15.音楽祭のはじまり
それから一月後。領地入りした頃よりも秋が深まり始めたところで、音楽祭の日がやってきた。
エイヴリルとサミュエルが会場として選んだのは、マートルの街にある歴史ある音楽堂だった。今日から三日間、この音楽堂で演奏会が開催される。
プログラムは三日間とも同じだが、初日の今日だけはランチェスター公爵家と付き合いのある人々を招いた特別な会になる予定だ。そして、二日目と三日目はマートルの街の人々に開放することになっていた。
街の人々に解放されるチケット代は極めて安価で、その収益すらも寄付に回される。まさに、流行病のためのチャリティイベントだ。
観客が入る前の音楽堂で、ステージを見上げたエイヴリルは、隣にいるディランへ説明する。
「いかがでしょうか! 決してそこまで大きい会場ではありませんが、この領地の皆さんに長く愛され親しまれてきたホールです。ランチェスター公爵家が初めて音楽祭を主催するのにふさわしいかと……!」
「ここはいろいろな人々に貸し出されているから、この街の人々が少なくとも一度は必ず訪れたことがある場所だ。さすが、いい場所を選んだな」
「ふふふ。だそうです、サミュエル」
「お褒めいただき感謝いたします、公爵閣下」
ディランに褒められて、エイヴリルとサミュエルは二人顔を見合わせて笑い合う。けれど、これだけで満足してはいけない。
今日のエイヴリルはランチェスター公爵家の女主人としてあちこち走り回らないといけないし、一方のサミュエルの手にはバイオリンがある。サミュエルはさっきリハーサルを終えたばかりで、この後演奏に参加するのだ。
となれば、お互いにここでのんびりしている時間はなかった。
「サミュエル、まずは私のお客様を紹介しますね。ついてきてください」
「かしこまりました、エイヴリル様」
微笑むディランに見送られ、エイヴリルはサミュエルとともに来賓専用の応接室に向かうことにしたのだった。
来賓専用の応接室は、階段を登った先の三階にあった。専用のクロークを抜けると、華やかな音楽堂の中でも、ひときわ豪華な装飾で彩られた部屋が現れる。
扉の前にいる護衛に通してもらい部屋に入ると、ピンク色のドレスが揺れるのが見えた。
「エイヴリル様、お会いしたかったですわ……!」
「エミーリア様! よく来てくださいました」
それは、隣国クラウトン王国からやってきたエミーリアだった。
エミーリアは、先日の隣国での任務の際には、エイヴリルを『悪女』として崇め奉り、あらゆる面でサポートをしてくれた王妹殿下だ。
エイヴリルがカーテシーで礼を尽くせば、エミーリアが感無量といった様子で抱きついてくる。
「ご招待、ありがとう存じます! あれから二ヶ月……なかなかお会いできる機会がなくて寂しいですわ。だから、お兄様に、鉱山の再開発を早く進めてくださいとお願いしているのです。エイヴリル様が私のところを訪問する機会が増えるようにと!」
「それはありがたいことです。再開発が早く進めば、どちらの国にとっても利益になりますから。私も待ち遠しいです」
「そうですわよね! エイヴリル様が私のところを訪問する機会もさらに増えますし!!!」
エイヴリルの手を握るエミーリアの手は熱く、興奮しているのが伝わってくる。本当に相変わらずで、懐かしくも微笑ましくもある。
そこで、二度も「エイヴリルが自分を訪問する機会が増えてほしい」という主旨の言葉を繰り返す彼女の後ろ、付き添いの女官が苦笑するのが視界に映った。
(あら……? こちらは……?)
