22.新たな一歩へ
「は? まだいたのか」
さすがに絡まれるのが三度目ともなると、ディランの言葉遣いにも表情にも余裕はない。エイヴリルも呆れ切って似たようなものだ。
けれど、フェルナンは挫けることなく微笑む。
「我がブランドナー侯爵家からもわかる通り、教養を身につけることや奉仕活動は貴族の義務であり嗜みです。楽器の演奏はその中でも特別な一つだ」
「それが何だというんだ」
「アンサンブルですよ。ずたずたになった関係を音楽がつなぐ。我が家の主からは、これがランチェスター公爵夫妻が開催する特別な音楽会だと聞いています。新しい公爵家の形を、演奏で見せてもいいのではないでしょうか」
フェルナンの言葉に、エイヴリルは思わず顔を引き攣らせる。
(なんだか……これって、あまりにも無理やりすぎませんか⁉︎)
サロンコンサートで主宰者が演奏をすることもあるのはよく知っている。けれど、今日はそういう趣旨の会ではないし、何よりもこれまでのあれこれを原因とした前公爵との諍いの最中だ。
いきなり演奏をしましょう、と言われても意味がわからない。困惑を隠さないエイヴリルを見て、フェルナンが意味深な視線を向けてくる。
「王都でも評判の悪女であり、この場で正論を振りかざし、そしてディラン・ランチェスターを骨抜きにするあなたにももちろん加わっていただきましょう」
「⁉︎ いや、この女は」
なぜか割り込んで入ったブランドンにエイヴリルは首を傾げた。しかしブランドンも反射的なものだったようで挙動不審になっている。もごもごと、フェルナンや周囲からの視線を気にして、後ろに下がってしまった。
「エイヴリル様、どうぞ」
「ありがとうございます」
クリスが自然にバイオリンを渡してきたので、エイヴリルはスッと受け取った。その瞬間に、ずっと余裕だったフェルナンの表情に僅かな戸惑いの色が見えた気がする。
ディランが、感情を露わにした様子で小声で呟く。
「……腹立たしいな」
「ディラン様?」
「あの男、エイヴリルに恥をかかせようとしているんだろう。だからこんな妙なことをしたんだ。まことしやかに囁かれる『ランチェスター公爵夫人』の悪女像は、教養とは無縁だからな」
(な、なるほど……⁉︎)
まさか思ってもみなかった展開に、エイヴリルは目を瞬くばかりである。そこまでディランが恨まれている事情についてもやはり気になるところだが、今はそれを詳しく聞いている時間はなかった。
さっと気持ちを切り替える。
「何の曲にしましょうか。私もサミュエルと一緒に練習はしていましたから、弾けなくはないはずです! でも、弾いたことがある曲でお願いしたいです。まぁ、指が動くかわかりませんが」
「君は、一度弾いたことがあれば覚えているだろうからな……」
ディランが遠い目をしている後ろで、ブランドンが目を瞬いている。せっかくなので、エイヴリルは彼を誘うことにした。
「前公爵様もお願いします。せっかくなので役に立ってください!」
「なにを……」
「二人でのアンサンブルならまだしも、これだけの人数での演奏です。楽譜があればいいのですが」
ブランドンの抗議を無視しつつ周囲を見回すと、サミュエルがバイオリンケースと合わせ持っていた革製の鞄から楽譜を取り出しているのが視界に入る。
その中から適当な一冊を選んだサミュエルは、差し出してくれた。
「この曲なんていかがでしょうか。お二人にぴったりの曲です。僕も加わります」
「これは……?」
サミュエルが見せてきた楽譜にエイヴリルは目を瞠った。子供の頃に演奏したことがあるその曲は確かに覚えている。けれど、自分とディランにぴったりだと言われると謎だ。
(よくわかりませんが、とにかく準備を)
バタバタと演奏の準備をしていると、視界にピンク色のドレスの裾が映る。誰でしょうと思えば、エミーリアが姿を見せた。どうやら、貴賓席から降りてきたところらしい。そうして、エイヴリルに話しかけてくる。
「エイヴリル様。ここで演奏をされるのですか?」
「間に合わせの演奏ですが」
遠慮しつつ肯定すると、エミーリアは目を輝かせる。
「ぜひ、私もお仲間に入れてくださいませ……! エイヴリル様と一緒に演奏ができる機会なんて、滅多にありませんから」
「⁉︎」
エイヴリルとジャンヌは同時に口をぽかんと開けたのだった。
随分豪華な間に合わせのアンサンブルですよね、とどこかから声が聞こえた気がする。それはエイヴリルもそうだと思う。
バイオリンを弾くエイヴリルとディランとサミュエルに、ビオラを弾くクラウトン王国の王妹エミーリア、クリス、王妹の女官として同行しているジャンヌ。そしてピアノでの演奏はブランドナー侯爵家の嫡男フェルナンが担当することになった。
ブランドンはチェロを嗜むらしく、借りた楽器の前に座っている。そんなの初耳だった。それほどまでに関係が薄いものたちの演奏がうまくいくのか、ものすごく疑問なところでもある。
皆から緊張が伝わってくる。何も考えずに「エイヴリル様と一緒に演奏ができる!」とはしゃいでいるのは、クラウトン王国の王妹エミーリアぐらいのものだ。
――あの少女はクラウトン王国からの賓客だと。王妹殿下だそうだ。
――クラウトン王国の? まともな外交関係すら築けないでいた国なのに、どうしていち貴族が主催する音楽祭にいらっしゃっているんだ?
