26.
それから数日後。
アレクサンドラからの呼び出しを受けたエイヴリルは、今度はサミュエルと二人で王宮にやってきていた。
今日はディランはいない。まもなく王妃になるアレクサンドラから、エイヴリル個人への正式なお召しだからだ。
アレクサンドラとローレンスは元々婚約中で、まもなく正式な結婚式を挙げる予定だったのだが、今回、ローレンスが国王として即位するのをきっかけに、一連の式典や即位式をまとめて行うことになったらしい。
急ピッチで進むその準備のため、アレクサンドラはリンドバーグ伯爵家には戻らず、王宮内の一室で過ごしているということだった。
豪奢なその部屋に通されたエイヴリルは、かしこまって挨拶をする。
「アレクサンドラ様、今日はお招きいただきましてありがとうございます」
「こちらこそ、急に呼び出してごめんなさいね。……あら、その子がブランドナー侯爵家のサミュエルね?」
「サミュエル・ブランドナーと申します。今日は付き人として参りました。次期王妃陛下に拝謁できて恐悦至極にございます」
優雅に微笑むアレクサンドラを前に、サミュエルは膝の上で手をグーにしたままぎこちなく頭を下げた。
いくらブランドナー侯爵家の子息とはいえ、さすがに王宮に招かれまもなく王妃になる人に挨拶する機会はこれまでなかったのだろう。緊張しているのが伝わってくる。
アレクサンドラはそれを楽しげに眺めつつ、意味深に微笑んだ。
「ふふふ。かわいいわね。あなたはフェルナン・ブランドナーの末弟かなのしら?」
「はい。長兄は王宮でお仕えしております」
「彼を知っているわ。あなたも、ここでお兄様に会う機会が増えるかもしれないわね」
(サミュエルに、王宮でフェルナン様にお会いする機会が……?)
どういうことなのだ、と首を傾げるエイヴリルに、アレクサンドラは続けた。
「エイヴリル様にお願いがありますの」
「はい」
「あなたにね、私の話し相手として登城していただきたいのよ」
全く予想しなかったお願いに、エイヴリルは目を瞬く。
「私がでしょうか……? 次期王妃陛下の話し相手というと、もっと適任の方がいらっしゃるのでは」
「どこに? 他の方とは全然話が合わなくってよ」
「か、かしこまりました……」
あまりにも当然のように言われてしまっては断りようがない。
しかし、一般的に、高貴な人の話し相手というのは王宮に住み込みになることが多い。かつて、王族の話し相手として登城していた夫人方は皆王宮に専用の部屋を持っていたはずだ。
けれど、エイヴリルにはそれはできない。ランチェスター公爵家を離れることなど、考えられなかった。
「一度、ディラン様に相談させてください。もしお引き受けすることに決めても、ずっとここにいるのは難しいと存じます。週に何度か通うという形にさせていただきたく」
「こちらもそのつもりよ。けれど、即位するまではエイヴリル様にもここに泊まっていただくことになるかもしれないわ。ランチェスター公爵には申し訳ないのだけれど」
「それぐらいなら問題ないかと思います。あらためてお返事させていただきます」
答えるとアレクサンドラは大輪の笑みを浮かべた。それから、サミュエルの方にもう一度視線を戻す。
「そういえば……私の腹黒婚約者が、過去にフェルナン様に何をしたか聞いたかしら?」
「先日、王太子殿下とディラン様がお話ししていたことですよね。あれから、ディラン様に詳細を伺いました」
エイヴリルはその話を回想する。
この前、王宮の帰りの馬車の中で、ディランは「ローレンスから口外する許可を取れたから、やっと話せる」と前置きした上で、かつてフェルナンとの間にあった出来事を話してくれた。
ディランはフェルナン・ブランドナーと年齢が同じで、家の社交界での立ち位置も似たようなものだったことから、幼い頃から顔見知りだったらしい。
二人とも表向きは品行方正だった。しかしフェルナンには裏の顔があった。彼は優秀な頭脳と交友関係の広さに一目置かれつつ、女性関係が派手だったのだ。