見覚えのある女官に、エイヴリルは目を瞠る。
「もしかして、ジャンヌ様……⁉︎」
「ご無沙汰しております、ランチェスター公爵夫人」
女官らしく控えめなドレスを身につけた彼女は、クラウトン王国の国家試験で出会ったジャンヌ・ヘルツフェルトだった。彼女は試験に優秀な成績で合格し、エイヴリルとともに表彰を受けた才媛だ。
ジャンヌの父親は失脚したはずだが、それでも王妹の外国訪問の同行者として選ばれたのはさすがである。エイヴリルは察した。
(クラウトン王国での国家試験の成績は、配属に関係するという話でした。ということは)
「ジャンヌ様は外交に携わることが望みだったのですね」
思わず問いかけると、ジャンヌは微笑んだ。
「はい。私の父はずっと他国との関わりを禁じる側にいました。その側で育った私は、反動で国外のことに思いを馳せるようになっていきましたの」
「それで、外交官になることを希望したのですね……! さすがジャンヌ様です」
二人の会話を聞いていたエミーリアがうれしそうに声を弾ませる。
「私も、ずっと悪女エイヴリル様がいるという外の世界が憧れで……! クラウトン王国が変わったのは、ブランヴィル王国から悪女がやってきたおかげとも言われているのですわ。エイヴリル様の評判はますます上がっていますし、そのハートを射止めたランチェスター公爵の評価も高いんですのよ」
「あ、ありがとうございます?」
とりあえずお礼を言ってみたものの、今の発言のほとんどは間違いである。しかしさすがに否定するわけにもいかないので、お茶を濁すことにした。
しかし、自分が知らない間に、隣国での『悪女エイヴリル』の評判は急騰しているらしい。帰国すれば義妹コリンナによる架空の悪女の話は忘れ去られるものと思っていたが、どうやら甘くみていたようだ。
けれど、エミーリアとジャンヌ、それぞれ目的は違うにしろ、異国へやってきてうれしそうにしている彼女たちの姿を見ているだけで楽しい。きっと、二人は心強い味方になってくれるだろう。
そんなことを考えていると、興奮から少しずつ落ち着いてきたエミーリアは、エイヴリルの隣にいるサミュエルに気がついたようだ。目を丸くして聞いてくる。
「……あら? この子はどなたかしら?」
「お初にお目にかかります。ブランヴィル王国ブランドナー侯爵が五男、サミュエル・ブランドナーと申します。どうかお見知りおきを」
「まっ、まぁ……礼儀正しい美少年ですわね……!」
サミュエルの挨拶に、エミーリアが頬を染めてパチパチと激しく拍手をしている。その気持ちを心から理解するエイヴリルは微笑んだ。
「我が家に行儀見習いで滞在中なのです。とってもいい子で、いろいろと助かっています」
「僕こそ、悪女のエイヴリル様にはよくしていただいています」
サミュエルが輝くような笑みを向けると、エミーリアはさらに表情を明るくする。
「サミュエルと言いましたね。あなたとは気が合いそうですわ。まだ子供だけれど、悪女エイヴリル様の信奉者なのですね」
「はい。出会いからとてもめずらしい悪女でした」
「めずらしい悪女……! そうなのですわ。殿方を手玉に取りつつも、曲がったことはお嫌いな正義の味方でいらっしゃいますの」
「エミーリア王妹殿下の悪女像はなかなかですね」
会話が弾んでいる。しかし、エミーリア十五歳、サミュエル十歳。エミーリアの方が年上のはずが、なぜかサミュエルの方が合わせてあげているように見えるのはなぜなのか。
(サミュエルは、私に特別な事情があって外では悪女になっていると勘違いしているようですし、エミーリア殿下はコリンナと私の振る舞いが混ざった悪女が実在すると信じていらっしゃいます……!)
この二人はエイヴリルに少し面倒な勘違いをしている。
ただ一人、察しのいいジャンヌだけは困った顔をしているが、まさか立場上王妹殿下を否定するわけにもいかないのはわかる。
彼女は何かを言いたげにしながらも、気まずそうに視線を彷徨わせていた。しかし大丈夫。せっかく二人が揃っているのだ。この機会に誤解を訂正しておきましょう、とエイヴリルは口をひらく。
「あの、お二方の私への認識には、少し誤解があるようで――」
その瞬間に、一階のエントランスの方からトランペットの音色が聞こえた。音楽堂が開場し、観客を歓迎するファンファーレが演奏されているようだ。しっかりスケジュールを把握しているサミュエルがこちらを促した。
「エイヴリル様、そろそろ行かれた方がよろしいかと。お客様がいらっしゃいますし、僕も演奏の準備をしないといけません」
「そ、そうですね」
今は、悪女を否定することよりも音楽祭を成功させることを優先するべきだろう。ということで、エイヴリルはサミュエルとともに部屋を後にする。
「またあらためてお会いしましょう、エミーリア殿下、ジャンヌ様。誤解も解かないといけませんし」
「こうしていると、エイヴリル様は全然噂の悪女に見えませんわね! 不思議……! 公爵夫人の顔と悪女の顔、二つを使い分けるなんてさすがですわ」
「ええ、まず本当の私は悪女ではありませんからね」
「まぁ、面白いことをおっしゃるのですね。自分の名誉を自慢しないところがさすがですわ」
ついこぼれ落ちた本音にも、エミーリアは動じることがないし、悪女ではないなんて考えもしない様子だった。胸が痛い。そして、部屋を出て階段を降りながら、サミュエルに天使の笑みを向けられてしまった。
「エイヴリル様は、お友達も大変面白く魅力的でいらっしゃるのですね」
「うっ……それは私が悪いのです。でも、サミュエルの、そうやってなんでも前向きに褒めてくださるところ、大好きですよ」
ブランドナー侯爵家の教育はさすがなのだった。