ついさっきまでは噂話に夢中だったのに、このホワイエの人々は今はすっかりエミーリアの存在に惹かれているようだ。
(どうしてこんなことになったのでしょうか?)
もう現実を直視したくないエイヴリルを置いて、演奏が始まった。サミュエルが選んだのは、歴史的な作家が書いた、とある戯曲につけられた短い小曲だった。
その戯曲の主人公は自分を人間だと思い込んでいる人形で、森の奥に住む特別な力を持つ人形作家によって息を吹き込まれたことから物語は始まる。
最終的には人形らしからぬ振る舞いと賢さを神様に認められ、皆に愛された後、人間になって王子様と結婚するという、コメディ要素のあるシンデレラストーリーになっている。
かわいらしいピアノの高音に合わせ、バイオリンが滑らかにのる。弾むようなメロディは次第にビオラ、チェロの響きを伴って幾重にも広がっていくばかりだ。
初めは物珍しげに見ていた招待客たちも、きちんと演奏になっているのに感心して周囲に集まってくる。
いくら楽器を嗜む貴族の子供たちが一度は通る曲とはいえ、急拵えの本番一発勝負でも破綻していないのは、ピアノのフェルナンとアンサンブル慣れしたサミュエルが主導権を握っているからだろう。
この場を完璧に取り仕切っているはずのフェルナンがなぜか悔しそうな顔をしているのは謎だが、無事に演奏は終わったのだった。
ホワイエで行われた間に合わせの演奏に対するものとは思えない拍手に包まれて、エイヴリルはディランと微笑み合い、礼をする。
ひどく驚いたような表情でエイヴリルを凝視するブランドンとフェルナン、ニコニコと微笑んでいるサミュエルとクリス、恍惚の表情を浮かべるエミーリア、安堵の息を吐いているジャンヌ。
ゴシップや噂話で、ランチェスター公爵夫妻の値踏みをしていた招待客の空気はこの演奏で明らかに変わった。
「君に恥をかかせたい男と、みくびっていた人間を返り討ちにしたな」
「?」
ディランから小声で囁かれたものの、エイヴリルは首を傾げるばかり。フェルナンが何かを企んでいたのはわかるが、夫との間に何があったのかを知らないのだから当然といえば当然でもある。
とにかく、音楽会の初日はこの休憩の時間をきっかけに、第三部と四部も大成功に終わった。そして、初日の盛り上がりそのままに、二日目と三日目も大盛況となった。
また、この音楽祭は、王都の新聞でも大きく報じられたらしい。
演奏の素晴らしさやチャリティーを目的にした趣旨についてはもちろん、それ以上にランチェスター公爵家が新しい道を歩んでいることが興味を持って取り上げられた。
大勢の愛人を囲い社交界を騒がせたランチェスター公爵の後を継ぐ若き公爵は、前任者とは全く違う人間性を持ち、問題ばかり起こしている前公爵を従わせ、しかも慈悲深くアンサンブルの輪に招き入れた、ということになっている。
そしてそのディランを支えるのは、華やかすぎる面々だ。
どうしても王都を離れられなかったブランドナー侯爵夫妻が、これまた多忙な嫡男を送り込み、華を添えた。
それだけでなく、五男のサミュエルも行儀見習いで出入りしていることが報じられ、極め付けに、謎多き美しき隣国クラウトン王国からは王妹エミーリアが敏腕女官を伴って極秘に来国していたことも付け加えられれば、ランチェスター公爵家の評判はこれまでとは全く違ったものになる。
そしてそれは、エイヴリルたちが王都に戻った後も続くことになるのだった。
WEB版の更新が遅すぎたせいで予約受付中の書籍5巻のあらすじがネタバレ状態になっており、毎日更新していたのですが、もう少しで追いつきます!
そのあとはまた週1〜2回更新に戻ります。
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