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無能才女は悪女になりたい~義妹の身代わりで嫁いだ令嬢、公爵様の溺愛に気づかない~(WEB版)  作者: 一分咲
五章

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3.サミュエルの訪問

「エイヴリル・ランチェスター公爵夫人。今日からお世話になります」


 そう言いながら、美しいボウアンドスクレープをして見せたサミュエルに、エイヴリルは思わず拍手をしそうになった。というか自分では認識していないが、もう拍手していたかもしれない。


 けれど、それに気がついたらしいクリスの咳払いによって、なんとか辛うじて留まれたかどうかはわからない。とにかく、エイヴリルは胸の前に揃えてあった両手をそろりと下ろした。


(いけません。厳しく教えるようにといわれているのに……!)


 アレクサンドラ主催のガーデンパーティーで、ブランドナー侯爵家からサミュエルの行儀見習い修行を承ってから二週間。


 今日はサミュエルがランチェスター公爵家のタウンハウスにやってくる日だった。今日から半年間、サミュエルはここに住み込んで貴族としての立ち振る舞いを学ぶことになる。


(ですが、サミュエルはすでに二年前のサロンコンサートでお会いしたときから、貴族令息としての振る舞いが完璧でした……!)


 教えることは何もないかもしれない。そんなことを思ってしまったエイヴリルに、サミュエルは自己紹介を続けた。


「僕はブランドナー侯爵家の五男で、兄が四人います。一番目の兄はヴァイオリン奏者でプレイボーイ、二番目の兄はチェロ奏者で策略家、三番目の兄はピアノ奏者で優しく、四番目の兄はヴィオラ奏者で芸術家です」

「長男がプレイボーイ……?」


 華やかながらも堅実な印象のブランドナー侯爵家の面々に、どう考えてもおかしな言葉が混ざったのは気のせいだろうか。けれどとにかく。音楽一家にちなんだ自己紹介に、エイヴリルは今度こそパチパチと拍手をする。


「聡明で穏やかなヴァイオリン奏者のサミュエル・ブランドナー殿。ここではサミュエルとお呼びしてもいいでしょうか」

「もちろんです。僕もランチェスター公爵夫人と呼ばせていただきます」

「それでは少し堅苦しいので、エイヴリル様とお呼びいただけますか?」


 そう告げると、サミュエルが少しだけ驚いたように見えた。


「エイヴリル様、ですか……」


 どうやら、行儀見習い先の女主人をファーストネームで呼んでいいのか迷っているようだ。彼の四人の兄なら、きっとエイヴリルの希望はあっさり無視して夫人呼びだったことだろう。


 けれど、サミュエルは子供らしく微笑む。


「承知いたしました。エイヴリル様、ふつつか者ですがよろしくお願い申し上げます」


 タウンハウスのエントランス前が一気に華やいだ。


(楽しい半年間になりそうです……!)


 そう考えているのはエイヴリルだけではないようだ。背後に並んだ使用人たちからも、感嘆のため息が漏れたのが聞こえた気がした。




 その日の夜。外出から戻ったディランを交えて、三人での夕食会が開かれることになった。メインダイニングには所狭しと豪華なメニューが並び、サミュエルとエイヴリルは同時に目を輝かせる。


「わあ、おいしそうですね」

「なぜかエイヴリル様までうれしそうですね?」


 不思議そうなサミュエルの問いに、エイヴリルは頷く。


「サミュエルぐらいの年齢の方が好きなお料理をリクエストしましたから。このお料理はどれも私も大好きです」


 胸を張って応じれば、エイヴリルの隣でテーブルについているディランがふっと笑ったのが伝わってくる。


「いつもと違って新鮮で、しかも懐かしいメニューが多いな。こういうのもいいな」


 今日、大きなダイニングテーブルの中央に並んでいるのは、薄く叩いた肉にチーズとハムをはさんで揚げた料理や、煮込んだ挽肉とマッシュポテトを重ねてオーブンで焼いた料理、お米をトマトソースで炒めた料理など、どれも子どもが好きなものだ。


 パンもデニッシュ系の甘い生地や、かわいらしい動物の形をしたものが並んでいる。いつもは後から出てくるフルーツやケーキなどのデザート類も、今日はテーブルの中央に初めから配置されていた。


 どれも、この国の子ども向けの家庭料理として人気のものだが、エイヴリル自身としては子どもの頃にはあまり馴染みのなかったメニューばかり。残り物ばかり食べていたのだから当然だった。


 もちろん、そういう食べ物も十分に好きではあるけれど、子どもの頃の憧れはいつだって心に残ったままだと思う。


 嫁いで幸せになった後も、ランチェスター公爵家の食卓にはいつもフルコースが並ぶ。贅沢でおいしくて幸せでありがたいのだが、一方でこんな子供向けのメニューはなかなかお目にかかれることがないのだ。


「しかも、今日はシェフの配慮で、ビュッフェスタイルでお子様ランチにできるようにと考えてくださいました」


 それぞれの前には、縁に装飾がほどこされた大きな絵皿がおいてある。いつもなら、食事の前に観賞用として楽しむためのものだが、今日は違った。エイヴリルは続ける。


「これに好きなお料理を好きなだけとって、好きなように盛り付けるのです……!」

「わぁ。素敵なアイデアだと思います」


 サミュエルが喜んでくれたので、うれしさに頬が緩んだ。ディランにはクリスが「ディラン様の分は私がお取りしましょうか?」と聞いているが、夫は楽しそうに首を振った。


「大丈夫だ。自分でやりたい」


 それを聞いて、ディランもエイヴリルたちに付き合ってくれているのではなく、きちんと楽しんでくれているのだと安心する。と同時に、準備しているときにグレイスとクリスが優しげな瞳をしていたことも思い出した。エイヴリル自身が楽しんでいることを、少し見抜かれた可能性もあった。


 けれどそれでも問題ない。ランチェスター公爵家でのエイヴリルはもう悪女などではないのだ。安心して過ごせる場所があることに、感謝しかない。サミュエルがうれしそうにして料理の盛り付けを終えるのを確認したエイヴリルは、改めて目を輝かせた。


(お皿にどのお料理を取りましょうか……!)


 そんなエイヴリルをじっと見つめていたサミュエルは、少し目を瞬いてから、カトラリーを置いた。


「ランチェスター公爵家で行儀見習いとしてお世話になるにあたり、僕なりに重要だと思われることを調べてまいりました」

「まぁ。さすがですね! 何を調べていらっしゃったのでしょうか?」

「悪女についてです」


 危なく咽せるところだった。


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