21.悪女と爺とプレイボーイ
「――ディラン様、私は――と、とっても退屈ですわ」
「「「は?」」」
久しぶりの悪女らしい振る舞いに、少しまごついてしまった。
けれど、自分の耳を疑ったらしいブランドンとカルーア夫妻の共鳴がホワイエに響く。エイヴリルは怯まずに続けた。
「私はディラン様をもっと褒めてくださる方とお話がしたいです」
「エイヴリル……?」
さすがに、ディランもエイヴリルのこの言動は予想していなかったらしく、つい数秒前まで滲ませていた緊張を消し去り目を丸くしている。
「ディラン様のお父様が奔放に女性と遊ばれていたのは、家族を顧みなかったからですわ。責任を持たなくてもいい女性と遊ぶ方が楽ですし、楽しいですもの。そんな中でディラン様が立派な大人になったのはお母上であるアナスタシア様とディラン様ご自身の努力の賜物ですわ。それを褒めずに、前公爵様のほうに同情を向けるのは意味がわからないです! だって! 前公爵様だって心を入れ替える機会はたくさんあったはずなんです。それなのに、目を向けなかった」
エイヴリルは、大切な夫のほかに、クラウトン王国で接したアナスタシアのことを思い浮かべる。
繊細で優しい人だ。彼女が壊れるまで冷酷に接したというのに、今さら泣きついてくるのは虫がよすぎるのだ。そして、自分の境遇にも重なる気がした。
(アリンガム伯爵家のお父様も、似たようなことをなさっていました。どうしようもないことですので今更もう怒りはしませんが、お母様が受けた心の痛みを思うと、どんなことがあっても許す気にはなりません)
普段は心に蓋をしている部分だ。だけど、なぜか今日は涙が出そうだ。
今、エイヴリルの隣にいるディランは驚いている。けれど、ついさっきの感情を消した笑みが脳裏から離れない。大切な人を傷つけられて、黙っていられなかった。
「私がランチェスター公爵家に嫁いだからには、好きなようにさせていただきます。必要のない相手に礼儀は尽くしませんし、何よりもディラン様は私に……む、夢中なのです! だから、私の望みがディラン様の意向とは違っても、必ず従わせてみせますわ! つまり、前公爵様は悪女の私が追い返します!」
一瞬でしんとしてしまったホワイエには、ピアノの演奏が小さく響いていた。
目の前にいるカルーア夫妻の作り笑いが歪になる。そして、ブランドンの顔は真っ赤だった。どちらが罵声を発するのが先か、とこの場に居合わせる全員が思ったところで。
「正論だぞ……」
どこからともなく、そんな声が響く。それだけでは終わらなかった。
「――カルーア夫妻とランチェスター公爵の歓談に割り込んで、さすが礼節をわきまえない悪女だと思ったんだが……発言がまともだよな?」
「――だってあれだろう? 前公爵といえば、領地の別棟に女性を何人も囲って酒池肉林を極めていたという」
「――解体のため立ち入った人間に話を聞いたんだが、ああ見えてかなり律儀なタイプで、愛人全員に完璧に分け隔てなく贈り物をして帳簿で管理していたらしいぞ」
「――まめすぎる」
「しっ。聞こえますわよ。お静かになさって」
次々にそんな会話が聞こえてきて、さっきまで怒りで赤くなっていたカルーア夫妻とブランドンは目を泳がせている。クリスのぼやきが耳に届く。
「エイヴリル様は騎士様みたいですね。もしディラン様に年長者を尊重しない発言があっても、それは全部自分の指示によるものだ、と庇ったようにも聞こえました」
そんなことはなかった。自分はただ、悪女として彼らに文句を言っただけである。
「あの、私は――ディラン様、申し訳――」
あわてて隣を見上げると、ディランの表情にはいつもの冷静さが戻っていた。それでいて、エイヴリルに優しい笑みを向けてくる。
「……今のは、かなりうれしかったな」
「いえ、その⁉︎」
「いちゃいちゃするのはお屋敷に帰ってからにしましょうか」
「クリスさん⁉︎」
