2.ガーデンパーティーでの相談
「ブランドナー侯爵夫人……!」
エイヴリルたちに声をかけてきたのは、以前、サロンコンサートで会ったブランドナー侯爵夫人だった。
ブランドナー侯爵家には子供が五人いる。次男のシリルはエイヴリルの実家、アリンガム伯爵家の没落時に一役買ってくれたし、五男のサミュエルはサロンコンサートで仲良くなった良き友人である。
今、声をかけてくれた侯爵夫人本人も、ディランの母親アナスタシアとも古くから付き合いのある信頼できる人だ。
ほんの少し世間話を交わした後で、夫人は何か頼み事があるようだった。申し訳なさそうに眉を下げる。
「お会いして早々申し訳ないのですが、折入って相談がありますの」
「我が家にできることでしたら、どんなことでも」
ディランはクールな外見のせいで冷酷だと勘違いされがちだが、実際のところは逆である。特に、縁は大切にする人間だ。いつも通り快く応じれば、侯爵夫人はほっとしたように微笑んだ。
「実は、うちのサミュエルの行儀見習い先を探しておりますの。どうか、ランチェスター公爵家でお世話していただけないでしょうか」
「ご令息の行儀見習い先……!」
話を隣で聞いていたエイヴリルは目を輝かせる。
この国の貴族では、子息を上位貴族の屋敷で行儀見習いをさせ、将来の就職時の縁に繋げたり、社会経験を積ませたりする文化がある。
本来ブランドナー侯爵家はそれを受け入れる側であり、そのような経験は必要ないはずなのだが、サミュエルは五男だ。
夫人は、将来はほぼ確実に家を出ていく息子に、他家での経験を積ませたいということなのだろう。かしこまった様子で頭を下げてくる。
「お二人に初めてお目にかけたときまだ八歳だったサミュエルも、もう十歳になりました。良い子ですから、手はかからないと存じます。どうか、厳しく教えていただけないでしょうか」
夫人の言葉に、エイヴリルとディランは顔を見合わせる。
(あのサミュエルが、我が家に……!)
サロンコンサートで出会ったサミュエルは、悪女に困惑する賢くかわいくいい子だった。彼がランチェスター公爵家に来てくれたらきっと楽しいし、教え甲斐もあるだろう。
それに、子どもの頃、家庭教師の先生に救われた経験のあるエイヴリルは少なからず先生という存在に憧れていた。
(ぜひ来ていただきたいです)
うっかり先走って返事をしようとしてしまったエイヴリルだが、意外なことに、ディランは少し躊躇っている様子だった。慎重に夫人へと問いかける。
「……本当にそれでいいのでしょうか」
「もちろんですわ。公爵閣下のお母様とは古くからお付き合いがありましてよ。ランチェスター公爵家のお世話になれるのでしたら、あの子にとってこれ以上の幸運はありませんわ」
「でしたら、ご意向通り、我が家で承りましょう」
「ありがとうございます。きっとあの子も喜びますわ」
夫人はうれしそうに上品な笑みを浮かべ、「詳細はまたご相談に伺います」と言って去って行った。それを見送ったディランは嘆息する。
「……ディラン様?」
問いかけると、夫はまいったというふうに微笑んだ。
「公爵家の悪評を払拭するのに一肌脱いでくれるようだな。本当にありがたいことだ」
「社交界に絶対的な影響力を持つブランドナー侯爵家からの行儀見習いを受け入れることで、ランチェスター公爵家の信頼と評判を高めようとしてくださっているのでしょうか」
「恐らくな。母が家を出てからずっと気にかけてくれていた人なんだが、まさかここまでしてくれるとは」
「本当に頭が上がりませんね。素敵な方です」
ふふふ、とほほえむと、ディランがエイヴリルのおでこに口付ける。前髪越しだが、ディランがつけている香水が香って抱きしめられたような気分になる。
二人の様子を遠巻きに観察していた周囲が、ざわめいたのがわかった。けれど、ディランは気にせずにエイヴリルの髪を指先で梳いた。その甘さに、また幸せを感じる。
「今日のガーデンパーティーで社交シーズンは終わりになりそうだな」
「そうですね。もう夏も終わりですから」
ブランヴィル王国の社交シーズンは冬から夏までだ。それを前提に頷くと、ディランは少し微妙な表情を浮かべた。
「いや……さっき、エイヴリルが話していたフィッツロイ伯爵家の令嬢がいただろう?」
「はい。私が逃げられてしまった方ですね?」
「ああ。実はフィッツロイ伯爵家の者が重い流行病にかかっているという噂を聞いていたんだ。ただ、そういった話で他家を貶めるのはゴシップを使った常套手段だから、あまり本気にはしていなかったんだが……。今日の会には当主も夫人も欠席で、娘が出席していた。あながち嘘ではないかもしれないな。病が蔓延すれば、社交はなくなる」
なるほど、それでディランは社交シーズンは終わりだと言ったのだ。流行病は怖い。
ブランヴィル王国は、周辺国に比べて文化的に発展し、病に関する研究も衛生面での意識もだいぶ進んでいる。けれど、十数年に一度は必ず新種の病が手もつけられないほどに大流行し、大勢の人々の命や日常を奪っていく。
夫の懸念を理解したエイヴリルは、ただ平穏を祈るばかりだ。
「ただのゴシップだといいですね」
「ああ」
ガーデンパーティーの華やかさに包まれる庭には、秋を感じさせる風が吹いていた。




