そういうものですか、と納得すればアレクサンドラは続ける。
「マルティナ様、あなたが想像している類の仮面舞踏会というのは、その場に相応しい方々の間で自然と情報が共有され、噂として回ってくるのですわ。けれどもし噂に出会ったとしても、館に行ってみるまでは本当に存在しているのかわからないものでもありますの」
「「なるほど……」」
エイヴリルとマルティナは声を合わせて頷く。隣を見ると、アレクサンドラからの知識に感心して目を丸くしているマルティナがいた。
「あなたたち、同じ顔をしているわね」
アレクサンドラが気の抜けた声を出す。そうして、苦笑しながら続けた。
「ご実家から何を命じられているのかわからないけれど、ランチェスター公爵はそういった類の誘いには乗らないと思いますわ。エイヴリル様に夢中ですもの」
(夢中……)
あらためてそう言われると恥ずかしくなってしまう。




