30.
「サミュエル、今日はアレクサンドラ様と中庭で待ち合わせです」
「はい、エイヴリル様」
「みゃー」
サミュエルとブルーのかわいすぎる返事に、エイヴリルの頬は緩む。
今日もエイヴリルは王宮へとやってきていた。実はディランも王宮で予定があるらしく、同じ馬車に乗ってきたのだが、さっき門のところで別れて今に至る。
エイヴリル、ディラン、サミュエル、ブルーで乗る馬車は賑やかで楽しい。
わいわいと和やかな雰囲気になるからという理由もあったが、エイヴリルが皆で馬車に乗れて安心したのは、ほかにも理由があった。
(ディラン様と二人で狭いお部屋にいると、この前のことがどうしても頭をよぎりますから。サミュエルとブルーが一緒にいてくれて、心強いというか……ええ、心強いです)
厳密には、心強い、という表現は違う。強がりのようなものが含まれている気がしなくもないが、それが強がりかどうかは「覚悟してほしい」がまた来てみないとわからない気がした。
とにかく、エイヴリルは先日アレクサンドラに借りた恋愛小説を抱えて城の回廊を抜け、薔薇の生垣を歩き、中庭へと向かう。
季節はまもなく冬になるが、今日は比較的暖かい。
登城するのにもすっかり慣れてきた。そんな中での「外でお茶をしながらお話ししましょう」というアレクサンドラの誘いは間違いなく心弾むものでしかなかった。
「サミュエル、アレクサンドラ様とお話しすることには慣れましたか?」
「はい。初めは緊張していましたが、とっても優しいお姉様ですね」
「ええ、私も初対面の時には素手でリンゴを潰されてドキドキしましたが、すぐに仲良くなりましたよ」
「素手でリンゴ……そこからどうやって仲良くなったのか、ものすごく気になりますね」
あの頃が懐かしい。そんな話をしながら完全に注意散漫になって歩いていると、サミュエルの腕の中にいたブルーが不意にぴょんと地面に飛び下り、駆け出した。
緊張感を馬車の中に置き忘れ、のほほんとしていたエイヴリルの頭がやっと覚醒する。
「あっ、ブルー⁉︎」
出会ったばかりの頃のブルーはよちよちと歩く弱々しい子猫だったが、今は違う。機敏に走り回り、場合によってはサミュエルでは捕まえられないこともある。
(ここは広い王宮です! 迷子になってしまったら困ります!)
エイヴリルはブルーを追いかけて駆け出した。
けれど、数秒前までの注意散漫が痛かった。駆け出した途端、庭の樹の陰から人が出てきたのに気が付かず、ぶつかってしまったのだった。
「ひゃっ……ではなくて、申し訳ありません」
慌てて自分の不注意を謝罪すると、その人は少し前を置いてから驚いたような声で応じた。
「サミュエル。……エイヴリル嬢?」
聞き覚えのある声に、エイヴリルは領地での音楽祭のことを思い出す。
「フェルナン・ブランドナー様……!」
そこにいたのは、サミュエルの兄であり過去にディランたちと一悶着あったというフェルナンだった。エイヴリルたちの姿を確認した彼は、聞いてくる。
「どうしてこんなところに? サミュエルも」
サミュエルよりも濃いアメジストの瞳がこちらを探るように見つめている。けれど、それ以外はスマートだ。すらりとした佇まいに洗練された服装。この王宮にものすごく馴染んでいる。
(フェルナン様は王宮勤めですものね)
エイヴリルは納得した。
「アレクサンドラ様の話し相手として登城しております」
「……君が?」
訝しむような、または困惑しているような声音だ。
けれど、それはどうでもいい。彼はかわいいサミュエルの兄ではあるが、できるだけ距離を置きたい相手なのだ。
挨拶だけをしてできるだけ早く退散しようと思っていたところで、フェルナンの後から少し髪が乱れている女官が現れた。
「フェルナン様、私はこれで」
「うん。また呼ぶね」
「ええ、いつでも」
二人は短いものの親密さを感じられる会話を交わしている。
女官はエイヴリルの方に意味深な視線を送ってからクスリと微笑み、ドレスの胸元を直しながら生垣の向こうへ消えていってしまったのだった。
(なぜか……見てはいけないものを見てしまった気分になっているのは私だけでしょうか……!)