ディランの言葉に赤くなっていると、クリスに揶揄われてしまった。
その様子を見ていたカルーア夫妻は、自分たちには分が悪いと思ったのか「では私どもはこれで」とそそくさと去っていってしまう。
それを見つめながら、エイヴリルはつぶやくのだった。
「社交の場でお会いする皆さんは、どうしてこうそそくさと去っていってしまうのでしょうね……」
「私たちの両方に原因があるだろうな、大体は」
ディランの悪戯っぽい笑みに苦笑していると、ブランドンがおずおずと話しかけてくる。
「……どうやら、邪魔をしてしまったようですまないな」
「前公爵様は何のために音楽祭にいらっしゃったのですか? 準備の時から随分気にしてくださっていましたが、今回は手出しは不要だとあれほどお伝えしていたはずですが」
ブランドンに対して不機嫌さを隠さないディランの代わりにエイヴリルが問い掛ければ、彼は威厳のある外見には不釣り合いな程に視線を彷徨わせた。
「さっきの、カルーア夫妻は癖が強い。自分の価値観が最上だと信じて疑わないうえに、若輩者のことは邪険にする」
「話には聞いています。あなただから対等にやりあえていたのだろうと察しています」
ため息混じりにディランが応じる。ブランドンはさらに続けた。
「あれだけじゃない。お前たち二人が紹介もなく付き合うには、難しい人間がごまんといるんだ。だからこそ、うちは社交の場を避けてきたのもあるが」
エイヴリルとディランは、思わず顔を見合わせた。まさか、こんな言葉が出てくるとは夢にも思わなかったのだ。
(つまり、前公爵様は私たちの手助けをしようとしてここに来たと? けれど、私たちには避けられているのがわかっているから、こそこそと紛れ込んでいたということでしょうか……!)
迷惑にも程がある。そして。
(これまでの罪滅ぼしなのかもしれませんが、かといって長年の確執が帳消しになるはずがありません)
ディランもエイヴリルと同じことを思っているようだった。
「サミュエルに出会って、家族のことを思い出しましたか?」
息子からの問いかけに、ブランドンは表情を固くする。
「いや、私は――」
「一時的な郷愁や寂しさで、あなたの事情に巻き込まないでもらいたい。これ以上目に余る行動をされるようでしたら、新たな手立てを考えないといけなくなる。それだけは忘れずにお願いしたい」
「!」
ブランドンの顔が蒼ざめた。ディランが意図するところは、本邸の屋敷から追い出すということだろう。
それはわかる。中途半端に影響力を持ち、存在だけで過去の悪評を思い出させる前公爵など、いない方がいい。
(子供の頃から酷い扱いを受けてきたのに、前公爵様を屋敷に置いて好きにさせて差し上げているディラン様がお優しいだけなのです。そこをわかっていただきませんと)
「今日のところは屋敷に戻るとする。済まなかった」
頭を下げられて、エイヴリルの心はざわざわとする。
自分は、父にこんなふうに頭を下げられて許せるのだろうか。
考える余裕もなく、答えは否だ。まさにボロ雑巾のように扱い、存在を無視してきた相手と立場が逆転した後で擦り寄ってこられても困る。
ディランは何と答えるのだろうか。
じっと見守っていると、ホワイエに流れていたピアノの音楽に急にバイオリンが加わった。
さっきディランとクリスが演奏したのとは違う、純然たるクラシックに皆が静まる。艶を感じさせる重厚な音色に滑らかなメロディ。普段から弾き込んでいるのだとすぐにわかる演奏の主は、フェルナン・ブランドナーだった。
広いホワイエの中で、完全にエイヴリルたちの方に向けられていた注目がそちらへと向く。
ワンフレーズを弾き終えたフェルナンは、楽器を下ろすと姿勢を崩して笑った。その姿は、さながらプレイボーイである。
「ランチェスター公爵家の皆様。今日は音楽祭です。ご家族の問題は音楽で解決するのはいかがでしょうか?」