幼い頃からその片鱗はあり、自分の父親の愚行を日頃から見ていたディランはフェルナンとは明確に距離を置いていたらしい。その甲斐あって、彼らはお互いの領分に踏み込むことなく、形式的な関係を築けていた。
しかし、二人が二十歳のとき――四年前にその事件は起こった。
その頃、フェルナンは伯爵令嬢と婚約を交わしつつも、ほかに恋人が五、六人いたらしい。この話を聞いたとき、エイヴリルはくらりと眩暈がしたのだが、どうやら高位貴族にとってはそれが当たり前のことのようだ。
思えば、エイヴリルの父親にも当たり前のように妾がいた。
エイヴリルの母親の死後、その妾がすぐにアリンガム伯爵家に入り込んだうえ、おまけに異母妹までいたのはエイヴリルの人生にとって決定的な転機になった。
(ディラン様が外に恋人をお作りにならないのは、貴族的な慣例からいうと、もしかして幸運なことなのかもしれません……)
そんなことを考えながらエイヴリルはディランから聞かされたのは、どうしようもない事件の顛末だ。
ディランはローレンスからの指示で、フェルナンの恋人の一人を彼から引き離すことになった。理由はこれ以上なく明白。その恋人の実家がローレンスを強く支持し、かつ資金が潤沢な伯爵家だったからだ。
令嬢の父親は二人の付き合いをやめさせようとしたが、よりにもよって相手がブランドナー侯爵家だった。娘の妄信もあり、強くは出られなかった。
ローレンスは彼女の両親から不毛な付き合いをやめさせてほしいと懇願され、しぶしぶ動くことにしたらしい。
一連の処理を頼まれたディランは、その役回りをするのが自分である必要がないと拒絶したが、ローレンスとのあの関係はエイヴリルも知るところだ。結局断りきれず、引き受けることになってしまった。
ということで、ディランはとある夜会で偶然を装い、その令嬢に別の男を引き合わせるきっかけを作った。その男もまたローレンス派の貴族令息で、自分の役回りを理解する有能な人物で、かつ見目優れた男だった。
目論見通り二人はお互いに好印象を抱き、自然と彼女はフェルナンとは別れることになる――はずだった。けれど、問題が起きた。
令嬢はフェルナンとは別れたものの、ローレンスが紹介した貴族令息と恋に落ちなかったのだ。その理由はディランである。
彼女は紹介された貴族令息に一応は好感を持った。けれどそれ以上に、一言を交わしただけのディランのほうに執心してしまったらしい。
彼女はなんと、ディランへの付きまといを始めてしまった。ブランドナー侯爵家の嫡男が恋人になってくれたという成功体験は、さらに格上の男も落とせるのではという自信に拍車をかけたのだ。
そして、信じられないことに彼女の両親もそれを止めなかった。当時のディランはどんな令嬢も側に寄せ付けず、社交にも滅多に姿をあらわすことなく、謎の美青年として知る人ぞ知る存在だった。それが、王太子の手引きで自分の娘に近づいたのだ。
その優越感は、公爵家と縁を繋げるのではと期待させるのに十分だったのだろう。
『……思えば、甘かったな。ローレンスにはもう一つの意図――誰とも結婚しようとしない俺に、適当な女性を当てがおうという考えがあると疑うべきだった』
ディランの後悔の言葉に表されている通り、事態はわりと面倒なことになったらしい。
登場人物の中で、全然かわいそうではないもののそれなりに不幸なのは、恋人の一人を奪われたフェルナン・ブランドナーである。
そして、その令嬢はフェルナンにとって特にお気に入りだったらしい。
恋人の心を盗まれることになったフェルナンはディランを恨み、ディランに振られた令嬢は諦めずに絡み続け、令嬢の両親はランチェスター公爵家に婚約の打診をし続けた。泥沼だった。
ディランはそれをきっかけに縁談よけの婚姻を決意した。誰もが納得する悪女を探し求め、今に至る。




